21:旅立つ前夜
長くなりすぎました。申し訳ない。
そしてあっという間に二日が過ぎ、旅立つ前日。
男子達が開いた壮行会という名の談話室でのバカ騒ぎも終わり、九狼は自室で持っていく荷物の最終確認をしていた。
元々この世界に召喚された時に持っていた鞄、通学に使用していたスポーツバッグの中には着替えの他に筆記用具と、修行先でも進めておくようにと渡された六輔が覚えている限りの『九狼達が本来受ける予定だったカリキュラム』をまとめた書類。
壮行会の最中に渡され、異世界に来ても勉強かよと笑う生徒達だったが同じものが用意されていると知った時の阿鼻叫喚は実に愉しめた。ざまあみろ、バカどもとその一幕を思い出して笑みを浮かべていると、視界に入る鞄に入れたスマートフォン。
雷魔法を応用して逸早く充電用の電圧調整を修得した八雲に充電してもらったので今でも電源は正常に入る。アプリを起動すると、先ほどまでの壮行会で撮られた写真の数々。というよりもどいつもこいつも九狼のものだけではなくそれぞれのスマートフォンを持ち出しては写真や動画を撮っていた。
「体育祭の打ち上げで焼肉屋に行った時と同じノリな辺り流石というかなんというか」
苦笑しながら何とはなしに画面をスクロールさせていく中で一枚の写真が目についた。写真の中にはそれぞれ真新しい制服に身を包んだ自分と義妹の万理に挟まれた義母の千恵。
「高校入学と万理の転校初日……だっけか」
それぞれが新しい制服を身に着けたことがどれだけ琴線に触れたのか、普段はおっとりとしている義母が珍しく写真を撮ろうと強く押してきたのを覚えている。これはそれを送られてきたものだ。そしてその次の写真は今の家族四人が揃った写真。
「……もう少しにこやかに写れっての」
仏頂面とは言わないまでもお世辞にも笑っているとは言えない表情の自分と、横目で自分を見る万理とのツーショット。そして家族四人の写真ではどういう顔をすればいいのか迷った挙句に顔を背けている。
だというのに、その次の八雲や五樹、八雲の妹の木葉とはちゃんと笑った写真を撮っているのだから本当にどうしようもない。
「父さん、千恵さん、万理……ごめんなさい」
あの日からもう何度目かわからない謝罪を口にするが、それでもまだまだ足りない。何故なら九狼は家族から向き合わずにここまで来てそして、と考えたところで扉がノックされた。
「こんな時間に誰だよ……八雲か?」
恐らくそうだろうと考えつつも、机に置いてある片刃の剣へと伸ばす。
「どうぞー、開いてるから勝手に入ってくれー」
鞘から半分ほど抜刀し、刃の状態を確認するふりをしながら扉が開かれるのを待つ。暗殺者ならば律儀にノックなどしないだろうが、むしろサスペンス映画では夜に堂々と個室を訪ねる犯人と、招き入れて襲われる被害者という構図はよくある話だ。
誰が相手でも問題無いように『圧縮強化』を開始。諸々の反動を考えて『最大駆動』は使えないが、いざとなれば是非も無し。どれだけ手を汚そうとも生き延びてみせると戦意を漲らせる中、
「失礼します」
「……お嬢様?」
意外過ぎる訪問者に、駆動し始めた戦意は見事に空回り。対して三徳はそんな九狼を見てくすりと笑う。
「ふふふ、サスペンス映画の犯人が訪ねてきたと思いましたか?」
「異世界にそんなもんいたら犯行計画に魔法も絡んで手が付けられねえよ」
なんで心読まれてんだ怖……という言葉は出さないが、実際のところは背筋が妙に寒い。
何故か、肉食獣を目の前にしたような感覚に襲われる。下手なことを言えば食われるという嫌な予感が止まらない。
「で?お嬢様はなんで俺の部屋に?陽川の部屋なら隣だけど?」
「葉山君は、私の事をこんな時間に陽川君のお部屋を訪ねるような人間だと思っていたんですか?だとしたら少々どころではなくショックなのですが……」
