当て馬王子と彼女と彼女の婚約者
「ブライアン殿下の三日連続のお召しだそうよ」
王子の私室から王宮の出口に向かうイモジェンを見かけた侍女たちがまだ立ち去ってもいないのに口さがなく噂する。
嫉妬と羨望の混じった声にイモジェンは口角を上げる。ほんの数週間でイモジェンの評判は180度変わった。すべて、幼馴染であるブライアンのおかげだ。
「でも、ベルガモース公爵令嬢って、ウェイブリン卿の婚約者でしょ?」
「あれだけ蔑ろにされてれば、幼い頃から仲の良かったブライアン殿下に靡くのも仕方ないわ。ブライアン殿下は昔からベルガモース公爵令嬢を気に入っていたもの」
「それでも今まではご友人だったのに、とうとう、ウェイブリン卿に愛想を尽かして想いを寄せてくれていたブライアン殿下を選んだってことね」
「あれだけ馬鹿にされて貞節を誓う価値なんてあるかしら。私だったら――」
今でこそ王子の寵愛を羨ましがられる立場だが、それまでは婚約者を繋ぎとめて置けない無能な女として嘲笑の的だった。貴婦人を次々と虜にして社交界を渡り歩くジョシュアと政略的な観点から結ばれた婚約者など、人気者の妻の座を狙う女からすれば目の上のたん瘤とばかりにこき下ろされ、婚約を解消するように追い詰められた。
そこはジョシュアがなんとかしてくれてもいいはずが、名ばかりの婚約者にとってこの婚約は重要でもなかったらしい。まだ爵位を継いでいない身だからこの婚約の重要性がわかっていないのだろうか。
それとも、こんなことで潰れてしまう女は政略結婚でも駄目ということなのだろうか。
金も地位もあり、さり気なく流行を身に纏い、多くの者に好まれるジョシュアとの婚約をイモジェンも初めは夢かと思った。しかし、顔合わせや交流を重ねるうちに恋慕うようになった。
いずれは結婚する相手。それがイモジェンの気持ちを加速させたのだろう。どんなに仲が良くても、幼馴染のブライアンは王子故に他国の王女との結婚を義務付けられている。そんなブライアンと違って、婚約を交わしたジョシュアはイモジェンが恋をしてもいい相手だった。
気持ちに蓋をしなくても構わない為、イモジェンはジョシュアにのめりこんでいった。
だが、悲しいことにジョシュアはイモジェンと同じ気持ちではなかった。
以前と変わらない同じように遊ぶ彼を責めるものはなく、態度を改めさせられないイモジェンに批難が向けられた。大切にされないのは大切にされないだけの理由があると。
それは実の両親からも向けられる。イモジェンの努力が足りないから、我が家を軽んじるような真似をするのだと。
恋する気持ちがあっても、ジョシュアの遊びを止めることができなかったイモジェンは追い詰められて、悪魔の囁きに耳を貸してしまった。他国の王女と結婚を義務付けられているブライアンの愛人になって、ジョシュアに嫉妬させることを。
この作戦のおかげで、婚約者に浮気される惨めな女という称号をイモジェンは返上した。
それどころか、王子の寵愛を一身に受ける存在として飛ぶ鳥落とす勢いだ。イモジェン自身に婚約者がいることで、ブライアンの結婚の妨げにならないと渋い顔もされていない。
王子の部屋からの朝帰りにもかかわらず、イモジェンは女王のように歩く。かつては放蕩者の婚約者に蔑ろにされて猫背気味になっていた姿勢も、今では王子の愛人として羨ましがられる立場のおかげで自信を取り戻し、胸を張れるようになった。
ジョシュアとの婚約を妬んで嫌がらせをしてきた女性たちも静かになった。静かにならなかった女性はブライアンのお声がかりで平民と結婚させられ、二度と社交界に戻って来られないようにされた。
愛して欲しい相手に愛されなくても、今のイモジェンはもう辛くない。皆が羨む王子の愛人なのだから、婚約者に愛されないことなど心労になるはずがない。
辛い思いも、惨めな思いも、もうしない。
「愛している」と言う、ブライアンの愛人になったのだから。
◇◆
王宮を辞したイモジェンはその足で婚約者の家に向かう。ブライアンの愛人になったからといって、婚約解消したのではないのだから、イモジェンは婚約者の家を訪問するのも不自然ではない。
むしろ、訪問の頻度は格段に増えた。今まではジョシュアの両親が義務的に呼んでいた来訪が、婚約者自身が招待するようになった。
ジョシュアは王子の閨に侍った帰りに寄るよう言ってきたので、先触れさえ出せばいつでも訪問してもいい。
イモジェンは案内されたサロンでジョシュアと挨拶も終わらぬうちに二階の婚約者の部屋へと連れて行かれた。王子と愛人契約を結ぶまでは指一つ触れようとしなかったというのに、あまりにも違う行動にイモジェンはこみ上げてくる笑いを噛み殺すのが大変だった。
ベッドに押し倒され、衣服を剥ぎ取って性急に求められたイモジェンはあたかも愛されているような気がした。本当はどうでもいい婚約者だというのに。
ジョシュアがこんなことをしている理由をイモジェンはわかっていた。
婚約者がいるにもかかわらず、散々、浮名を流していたジョシュアが今度は寝取られる側になったのだ。
自分より下の身分でも腹立たしいが、相手は王族。浮気相手のほうに何も言えないとはいえ、か弱い女性の身であるイモジェンに当たることも得策ではない。イモジェンの身体に跡でもつければ、ブライアンに気付かれて報復を受けるし、跡を残さなくてもブライアンに言い付けられれば以下同文である。
そんなジョシュアにはイモジェンを自分に惚れこませて心だけでも奪わせないようにする必要がある。婚約者がいても女遊びを止めない男の中の男――放蕩者から嘲笑の的となる寝取られ男に転落したのだ。まだ夜会での束の間の情事なら気付いても見て見ぬふりをされるが、王宮でおこなわれる誰もが知る関係だ。人気者から一転して寝取られ男になったジョシュアは、あちらこちらのご夫人に夫の子として産ませた代わりに今度は自分が托卵される側になった、と評判はズタズタになった。
怒りで腹の虫がおさまらないジョシュアは手っ取り早くイモジェンの心だけでも手に入れて王子に引き裂かれた被害者ぶろうと、身体から虜にしようとしている。
イモジェンはそんなジョシュアの行動に苦笑したくなる。
今の自分はジョシュアが浮名を流した相手と何ら変わりはない身体だけの関係。それに気が付いていないのは、ジョシュア本人だけだ。
幼馴染の王子の想いを利用してイモジェンは婚約者であるジョシュアを手に入れた。
寝取られ男という評判を避けようとするプライドを煽る形で執着を手に入れた。
そこに愛は欠片もない。
ブライアンからのイモジェンへの愛も、ジョシュアを煽る為に利用しているうちに歪んでいった。
イモジェンのブライアンへの想いも歪んでいった。
愛も何もない三角関係で、二つの愛は歪んだ。
当て馬としてしか愛する女を手に入れられなかった王子は彼女を愛しながらも憎み、
王子を当て馬にした女はプライドを守ろうとする愛する男を声もなく嗤い、
女たらしは寝取られ男と嘲笑されるのを止めようと婚約者に執着している。




