1.師弟の旅行き
天は高く、遠く、あおく、青く、蒼く。
地は遥か広く果てしなく、あかく、朱く。
紅く。
その狭間はただ濁りくすみ、霞んで天の蒼を侵蝕してゆく。
駆け抜けるは一筋の風。
渦巻きはじけ、地を撫で草を揺らし、彼の髪を大きく弄る。
赤茶けた髪の毛を煩わしそうに揺らして、彼は天に目を遣る。
白けた霞みの切れ間に覗く蒼い空。
ただ風が流れてゆく。
北へと。
「北か……」
彼は呟き、ふるりと首を振って視線を落とす。
伏せた目蓋の蔭で、緑柱石の瞳が果てしない闇を湛え、きらりと光を弾いた。
1.師弟の旅行き
後代の歴史書はこう語るであろう。
吐蕃皇国第32代皇は、皇国後期の皇の中では最も善政をしいた皇であったと。
彼の皇の治世では、周辺の諸民族との小競り合いはいくつかあったものの、大規模な軍事的事件もなく、皇国民の生活はまずまず安定したものであった。
また、彼の皇の御世の特徴を挙げるなら、大規模な土木事業が多く行なわれていたということである。
大陸横断の交易路も、皇国の勢力範囲内ではまずまず整えられ、治安もやや改善された。しかしやはり特筆すべきは皇国全土を網羅する大運河を完成させたことであろう。
これが完成したことにより、皇国内の人や物の流通が盛んに、かつ速やかに行なわれるようになり、特に商業が活発に行なわれるようになった。また、皇国中に各地の物や情報が伝わり易くなり、国としての一体感も強まったといえる。
(例え他にどのような欠点があったとしても)
運河を往く船上で流れゆく景色を眺めながら、嵐は思う。
(確かに前皇は偉大な事業を成し遂げた皇として伝えられてゆくのであろうな。こんなに途方もなく巨大な、便利なものを本当に造り上げてしまったのだからのう)
川面を渡る風が嵐の赤茶けた髪を弄って抜けてゆく。
嵐の傍らでは、「自称弟子」の百が船腹を叩く白い波飛沫やその奥の水底を覗き込んではしきりに歓声を上げている。山の麓の沙漠の町で生まれ育った百にとって大河や運河は生まれてこの方15年、たくさんの初体験を与えてくれるもののようであった。といっても旅を始めて既に一ヶ月は過ぎ、内ほぼ一ヶ月は運河を巡る定期連絡船の旅であったことを思えば、そろそろ物珍しさも薄れてこようというものだが、百にとってはまだまだ船旅には目新しい発見が盛りだくさんであるようだ。
季節は既に6月に入っていた。彼らは数日前に沢東公国を出て以来、馬と船を使いながら旅を続けている。幸い、好天にも多く恵まれ、一ヶ月前に沙南公国を出て以降は非常にいい速さで旅を続けてきていた。
この辺りは緯度も高いため、春の訪れは遅い。ちょうど今頃の季節が、短い春の最盛期といってよい。
運河の周囲は、町や村以外はだだっ広い耕作地と未開墾の平原とが広がっている。実のところこの辺りは吐蕃皇国有数の穀倉地帯である。ここで作られる農作物が吐蕃皇国という巨大な国を支える土台であるといっても過言ではない。
嵐の見る先にもきれいに耕された畝と、そこで働く農夫たちの姿があった。現在は苗や種を植える作業に忙しいようであった。
のどかといってよい景色の中、しかしその視線がこの船の行く先を捉えるとき、嵐の翠色の瞳には堅い光がちかちかする。
春色の平原と、運河の先。今はまだ影すら見えない吐蕃皇国首都「大都」。このまま順調に進めば、半月後の距離に、確かにそれは待っているのである。それを思うとき、嵐の穏やかな表情に、ふっと堅いものが過ぎるようであった。
ぼんやりと船旅を楽しんでいる嵐を、百がつついた。
「師匠、あれあれ、あのおっきなの、何ですか!?」
興奮したように水面を指しながら、百が嵐にきらきらした目を向ける。嵐が指された方を見ると、そこには数頭の河海豚が波を切って船と併走していた。嵐が眠そうだった目をぱっちりと開く。
「ほほう、珍しい。あれは『河海豚』だ」
「かわいるか?っていうんですか?おっきいしかわいいですね〜それにすっげー速いや!」