「いや、今のはマジですまん。失礼過ぎた」
目尻を拭う三徳に、九狼も流石にこれはマズかったと弁解。よくよく考えなくても目の前にいるのは県下一のお嬢様。礼儀作法はバッチリと叩き込まれているのだから異世界に来たからといってクラスメイトの男子に夜這いを掛けるわけがなかった。
とそこまで考えて
「ん?じゃあなんでここに?」
部屋を間違えてというのでなければ何故?余計に分からず首を傾げる九狼に、先程拭った涙は何処へやら三徳は常と変わらず微笑む。
「少しお話がしたくて」
「俺と?」
「ええ、葉山君とです」
いやだから何故?と頭の中が疑問符で埋め尽くされていくが、このお嬢様の考えなんて自分に推し量れるものではないと結論付ける。
椅子を勧め、そこに三徳が座ったのを確認して自分はベッドに腰かける。
「で、話って?」
「……」
促す九狼の言葉には答えずに、顔をジッと見つめる三徳。そんな彼女にますます意味がわからないと首を傾げる。
「えっと、お嬢様?」
本当に意味が分からないと困り顔を見せる九狼に、三徳は一度深呼吸をし、覚悟を決めたように口を開いた。
「葉山君、なにかありましたか?」
「なにかって?」
「いきなり王国軍に入ると言い出したお友達にこんな質問をするのはおかしいですか?」
「まあ、男子連中には質問攻めにあったけど……答えは全部あの時言っただろ?」
「本当ですか?」
「本当ですけど?」
ジッと見つめてくる三徳に顔が引き攣りそうになるが、努めて平静を装う。だが、それで隠しているつもりなのかと言わんばかりに見つめてくる視線を受けること数秒。先に視線を切って溜め息を吐いたのは三徳だ。
「葉山君、気づいていますか?」
「何に?」
「今、私達お部屋に二人きりなんですよ?」
「……それが?」
一体どうしたのかと首を傾げる九狼。だが、そこで首を傾げること自体がいつもの九狼らしくない証左だと三徳は語る。
「普段の葉山君なら、お部屋の外で話そうとするんじゃないですか?異世界のお城で同級生の女子と自室で二人きり。誰かに知られたら確実に噂になります。しかも自分は翌日から城を離れる以上、噂の的は相手だけになる。そして一部の方達から良くない目で見られている葉山君と深い関係だと疑われればその相手はどうなるか……それは葉山君にとっても好ましくないのではないですか?」
三徳自身、自分が九狼にとって他の女子よりも友好的だという自負がある。中学から同じクラスであり続けているのは伊達ではないし、恐らく周囲も九狼と女子の中で誰が一番仲が良いのかと問われれば三徳か二海の名前を出すだろう。そう思われる程度には普段から距離を縮める努力を重ねてきたのだ。
「普段の葉山君なら、そういった事に気が回らないわけがありません」
断言する三徳は更に続ける。
「仙堂君に体調を毎朝聞いていますよね?地球にいた頃、電車で妊婦さんを見かけたら真っ先に席を譲っていましたよね?」
「買いかぶりすぎだろ、お嬢様。五樹が身体弱いってのはみんな知ってるし、妊婦がいたら席譲るなんて普通だろ?」
何を当たり前のことをと逃げるように笑う。しかしそんな九狼を三徳は逃がさない。
「それなら、どうして私をお部屋に入れたんですか?葉山君にとって、お付き合いしてもいない相手をお部屋に入れるのは普通のことですか?違いますよね。それじゃあ、その普通ではないことすら受け入れてしまうようなことが、もしくはそこまで考えが及ばなくなるようなことがあったのではないですか?」
「―――ッ」
隠し通せていると思っていたし、普段通りの振る舞いが出来ていると思っていた。けれどそんなことは無いのだと言われて今度こそ九狼は絶句してしまった。
(嫌な女ですね、私は……)
そしてそんな事実を突きつけた三徳も自身に対して嫌悪を深めていく。
