プロローグ~全て終わった後のお祭りで~
雲ひとつない空と、その空を舞い彩る紙吹雪……否、魔力吹雪と呼ぶべきか。
その一片を掌に受けながら黒髪の青年は感心する。
元高校教師、科学担任であり稀代の錬金術師、猪塚六輔が開発した地球でいうところの花火と紙吹雪を合わせたもの。伴侶に迎えた元同僚と育んだ愛の結晶たる子供達(あとはついでに、共にこの世界に呼ばれた教え子達。凡そ割合は5:4:1と青年は踏んでいる)を喜ばせる為に作った故郷の夏の風物詩。
「……確か、特定の薬草と錬成した鉱物を聖水で混ぜ合わせた上で専用の砲塔を使って打ち上げると様々な色の魔力球が空中に散布されるんだったか」
概要を聞いた時にはこの男にもそういう甲斐性というか、気の利いたところがあるのかと感心したし、作成に協力するのは吝かではなかったがまさか必要な薬草の採取に自身の所属する部隊が演習とういう名目で駆り出されるとは微塵も思わなかったし、その際には「総司令死ね!」と思わないこともなかった。というか実際に酒の席で愚痴った。本人に。
とはいえこの光景と、それに対して笑顔ではしゃぐ子供達や見惚れながらも寄り添う夫婦や恋人達を見ればその手間や労苦も報われるというものだろう。
「なのに……」
突如爆発した歓声に身を打たれながら、青年は顔の向きを空から正面に向けた。
その顔は先ほどまで魔力吹雪に感心し、それを楽しみながら小さく微笑んでいたものではなく、陰鬱で、嫌そうで、心底めんどくさそうなモノだった。
視線の先、闘技場の舞台の中心へと歩を進めるのは白銀を基本とし、金で装飾を施された豪奢な騎士鎧を身に付け、そこに空色のマントを羽織り、腰には精緻な装飾に包まれた純白の鞘とそれに納められた長剣を携えた青年だった。
西欧生まれの母の血か、髪色は淡い栗色。顔立ちは精悍ながらも優しげ。登場と同時に起こった黄色い歓声と同じくらいの甘い溜め息からわかるように非常に美形。元々美形が多いこの世界において召喚当時初対面の女性をほとんど全員魅了した色男だ。身長は180を超え、手足は長く、線が細い印象を見せつつもその鎧の下には鍛えられた筋肉が確かに存在している。
どうやら既に闘志は十分なようで、身体から立ち昇る長剣と同じ色の魔力がしっかりと確認できる。
まさにおとぎ話に出て来る勇者や王子様の類……まあ、実際に勇者なわけだが。
対する青年はというと黒髪黒目、整ってはいるがあくまで平凡の域を出ない顔立ち。背丈も170をほんのわずかに超える平均値の範囲内。体型自体は日々の訓練と鍛錬の賜物か、筋肉質。とはいえ元が細身寄りの中肉中背故に体重ほど大きくは見えない。
勇者の鎧に対して、青年が身に付けているのは王国軍の軍服。黒を基調としたその上に、紺色に染め上げ付与魔法によって強度を上げた魔獣の皮の胸当てを身に付けて、一定以上の階級のみが着用を許可される、背に獅子をあしらった外套を、動きやすいように腰の辺りまでに仕立て直して羽織っているだけ。腰に吊るした剣帯に収められているのは彼らの出身である日本が誇る刀だ。
高い切れ味の代わりに扱いが難しい為当初は持つことに抵抗があったが、師匠に無理矢理持たされ、鍛冶師にぶん殴られ早数年。今では最も信用する得物の一つとなっている。とはいえ、この試合を前に他の武装を全て没収されているのが不満だが。
『お集りの皆さん、大変お待たせしました!!』
闘技場と、その外に響く声。魔法で拡声されたその声は大変聞き覚えがあるもので、黒髪の青年は本日何度目かの溜め息をついた。つまり、なんであの馬鹿が司会なんてやってんの?と。
「葉山」
「ん?」
名を呼ばれ、顔を向けると既に勇者は長剣を引き抜き、魔力を込めていた。
その身体と、鎧と長剣の全てから白い魔力が迸り、闘技場の観客達をどよめかせる。
舞台は直径50メートルほど。そしてそのほぼ中心で発した魔力が生んだ風圧が、舞台の端から離れた観客席、そしてそこから更に高く広がった観客席の最上階までに届かせたからだ。
「なんですか、勇者殿」
「堅苦しい呼び方はするなよ。僕と君の仲だろう?」
「……」
オマエと俺の間にいつそんな友好的な関係が出来たのかと小一時間程問いただしたくなりつつも軍服の青年、葉山は呼び方を直す。
「なんだよ、陽川君」
「今日はその眼帯、外さないのか?」
勇者陽川の視線の先にあるのは葉山の右目とその周辺を覆い隠す黒い眼帯だ。戦闘にも耐えうるよう、丈夫に作られている分、物々しさが増している。
「疲れるし、めんどい」
それから軽々しく使うと各方面から怒られる。オマエの嫁からも怒られるんだよ、と非難の眼を向けるが相も変わらず色々と鈍いのがこの勇者様だ。