「そうだな。あれは海にも似た種のものがいるが、それもあのように体が大きく泳ぎが速い。それに賢いのだという」
「え、じゃあこいつ、海にもいるんすか?」
百が目を見開いて嵐を振り返る。百は内陸育ちであったが、先日沢東公国に滞在中、一度海を見たことがある。といっても港の岸壁から遥か水平線を眺めただけであったが、彼にとっては相当なカルチャーショックであったらしい。
「いや、こいつらは海では暮らせない。似た奴がおるということだ。それに、こいつらと遇えることだって相当に珍しいことなのだぞ。こいつらはちょうどこの辺りにしか住んでおらん。全体数も少ないから、この辺りの者もあまりたくさん獲らんようにしておるくらいだしのう」
「え、こいつって食えるんですか!?」
「…何をそんなに驚くことがある?そなたとて大蜥蜴を食うであろう?」
「…」
ショックを受けたような百の表情に嵐がにやりと笑った。百はいまいち納得できないらしく尚もぶつぶつ言っていたが、やがて刻々変わる景色に再び興味津々の視線を向け始めた。
嵐と百、「一応」師弟の間柄の二人はこんな感じで旅を続けていた。
吐蕃暦331年5月初め。西の公国・沙南公国を、春祭である『花の祭』でにぎわっている最中に旅立ち、まずは東の公国・沢東公国を目指した。旅を続けるのに必要な移動手段である馬を手に入れることと、吐蕃皇国の状況を、より広範に掴むことが目的であった。
沙南から皇国中を網の目のように結ぶ運河の定期連絡船に乗って約一ヵ月、5月の末には、彼らは沢東公国に着いた。
沢東公国でも春を祝う祭が行なわれており、そこでは様々な大会が開かれていた。『力自慢大会』もその一つであった。これは文字通り腕に覚えのある者が自分の技を競うもので、相手を殺したり大怪我をさせたりすることは禁じられているが、それ以外は自分の得意分野で1Rを競うという、異種格闘技戦といったものであった。
沢東公国の現在の領主・東公は豪放な人物で、また武勇の者を好むことでも知られている。だからこそ、沢東公国ではこのような大会も開かれるのである。また、しばしば公自身が大会をご覧になることもあるという。
今回が正にそうで、天覧試合となった今年の大会は出場者の気合も違っていた。何しろ入賞賞品は豪華だし、もしもここで公の眼鏡に適うことにでもなれば、近侍に取り立てられる可能性だってある。そんなわけで、会場は異様ともいえる盛り上がりであった。
そんな中、飛び入りで出場した百は、なんと見事に優勝してしまったのである。
しかし賞品である金を受け取った百は、複雑な表情であった。というのも、今年の賞品は優勝が金、二等が馬で、実は百は二等の馬が目当てであったりしたからである。申し訳なさそうな表情で戻ってきた百を、嵐は笑って迎えた。
「そんながっかりした顔をするものではないよ。見事なものではないか。新参者が優勝を掻っ攫うなど、なかなかあるものではないだろう。そなたは立派だぞ」
嵐の言葉に百はぱあっと嬉しそうな表情になったが、すぐに困った顔に戻る。
「でも馬がいるんですよね?これだって重いし。市にだってそんなに馬はいなかったし…」
嵐は百のあまりの無欲さに笑いをこらえることが難しかった。しかしそれをおさえて、心配することはない、と百に告げた。
その後、嵐は二等となった人物と交渉した。その結果、百の優勝賞金の三分の二と二等賞品の馬とを交換。更に彼のはからいでもう一頭、馬を入手することに成功したのである。
彼らはその後しばらく沢東公国内で装備を整え直し、10日ほどの後に再び旅立った。今度は馬二頭を伴っての旅である。
彼らの旅は基本的に昼間移動して夜は休むといったものであった。これが沙漠や或いは北方草原地帯の治安の悪い地域であったりしたら、昼夜逆の行程を採ったりもするのだが、この辺り、つまり沢東公国や吐蕃王国領域は治安が良く、気候も穏やかであるため、無理をする必要がなく、安心して旅をすることができるのである。