(鳥井君や仙堂君は、葉山君が話せるようになるまで触れるつもりすらないのに)
九狼が王国軍に所属するという話を聞いた時、殺到する他の生徒とは違い八雲と五樹だけは何も聞こうともせずに九狼の決断を受け入れ、九狼が話せるようになればその時に改めて聞こうと決めた。
それはそれで良いと三徳は思う。何せ八雲は九狼の兄弟同然の相棒であり、五樹もまた彼ら二人の親友だ。三徳も言ったが、それが男同士の友情で信頼の証なのだろう。
だが、三徳は女だ。何も言わずにその決断を受け止めることも大事だろうが、それだけでは我慢できない。特に、九狼に関しては絶対に。
「ごめんなさい。本当はこんなことを言うべきではないのはわかっているんですが、どうしても気になってしまって」
「いや、うん……俺の方こそ気を遣わせたみたいで申し訳ないんだけど……この感じなら八雲と五樹にもバレてんな」
それも当然の流れかと九狼は溜め息。どいつもこいつも頭の出来と勘の良さが馬鹿な自分とは違うのだから、最初から隠し通せる道理などない。いつかは必ず気づかれると思っていたがまさかこんなに早くこうなるとは思っていなかった。
これが面と向かった状況でなかったなら九狼は思いっきり頭を抱えていただろう。更に言えばベッドに身を投げ出して悶えていたかもしれない。それをしないのは、偏に目の前にいる三徳に対しての見栄なわけだがそれはさておき。
観念したように深呼吸。
「お手上げだよ、お嬢様。ちょっと色々あったのは事実です」
「それなら」
その出来事を教えて欲しいという言葉を、九狼は首を振って遮る。
「ごめん、まだ言えない。言うだけの覚悟が出来てない」
誰が好き好んでクラスメイト相手に人を殺しましたなどと言えようか。オマケに殺した相手は女神の信奉者で?それを指示、または支援したのが自分達を呼んだこの国の貴族という疑いがある?
とてもではないが言えはしない。
いっそのこと全部ぶちまけてしまえばとも考えたし、ルキウスとの話し合いの際にそういう意見も出した。けれど、その場合証人は改革派筆頭のルキウスとレオンハルトになり国王であるオルドもそれを支持するだろう。
そうなればどうなるのか。
まだ改革派と血統派の軋轢程度で済んでいた状況が本格的な政争となり、行き着く先は王国を割る内戦だ。そうなってしまえば女神の使徒である勇者達の利用に繋がる。直接的な戦力としての話か象徴的な話なのかは分からないが、とにかく碌な事にはならない。
そういった説明を受けた際に九狼が真っ先に不安に感じたのは、勇者である龍一の暴走だ。
現状、彼らの召喚後、その世話を請け負っているのは血統派の騎士が大半であり、諸々の費用も血統派貴族が大半を出資している。そんなあからさまな恩を押し付けてくる貴族に対して、誠実だからこそ龍一は押し付けと理解できずに彼らの声に耳を傾けるだろう。
そして厄介なことに、あの勇者は自分の中で筋が通ってしまえば反対意見に耳を傾けることなどほとんどしない。試合の時のようにこちらがどれだけ正論を述べようが聞く気が無いのだ。
対して八雲と五樹、三徳は自分の味方をしてくれるだろう。
殺した事は責められたとしても、それでも自身の無事を喜んでくれるという確信があるし、九狼も彼らが自分の立場ならば同じことをしているし、襲った側に対して憤慨している。もしかするとあの夜以上の殺意を抱いて血統派に刃を向けるかもしれない。
そして自身の所業が知られれば、今度は国だけでなく自分に対しての意見で召喚者も割れる。
当然、否定派の筆頭は確実に龍一だ。倫理観という強烈な鎖を、母との約束を燃料にして怒りと殺意を以って噛み砕いた九狼とは違い、己の正義という御旗を信奉し掲げる龍一には何を言っても意味がないだろう。
