45:憤怒にて穿つ ~狼二人、しかし最後に立つのは一人~
勝利条件:六罪将『憤怒』のマハティの撃墜
敗北条件:味方ユニットの撃墜
それを感じ取れたのは、世界で二人だけだった。
片や大樹の下、数百を超える様々な精霊に囲まれた女。
片や寒々しい城の中、巨大な翡翠の前に立つ女。
人類圏と魔族領。遠く離れた地にあって、
「「目覚めが始まりましたね」」
二人は同時に同じ言葉を呟いた。
そして、そのどちらもが同じように微笑み、同じ人物を言祝いでいく。
「「あなたは煌めく凶津星」」
「「あなたは希望の担い手」」
「「あなたは星々の目覚めを導く者」」
「「此度の目覚めは、始まりの一歩に過ぎず」」
「「此度の目覚めは、終わりにはあまりに遠い」」
「「けれど、大いなる冬が確かに近づきました」」
「「……真実を知るまでに五百年、別離に耐えて五百年」」
「「如何なる勇者であろうとも」」
「「如何なる英雄であろうとも」」
「「この茶番を終わらせることは出来ませんでした」」
「「だからこそ、我らは待ちました」」
「「神を殺す狼、世界に轟く雷鳴、万象を照らす太陽。そして数多の煌めく星々を」」
「「冬を越え、黄昏へと至り、新たな明日を創り出すあなた達を、待っていたのです」」
微笑む二人の女が、同時に誰かを案ずるように顔を曇らせた。
「……ああ、■■■」
「……ああ、□□□」
「「すべてが終わった暁には、必ず会えると、名を呼べると信じています」」
だからどうか、それまで壮健でいてほしいと、確かな信愛を遥か彼方へと向けるのだった。
『生存凶装』を施し、無理矢理傷に蓋をした九狼を前に、共に絶句するアルティナとマハティ。そしてそんな反応はどこ吹く風と言わんばかりに歩み始める九狼は彼我を隔てる竜巻の目の前に立つと、アルティナと、そしてその傍らに漂うルフへと目を向けた。
「……少尉、ルフ。せっかく張ってくれた竜巻だけど、ちょっと邪魔だから」
「え……」
そして目の前の竜巻へと視線を戻し、両手で振り上げた刀を一閃。
「はあ?」
マハティですら間の抜けた声を出したが、しかしそれを笑うことは出来ないだろう。何故なら、満身創痍の九狼が魔力の込めていない刃で竜巻を切り裂き、消してしまうという光景を目にしてしまったのだから。
周囲の木々は竜巻の余波で未だに揺れているが、彼ら三人の周囲の空気は最早微動だにしていない。
そして、殺意の満ちる葉山九狼を前にそのような反応は自殺行為に等しい。
「まずは―――」
九狼の身体が、力尽きたかのように沈む。しかしそれを単純に倒れ込むと判断したのは愚かとしか言いようがない。
倒れ込んだ先、身体を支える為に前に出した足。それこそが踏み込みとなって―――音すら斬り裂いた。
アルティナには目の前にいた九狼が一瞬でマハティの背後に移動したように映り、マハティには目の前から九狼が一瞬で消えたように映った。
そして一瞬の静寂の後に響く、ごとりという音。
その音にマハティが目を向ければ、赤黒い物体が地面に落ちていた。
そしてそれが自身の右腕、肩から先の全てだということを理解して、
「ぐ、ご、があああああああああああああああ!?」
噴き出す血液と、全身を駆け抜ける痛み。そして頭に浮かぶ何故という言葉。
あの重傷で立ち上がれたのはまだいい。動きが見えなかったのも置いておく。だが、どうして、今の自分の血鎧を斬り裂ける?オマケにさっきの竜巻を切り裂いたのはどういうことなのか。
訳が分からないが、それでも切断された左手首の先から流れる血液を固形化。刃を作り、傍らに落ちた右手を突き刺して肩口の切断面へと押し当て、血液操作によって接合を試みるが、
「つかねえ、だと……?」
滑り、再び地面へと落ちる右腕。かつて六罪将筆頭との手合わせで斬りおとされた際には、同じ方法で接合したというのにどうして繋がらないのか。激痛と困惑がマハティの思考を侵していく。