「そうか……それでも今日、僕はお前にその眼帯を外させて、その上で勝つぞ」
「……お好きにどうぞ、勇者様」
そんな事態になるなら適当なところで降参しようと葉山は思案しながら抜刀。同時に己の身体に流れる魔力を操作。淀みなくその肉体を戦闘態勢へと切り替える。
その身体を包むのは灰色の燐光。勇者の魅せる、迸る白い魔力とは比べものにならないほど小さく静か。そんな彼の姿に観客は首を傾げ、彼をよく知る者の大半はいつもの事だと笑い、一部の者は忌々しそうに視線を厳しくする。
司会が陽川と葉山の二人を紹介しているが、使用しているのはマイクだろうか。多分錬金教師の作品だろう。あの人、結婚からこっち、やたらと生き生きしてんなあとぼんやり考え、次に随分と遠い場所まで来てしまったものだと葉山は物思いにふける。
三年と少し前にこの世界にクラスごと召喚され、戦い抜いてきた日々。
決して楽な道のりではなく、苦難の連続。それでもなんとか生き抜いて、ようやくたどり着いた先でどうして勇者などと戦わねばならんのかと。今日は大陸全土でお祭り騒ぎだというのに。
とはいえこれは国王陛下のみならず、同盟国である共和国の元首、帝国の皇帝、正教国の教皇の連名での下知。
拒否権があったとしても従わねばならないのだ。
例え、既に根回し済んで外堀埋めてあったから実質拒否権は無いに等しかったのだとしても。
『さあ、両名とも準備はいいようです!それでは魔王討伐記念祭三日目!王国武闘大会!御前試合第一試合!始めぇ!!』
司会が叫ぶと同時に、陽川が叫ぶ。
「『極光の勇者』陽川龍一、参る!!」
それを受け、再び嘆息した後に葉山も呟く。
「フィルア王国軍特務部隊『獅子の流星』三番隊隊長、葉山九狼。お手柔らかに頼むわ」
同時に踏み込み、しかし両者は触れることなく交差する。
陽川が放つ横薙ぎの斬撃を、葉山は彼の頭上を跳び越える事で回避。天地の逆転した状態から素早く体勢を整え、着地と同時に再び踏み込む葉山は刀で足元の小石をすくい上げ、陽川の顔目掛けて浮かせる。
その際、闘技場の最上階、貴賓席からこちらを見る面々の大半は溜め息をついたのが見えたがこの際無視。今更である。なお、部隊の総司令と副長は大爆笑している。
「くっ」
昔とは違い、すぐに小石から視線を外した陽川は迫る胴薙ぎを長剣で受け止める。
「相変わらず、小狡い戦いを―――!」
「勇者様やうちの大将みたいに正々堂々正面突破なんて出来ない凡人なもので」
受け止められた次の瞬間には刀を引き、今度は長剣を持つ腕の手首を斬りつけるが、ギリギリでガントレットで弾かれる。ならばと、その反動すら利用して身体を回転。足元を狙う。その攻めを陽川は小さく跳躍して回避。しかし葉山は浮いた陽川の長剣を蹴り飛ばす。
これで長剣を手放せば万々歳。それが無理でも、わずかでも体勢を崩せば重畳。
だというのに、陽川の体勢は崩れない。蹴りの威力を利用して後退しつつ着地。
そこから上段に構え直し、踏み込む。その速度はまさしく神速。残像が尾を引きながら葉山の眼前に現れ、上段からの唐竹割りを見舞う。葉山はその一撃を、身体を半身に引いて最小限の動きで回避。
長剣を斜め上から押すように踏みつけて抑え込み、刀の柄尻での打撃を陽川の顔面目がけて叩き込む。しかしそれは長剣から素早く離した片手によって受け止められた。
そして膠着。
葉山は長剣を押さえる足と刀を握る手に力を込め続ける。足の力を緩めれば長剣は跳ね上がり体勢を崩され、手の力を緩めれば刀を奪われるからだ。
陽川は踏まれた長剣を握りしめ、受け止めた柄尻も離さない。力を緩めれば長剣は手を離れ、柄尻を離せば目の前の男は確実に首を刎ねようとしてくるからだ。
加えると葉山は逆にわざと緩めて体勢を崩す事も考えているが、それは陽川も当然考えている。
故に膠着。そしてそんな姿を見て観客席に座る国民達、そして設置された宝珠で空に映し出された映像を見る、闘技場の外の国民達は皆一様に驚く。
舞台の畳石に叩き付けられた勇者の斬撃は、その余波が舞台の端までを破砕した事からもその威力が推し計れる。そんな斬撃を軽々と繰り出し神速で動く『極光』と呼ばれる『勇者』と、それを躱し、あまつさえ互角に渡り合う二代目『剣狼』と呼ばれ始めた『軍人』の戦いを。
そうして理解する。これもまたいずれ伝説で語られる一ページとなるのだと。
故に、ここから語られるのは彼らがここに至るまでの物語。
とりわけ、彼を主軸に語られる物語。
『異世界』にて『軍人』となる道を選んだ彼の物語。