そうしなければ生き残れなかったと説明したとしても、どうして他の方法を考えなかった、誰かに助けを求めればよかった、きっと何か別の手があったと九狼の葛藤や前提を全て無視して否定する。更にその否定に追従する七瀬や四葉を筆頭とした龍一のフォロワー達。
対して九狼を擁護する者達も少数はいるだろうが、恐らくそういった意見も消極的なもので中立とほぼ変わらないだろう。
そうやって分かれた後には、同じ地球から召喚されたクラスメイト同士という、運命共同体にも似た者達が互いにアイツは悪、コイツは味方と睨み合いを始め、力を持っているが故に始まる地獄。
そして内戦なんてしている間は他国との協力など出来ない。その隙を突いて魔族が進行してくればそれを止められず、王国は更なる地獄となるだろう。
ここまで具体的な未来予想図をルキウスから示されてしまっては、九狼も口を噤むことに異を唱えはしなかった。
だから九狼は誰にも言えない。そんな地獄に周りを巻き込む覚悟なんて出来ない。
仮に三徳にだけ話したとして、今度は彼女にそんな重い秘密を背負わせることになる。
(常磐には秘密を抱えたままここで生活させて、自分は吐き出して荷物が軽くなった状態で軍に逃げ込む?冗談じゃねえ)
だから八雲にも、五樹にも、三徳にも……大切だからこそ話すことができない。
友達にそんな重荷を背負わせたくはない。
「ごめんな……」
最近謝ってばかりだな、と苦笑すると同時に謝る理由を相手が把握していないのに、ただ謝罪だけを口にして許しを乞うという卑怯者具合に自嘲する。
こんな様の何が希望の担い手、何がフローズヴィトニル。一致しているのは評判が悪いというだけだろうに、と。
「葉山君」
「なんすかね」
下がり始めていた視線を上げると、三徳は九狼に向かって真っすぐ目を向けていた。
「それは、いつかは話すことが出来るということですよね?」
「えっと、それは」
言葉に詰まる。出来たとしても、魔族との戦いが全部終わってからだと思っているからだ。
「どう、ですか?」
「まあ、いつかは……多分」
「それじゃあ、次に再会した時に教えてください」
「は?」
いやいやいや待って待って待って、何言ってんのこのお嬢様と九狼は混乱する。ハトが豆鉄砲どころか全力で殴られたような顔で呆然と三徳を見てしまう。
「では約束に……指切りでもしましょうか」
「ちょい待って、お嬢様」
にこやかに小指を差し出す三徳に、痛む頭を抑えながら待ってくれと懇願する九狼。
「はい?」
対して三徳は小首を傾げる。見目麗しい為に大変可愛らしい仕草だが今の九狼にはその手のあれこれは一切引っかからないしそんな余裕もない。
「いや、はい?じゃなくてな?俺の話聞いてたか?」
「ええ、もちろん。葉山君のお話なら一言一句逃しませんよ?」
「だったらなんで次に会ったら話すとかいう話に……」
「お話していただける覚悟が出来ていない、という話でしたよね?」
「そうだよ」
「私達は召喚されてから訓練を始めて、訓練開始の半年後には王国が管理して軍や騎士団の訓練用に使っているダンジョンに挑戦する。それは覚えていますよね?」
「いきなり何の話……まあ、そりゃな。そのダンジョン攻略に俺も参加するのはカナ先生が出してきた条件の一つだし」
とはいえそれは軍属となる際に血統派貴族を黙らせる口実でもある。
『クロウ・ハヤマは軍属となるが、それでも女神の使徒の一人。故に勇者達がダンジョン等での実戦訓練を行なう際には可能な限りこれに同行する』
事前にルキウスが用意した内容の一部と被る為に特に異論も無かったのだが……それがどうかしたのかと口にしかけて、三徳が何を言いたいのか理解して余計に顔を顰めた。
「次に会うまでに覚悟決めとけって?俺これから軍に入る前の詰め込み教習が待ってんだけど……」
「はい。その通りです」
にこやかに、いけしゃあしゃあと宣う三徳にちょっとスパルタ過ぎやしませんかね、と再び頭を抱えそうになる。