「ぐ、が……ひ、ひゃは―――げひゃははははははははははははは!!」
が、次の瞬間、それらすべてがどうでもいいと言わんばかりの哄笑を上げるマハティ。
もはや激痛も憤怒もなくあるのは限りない歓喜と、こいつを殺したいという殺意のみ。
「いいぜ!!最高だ!!やっぱりてめえは最高だぜ!!なあ、兄弟!!思う存分、殺し合おうぜぇえええええええええええええええええ!!」
「死ねよ、塵屑」
互いに振り向きながら必殺の意志を込めた刃を振るう。二つの刃が激突、周囲へと響く甲高い音。衝撃で互いの傷口から血が噴き出したが、二人にはそれよりも優先する事があるから動きを止めることなどあり得ない。
殺す、殺す、ぶち殺す。互いに殺意を剥き出しにして得物を振るい続ける。
マハティが左腕の血剣で薙ぎ払う。刀で受け止めた九狼は、勢いのままに飛ばされる。背中から木にぶつかる直前で着地、勢いを利用して身体を翻しながら軸を外し、刀を振る。迫るマハティの軌道上に置かれた刃が右脇腹を切り裂く。
反動で喉から血がせり上がってくるが無視。それよりも正確に刀を振る方が、奴を殺すことの方が大切だと手足を動かす。
右脇腹を切り裂かれながら、それでもマハティは止まらず、目の前の木へと血剣を突き刺し、
「ぜりゃああああああああああああ!!」
根元から引き抜き、即席の鈍器として使用。振り向きながら薙ぎ払えば、タイミングを合わせて木へと跳び乗る九狼。振り抜かれた木がマハティの背後まで来た瞬間、跳躍。首を狙って刀を振ろうとするが、
「させねえ!!」
鈍器に使用した木が生み出す遠心力を利用して身体を更に回転、右肩の切断面を九狼へと向けた。
「死にやがれぇ!!」
「―――ッ」
傷口から流れる血液を操作し、瞬時に硬化。散弾として射出。九狼はエクリプスと刀で防御。勢いを殺されたところへマハティが木を放り投げてくる。
迫る木に九狼は体重移動、前方宙返り。強引に身体の位置を上空へとずらして回避。そのまま木へと着地、空を飛ぶ木を足場にして、更に一歩前へと踏み込んだ。
自身が投げ飛ばした木に跳び乗り、血剣を振り下ろすマハティと切り結び、林の上空を移動していく。
袈裟懸けに刀を振った直後に左手を離す。余波で削れ、舞い上がった木の表皮を掴むと同時に指弾で射出。木片が目のすぐ横にぶつかり、反射的に片目を瞑ったマハティの首へ一閃。それは読んでいるとスウェーで回避、直後に血剣を九狼の心臓目掛けて突き出す。
「何度も喰らうか」
左拳で刀身を横合いから殴りつけ、直後に首を狙う。
「馬鹿の一つ覚えだ!!」
全身に備えた血刃を全方位へ射出。刃は弾かれ、腕や足、腹にも突き刺さるが構わない。左手でマハティの腹を殴りつける。既に一度、半ばまで斬られた腹を殴られた衝撃で一瞬動きを止めるマハティ。その隙を狙い、左足の爪先を踏み潰した。
「ぜりゃあ!!」
踏み潰された左足を振り上げ、九狼の体勢を崩す。そこへ向けて射出される右肩からの血の散弾。更に後退を強いられ、木の根元付近に着地。同時に九狼とマハティは二人揃って跳躍。地面にぶつかる直前の木から離れ、二人同時に着地する。
着地の衝撃で二人とも傷口や口の端から血が溢れてくるが気にもならない。
既に自分達が林を出ていることにも気づかない。
同時刻。
開拓村から南の橋へと向かっていたガルム達は交代で馬へと魔力を供与することで消耗を抑えつつ、村長の言う六時間という道のりを大幅に短縮。橋へと続く林、その手前にある丘の上に到達していた。
そして改めて、これから林へと突入しようというタイミングだった。
最初に気付いたのは林に背を向けて兵士達へと向き合っていたガルムやリューズではなくアイザック。彼の眼が、林の一角で木々の葉が不自然に動いたことを捉える。
「ガルム」
「お前ら揃いも揃って階級で呼ばねえのはなんでだよ……どうした?」
問われたアイザックはただ林を指さす。
「林が動いている……来るぞ」
「―――ッ!!」
振り返るガルム、リューズ。そして林へと視線を向けた王国軍一同。彼らの視線が一致した瞬間、林から木が一本、飛びだした。
「あそこですわね!?」
「ちげえ、あの上だ」
サラの言葉をガルムが訂正。そしてその事実に後ろの軍人達が目を見開く。
「上でやり合ってやがるな……全員、戦闘準備!」
それぞれが武器を取り出し、前衛は強化魔法を発動。魔導士達は魔法の詠唱を開始。いつでも号令一つで突撃できる体勢を整える。
そんな一同の視界の中で九狼とマハティの乗る木が地面へと墜落。跳び下りた二人が同時に着地した。
マハティは右腕を失い、腹からも血を流している。その姿に六罪将をここまで追い詰めたのだと沸き上がりそうになるが、九狼の足元に広がっていく血溜まりがそれを許さない。
「―――ッ」
視界の先で殺し合いを再開する二人に向かって、走りだそうとするリューズを制するように突き出されたガルムの腕。この期に及んで何故と目を向けるリューズを見もせず、ガルムは二人の戦いを注視。そしてこれは割り込んではいけないと判断する。
「あのバカ、もうあのアホ犬しか見てねえ。割り込んだ瞬間、異物と判断されてぶった切られて……その隙にアイツがクソ犬に殺されて終わりだ」
「ですが、少尉のあの傷は!」
「わかってる!魔導士で回復魔法使える奴は自分の使える最上位の詠唱を開始!前衛はいつでも動けるようにしとけ!クロウが勝ったら、絶対にアイツを死なせるな!クロウが負けて死んだら、その一瞬を突いて奴をぶっ殺す!絶対に逃がすな!お前らの後輩の命、無駄にしたらぶっ殺すぞ!!」
『応!!』
ガルムの一喝に声を揃える一同。そしてリューズはガルムの横顔を見る。
既に自分自身は我慢の限界だと言わんばかりに太刀を握る手は血が滲み、噛みしめる唇は破れて血が流れている。
「剣士というのは、本当に……」
どうしようもない大馬鹿者ばかりだと思うリューズだが、しかしそんな相手に惚れたのも自分だからとガルムの命令に従い、自身に使える最上位の回復魔法と攻撃魔法の詠唱を同時に始める。
「絶対に、死なせません」
九狼もマハティも、周囲から障害物が無くなった程度にしか認識していない中、余波で周囲の地面を切り裂き、砕き、近づいては離れてを繰り返していく。
(分かっていたけど、強い)
腕一本を失い、残る左腕も手首から先を斬り落とされ単純な剣しか形成できなくなった。更に血液も大量に使用し続けた結果、生成が追いつかなくなっている。その証拠に、地面に着地してからは血鎧による傷の修復も、血の散弾も使わなくなっている……否、使えなくなっている。
最早マハティは限界寸前。いつ死んでもおかしくはない。逃がしてもその内死ぬだろう。だが、それでも九狼にはここで手を止める理由がない。
万に一つでも生き延びれば、マハティは今よりも強くなると確信している。
いずれ、ガルムやレオンハルト、ウィリアムやゲンジといった王国最強の面々すら超えて、八雲や五樹といった王都に残した友達。そして三徳へとその牙が突き立てられ、命を奪う。そんな未来は、何があろうと認めない。
「だからオマエは……」
(ああ、つえぇなあ)
弱っちい人間。魔力は並程度で剣術も発展途上。だというのに、限界を超えて尚魔力を引き出し続け、胸に風穴が開けられても自力で塞いで立ち上がり、そんな状態でも六罪将の自分と渡り合い続けた。
だが、それももう限界だろう。
匂いで分かる。目の前の剣士は既に死ぬ寸前。ここで自分が退いて傷を癒したとしても、その間に死ぬだろう。だが、それはつまらない。面白くない。
そして何より、万が一でも生き延びれば、あの男がこいつに目をつける。
生き残り、更に強くなったこいつを、自分が殺す前に奴が殺す?