「大丈夫です。葉山君ならきっとできます」
「……根拠は?」
「それは……」
九狼の問いに、ふむと指を唇に当てて首を傾げる三徳。脳裏に浮かぶかつての光景に頬が緩みそうになるが、そこは幼い頃から鍛えた自制心と表情筋がなんとかしてくれた。なので返す答えは一つ。
「女の勘、というやつでしょうか」
「ド級のチートカード切るのやめてもらえます?」
しかもアンタの場合冗談じゃなくそういう異能持っていそうで怖えし、そんな人間五樹だけで十分なんだよ、と戦々恐々。いやまさか本当に?と冷や汗が止まらない。
そんな状態でもだがしかし、と思ってしまう。
どれだけ苦しくても、辛くても、葉山九狼に超えられない痛みなどないのだと、かつて言ってくれた人がいた。そして、今目の前には覚悟することの痛みを察して、突きつけることを申し訳なく思いつつそれでも九狼ならば出来るのだと信じてくれる友人がいる以上は、
「俺に出来ないはずがない、か……」
一言呟き、続く吐息は観念したような溜め息。そして改めて三徳の視線を受け止め、合わせた。
「わかった、約束するよ。次に会った時にはちゃんと話せるように覚悟を決めておく」
「では、改めて指切りですね」
小指を差し出す三徳にやっぱりやるのかとげんなりしながら自身も小指を立てる九狼。二人の小指が絡まり、お決まりの文言を、と思っていたが。
「あ、ちょっと待ってください」
「いいけど……ってスマホ?」
「それじゃあ撮りますね。画面に顔を向けてください」
「え、マジ?これで?」
素早くスマートフォンのカメラを操作してツーショットを撮る三徳。更には物証ですと言わんばかりに今度は動画モードでカメラを回し始めた。
「では行きますね?」
「ちょ、え?」
「リピートアフターミー。葉山九狼は」
「あ、はい。葉山九狼は」
「常磐三徳に」
「常磐三徳に」
「『一番』、最初に」
「一番、最初に」
「このあともう一回全文言い直すので一番を強調してくださいね?」
「なん……イエス・マム」
有無は言わせないと書いてある微笑みで反論どころか疑問も潰された。
「何があったのかを話す」
「何があったのかを話す」
「はい、それでは最初から」
「……葉山九狼は常磐三徳に『一番』、最初に何があったのかを話す」
これで満足かと問う視線に、笑みを深めて頷く三徳。そしてお決まりの文言の後に指を解く。
「それでは、私は自室に戻りますね」
「ああ、じゃあ送ってくわ」
流石にもう無いだろうが、自分の時のような事もあると九狼も立ち上がるが
「いえ、大丈夫です。外には二海さんが待っていますから」
「何やってんのお嬢様!」
まさか自分の親友をこのクソ寒い冬の中、空調もない城の廊下で待たせていたのかと愕然とする。
「俺らそれなりに喋ってたと思うけどなあ!」
「少し長くなるかもと伝えた上で同行していただいたので大丈夫ですよ?ちゃんと暖かくしていますし」
「そういう問題でも無いんだよなあ」
戦闘に於いては男女平等どころかそんな概念を論ずることすら糞食らえと中指を立てることも厭わない九狼だが、敵意を向けてくるわけでもなく、ただ友人に同行しただけの女子を心配することに否はない。
むしろ母の事もある為に女性が体調を崩すということはそもそも忌避感すら感じる部類だ。
「……やっぱり二海さんには優しいですね」
「え、なんか圧を感じるんですけどお嬢様」
何か間違ったのだろうかと疑問に思わないでもないが、しかし
「大丈夫ですよ?厚着していますし、今は魔法がありますから」
「ああ、そういえば」
魔法を使えるようになってから女子は真っ先にこの季節を快適に過ごせるような魔法を共同開発していた。即ち防寒保湿、冷え性防止に乾燥防止である。どうにもメイド達にも教えたようで、毎年の悩みが一つ減りましたと嬉しそうに部屋付きのメイドは語っていた。