ふざけんな、そんなもん認めねえ。こいつは俺の獲物だ。
「だからてめえは……」
何度目かの交差で互いの距離が開く。彼我の距離は、およそ30メートル。
対敵へと目を向け、二人が同じ言葉を口にする。
「「ここで殺す!!」」
同時に叫び、同時に踏み込む。奇しくも、互いに突きの構え。
互いに限界だというのに、更にギアを上げて殺し合いが続けられる。
王国軍の誰もが、そしてマハティ自身もそう思っていた。
「可変駆動:限定停止」
がくん、と。
そんな幻聴が聴こえるほどの速度低下。ここに来て九狼は身体強化を放棄。せいぜいが視覚と聴覚、思考速度の強化、そして『生存凶装』のみが残された、明らかな自殺行為。だというのに、これでいいと言わんばかりの九狼の顔には恐怖や諦めは微塵もない。
恐怖があるとするなら、約束を果たせずに死ぬことだけ。だからオマエは死ね。俺が殺す。
溢れる殺意を脳内で走らせ、眼前、そして左の掌に魔法陣を描いていく。過去最高の集中力で描くのは解析済みでありながら未だ再現に至っていなかった空間魔法陣。超高速演算処理の為に脳が色覚をカット、世界が灰色に染まる。
血涙が量を増し、複雑な陣が瞬時に構築されていく。
本来、最大駆動中の九狼とマハティが同時に突撃したなら30メートル程度の距離は瞬く間に縮められ、一瞬にも満たない時間で激突していただろう。
だからこそ、僅かな時間を稼ぐために九狼は自身の速度を落とした。一瞬が一秒程になる程度の時間だが、それでも時間を稼ぐことには成功した。
複雑な空間魔法陣を描く速度に関しても、今この瞬間の九狼は間違いなく王国最高峰にいると言っていい。それほどの集中力を発揮している。
(それでも)
そう、それでも僅かに足りない。本当に極僅か、陣の完成よりもマハティが九狼を刺し貫く方が速い。今度こそ、九狼は死ぬだろう。
(それでも!!)
―――コイツはここで殺す、諦めてたまるか!!
心中で叫んだ瞬間、奇跡は起きた。
マハティの血鎧、そこに入った亀裂から突如噴き出る魔力。それによってマハティの身体がびくりと震え、僅かに速度が落ちる。どういう理由かは分からない。だが、その魔力は灰色の世界において、それでも尚鮮やかな山吹色の光を放っていた。
「――――――」
周りには誰もいないはずなのに、声が聴こえた。
『がんばれ!』
どこか軽い印象を受ける、けれど真摯な男の声が聴こえた。
『あと少しよ』
落ち着いた女の声が聴こえた。
『だから、お願い』
慈愛に溢れる女の声が聴こえた。そして、
『勝ってくれ!』
聞き覚えのある、彼の声が聴こえて、四人分の手に背を押される感覚を覚えたから
「――――――ッ」
心中に湧き上がる感謝と尊敬。無限に湧き上がってくるその二つが、眼から溢れて止まらない。
ありがとう、誇り高い冒険者。どこまでも気高い、四つの穂先。あなた達と出会えたことは、ただそれだけで自分の宝物で、誇りだ。
「だから―――」
そう。だから、
「てめえはここで、死にやがれ!!『空間接続』ォ!!」
灰色の陣が完成する。
僅かに鈍りながら、それでも迫る血剣が九狼の顔目掛けて突き込まれ、魔法陣に触れた。
完成した魔法陣に触れた血剣は九狼の顔に叩き込まれることはなく、そのまま吸い込まれていく。歪められた空間の出口は九狼の左掌に描かれた魔法陣。肩口まで吸い込まれていきながら、九狼の左手から飛び出てくるマハティの血剣。向けられた先はマハティの胸の中心。六罪将の証である魔晶と、その奥にある心臓。
マハティ自身の速度と、マハティ自身が練り上げた血剣。その二つで、マハティ自身を穿つ。
「げ、が―――」
すれ違いながら肩まで魔法陣に吸い込まれ、魔法陣から自身へと叩き込まれた結果、マハティがびくりと震えて動きを止める。
「『空間分断』ッ」
顕現させた魔法陣が消失。空間を遮断された結果、マハティの左腕が、自身の胸に突き立てられた状態で肩から切断される。
「ぐ、ご、お―――」
目を見開くマハティに、ああ分かっている、オマエもそうだよなと九狼は振り向きながら踏み込む。
「可変駆動:緊急最大駆動」
再び行われる最大駆動。段階を踏まない強化に全身が絶叫するがもはや聴こえない。
胸に風穴が開いた程度で、俺達は諦めない。そうだよな、兄弟。
だから、
「死ね」
残る血鎧、そのもっとも分厚い装甲となっている首周り。そこへ斬魔の理を宿した一閃が振るわれた。
数秒間の静寂。その後に、どさりという音が辺りに響いて首が落ちた。そして力を失った狼の身体が地に伏せる。
そして、それを見届けた瞬間、
「――――――――――――ッ!!」
天に向かって声なき声で吼える、一匹の狼がそこに立っていた。