「それならまあ、あんまり食い下がるのもキモいだけか」
ここで引いたと勇者の耳に入ればまためんどくさいだろうが、それはそれ。文句は半年後の自分に任せて扉の前まで歩く。
「ではどうぞ、お嬢様」
扉を開き、執事の真似事。何やら嬉しそうにしているので今後も常磐相手に困ったらこんな感じに振る舞おうという下らない考えは中断。部屋の外で待っていたもう一人の友人に声をかける。
「よ、風鳴。待たせた」
「ううん。その感じだと、上手く話せたみたいで安心した。大丈夫、三徳?」
「はい。とても大切な約束をしていただきました」
「……葉山君、三徳に何をしたの?」
三徳が左手で右手の小指を大切そうに握り込む姿を見て、警戒するように三徳を自身の後ろに立たせる二海。
「母ちゃんの心配してるようなことは何もしてませーん」
そんなだから母親扱いされるんだぞと笑う九狼は二海が何か言おうとする前にさっさと部屋に戻れと促す。
「もう、まったく」
知りませんと二海はそっぽを向き、三徳は九狼に向かって綺麗なお辞儀を見せる。
「それでは葉山君、おやすみなさい」
「おやすみ、葉山君」
先ほどまでそっぽを向いていたのに律儀に挨拶する二海にだからそういうところがと口を開きそうになるが却下。
「おう、おやすみ……常磐」
「なんです?」
背中を向けようとしていた三徳に声を掛けて、彼女の足を止める。同時に二海もこちらを見るが、視線は三徳にだけ向けていた。
「来てくれたのが常磐で良かった。八雲とか五樹だったら一生覚悟が決まらなかったと思う。だから、背中押してくれてありがとう」
結局のところ、古今東西どんな時でも男が覚悟を決めるには、必ずその背を押す女が必要ということだろう。
「―――、――」
ありがとう。宿題は増えたけど、その約束を守る為にも頑張るよと笑う九狼を見て、三徳は一瞬呼吸を忘れていた。
「そんだけ。じゃ、またな」
部屋に入り、扉を閉めた。一度息を吐き、よしと気合を入れ直す。
机の上の荷物を再確認。抜けが無いことを確認してベッドに入り、目を閉じる。
ずっと感じていた重みが、今は少し軽くなっていた。
九狼が部屋に入り、扉が閉まってなお視線を動かせない三徳の隣で二海も息を吐く。
「びっくりした、あんな風に笑うところ見た事ないよ」
従弟が女子によく見せている笑顔に通じるものがあったが、レア度で言えば九狼の方が明らかに上だろう。普段男子と混ざって散々龍一のことを鈍感クソ野郎と言っておきながらいざとなったら自分も同じような笑顔を見せるのはちょっと酷いと思ってしまう。
あとレア度の高さ故に破壊力は大きく、自分もちょっとくらっと来たとは決して認めない。
今のはあれだ、古典的な漫画の1シーンだ。不良が雨の中捨てられた犬猫を拾う場面を見たような、そんな一種の勘違いだ。吊り橋効果だ。プラシーボ効果だ。思い出せ風鳴二海。あの男子は相棒や他の男子を賭けの対象にして勝てばゲラゲラ笑うようなドのつく鬼畜外道の類だ。騙されてはいけない。あなたが好きなのは陽川龍一。ド天然で女たらしな癖に女心に関しては超が100個つくくらいの信じられない鈍感だけど、それでも大切な従姉弟で家族。自分の信じたいものしか信じない傾向が強すぎるしなんか最近勇者だなんだとおだてられて調子こいてるけどそれでも自分が好きな男の子は陽川龍一だ。
最早自己催眠じみた内容で自身に言い聞かせ、さてあの笑顔を真っ直ぐに向けられた本人はどうなっているのかと親友へと目を向ければ、胸元でスマートフォンを握りしめたまま九狼の部屋の扉を凝視していた。
「あの、三徳?」
恐る恐る声を掛けると、ギギギと音がしそうなほど不自然な動きで向けてきた顔は頬を紅色に染めて瞳を潤ませているせいで同性の二海をしてぞくりとするほどの色気を醸し出していた。
「どうしましょう、今すぐに九狼君を抱きしめたいです」
「ちょっと?」
「ああっ、咄嗟に動画を撮っていて良かった……今の笑顔を映像に残せていなければ人類の損失でした。このデータはなんとしても永久保存です。今日という日を記念日にする為にまずはこの世界の掌握から始めましょう」
そう言いながら部屋の中にいた時から撮っていたデータを保存。更に消えないようロックを掛けた上で複数のコピーを作っておくという徹底ぶり。オマケに何やら魔法詠唱の気配まで漂う辺り、この子スマホに何か壊れなくなるような魔法をかけるつもりだなと思うが少し待てと。
「撮ってたの!?というか待って、さらっと怖いこと言うのやめて?」
え、まさかの魔王ってこの子?とそんな訳がないのに、今の三徳を見ていると不安になってしまう。
常磐の女はとあるジャンルにおいてはどんな無茶も平然とやり遂げてしまうと知っているから二海の全身に鳥肌が立つ。
「待とう?落ち着こう?そんな事したら葉山君驚いちゃうから。ね?」
「……それもそうですね。なら、今日のところは添い寝だけにしておきます。私は九狼君の抱き枕、九狼君は私の抱き枕ということで。二海さん、おやすみなさい」
世界の掌握云々の話だけじゃねーよと九狼の部屋へと突貫しそうな三徳の肩を掴む。
「違う。そうじゃないの」
「? それならどういう……サイズも形も感触も、九狼君に満足してもらえるものと自負しているのですが」
自身の胸に手を持っていき、下から持ち上げる三徳。年齢相応以上に育ったそれは学年トップクラスであり、実は何度かその感触を体験させてもらった身から言わせてもらえば確かに問題はないだろう。とても素敵な感触だからあの男もそれに触れたが最後夢中になるだろうがしかしやめろ、私の目の前でその脂肪の塊を揉むな揺らすな見せつけるな。
「九狼君は大きい方が好きだと聞いたので毎日努力をしているのですが……」
「へえ、そうなんだ」
それはあれか?同じバストアップ法を日々試していても平均の域を出ないというかむしろ貧しい私に対する当てつけか何かか?そうなんだな?よし、今撃てる最大火力をあの部屋に叩きこもう。滅びろ、親友を誑かす悪しき狼。おっぱい星人なんて概念ごと消え去れ。殺意と共に魔力等級が跳ね上がる。あとなんか涙も出てきた。かなしい。
「抱きしめたい、頭を撫でてあげたい。辛いことも苦しいことも悲しいことも、全部受け止めてあげたい。望むこと全部してあげたい。今すぐ全部捧げたい。九狼君の笑顔を見るだけでこんなに幸せなら、触れて抱きしめられた時はどうなってしまうんでしょう。ううん、どうなってもいいの。今すぐ抱きしめて、抱きしめさせて。九狼君、九狼君、九狼君」
「そもそも別に女の子の価値は胸だけじゃないもの。外見は確かに重要なファクターだけどそれだけじゃないもの。気配り出来るとか料理が出来るとか、それだけじゃなくて頭がいいとか度胸があるとか、センスがあるとか社交的とか、あとは男の子の馬鹿なところも笑って受け止める度量というかそれって包容力でやっぱり胸のことじゃない邪狼撃滅」
片や恋と愛という二つのエンジンにド級の燃料をぶち込まれて暴走寸前の蕩けた表情の乙女と、片やそんな親友の肩を掴んで止めたまま泣きながら鬼の形相でぶつぶつと呪詛を吐く乙女。
そんな異様な光景は、彼女達を最初に見つけた不幸な巡回当番のメイド二人が腰を抜かすまで続いていた。
なお、そのメイド二人が次の日から巡回当番を免除してくれるようメイド長へと懇願、あまりの勢いに承諾されたことをここに記しておく。
なんか三徳と二海の二人が当初の予定より三割増しくらい爆弾抱えてる感じになったけどこっちの方が面白いかなと判断。
あと三徳はヤンデレではない(重要)
後半三徳が九狼君呼びになっているのは仕様です。