沢東公国までの旅はスピード重視で運河を巡る船旅であったが、今度は、馬で行ける道は馬に乗って進み、それ以外は運河を渡る連絡船等を利用する、といったものになった。
ここで百がいささかならず意外に思ったことに、嵐は馬の扱いに慣れており、また、乗馬も相当巧みであった。
嵐は特に運動神経が鈍いというわけではなかったが、何しろ体格も細く、小さい。百は初対面で嵐を(遠目とはいえ)少女と勘違いしたくらいである。体力も特に優れているわけではない。どちらかといえば知恵を武器に渡り歩く人物である。そんな自分の師匠の意外な一面を知って百は、更に彼への傾倒を深くしていったのである。
一方百は、馬の扱いに全く慣れていなかった。何しろ彼の生まれ育ったのは沙漠地帯の村であり、生業も樵。仕事に馬力のある動物を使うこともあるにはあったが、足場の悪い山道に向いているのは馬よりもむしろ牛の方であり、しかしそれすら貴重品であった彼の村で、そもそも馬に触れる機会などほとんどあろうはずもなかった。そこで百は、馬の引き方から世話の仕方、そして騎乗術まで、一から嵐に教わることとなったのである。
嵐としても、それを見越していたからこそ旅の早期で馬を手に入れたかったのである。百が自分について来ると言う以上、彼には早々に嵐と同等に馬を扱えるようになってもらわなければならなかった。
「吐蕃皇国は大まかに四つの特徴的な地域に分けて捉えることができる」
だいぶん乗馬姿の様になってきた百に、馬上で嵐が話して聞かせる。
「軍事面にもその傾向は顕著に現れておる。
例えばここ、東の沢東公国は皇国一強力な歩兵を有しておる。その兵力も約十万と最も多い。というのも、皇国の東側は平地が多く、土地も肥えておる。大陸中有数の穀倉地帯だ。だからこそ、この辺りに住む人間は多い。そしてそれを賄って余りある収穫が、ここでは得られるのだ。だからこそ、人間が多く、自然兵力も多く集めることが可能となる。そして土地は平坦。起伏も乏しく巨大な遮蔽物も少ない。こういった土地での最も有効な戦い方とは圧倒的な兵力で押すことだ。だから、東の軍隊は重装歩兵の大軍が主力となっておる。
一方、北は騎兵が強い。何と言っても騎馬遊牧民族の土地だからのう。一般に騎兵一騎の能力は歩兵四人とほぼ同等と考えてよい。ゆえに全体の兵力が四分の一でも騎兵は歩兵に引けを取らぬ。むしろ、破壊力と機動力が増す分、四分の一の兵力でも勝てるであろう。
しかし現在の北の総合軍事力は、あまり強くない。度重なる内乱や気候異常による民族の移動によって北の地域の住民自体が減少の傾向にあるためだ。例え必要があって全兵力を集めようとも、無理であろうな。何しろ遊牧生活を送っておる者は、基本的に家畜を養う場所を求めてより条件のいい土地へと移って行くものだ。招集をかけようにもどこに誰が居るか、把握しておる者はおらぬであろう」
嵐の話をどこまで理解しているのか、百はしかし、熱心に彼の話に聞き入っていた。
「それじゃあ、沙南はどうなんですか?」
「うむ。沙南公国のある西側はちと事情が違うな。まず、基本的に西と南は軍事力が弱い。
西は沙南公国を見て分かるとおり、基本的には商業を生業としておる。しかも河の支流が多く、更に大地の起伏も激しくて高い山も幾つかある。ゆえに、大軍を持ちにくい土地柄といえるのだよ。例え人数を集めることができたとして、それを効果的に動かせる土地柄ではない。東西の交通の要衝の地であるから、人の出入りは激しいし、定住民と同等、移動民も多い土地柄だ。なかなか一つの意思の下に集う兵士を集め育てるのは難しいであろうな。
実際、現在の沙南公国の有する軍事力は他の二公国に比べ、格段に弱く兵士も少ない。しかもその機能のほとんどは警察機能に占められている。あまり「軍事力」とはいえぬな。
ただし、他の地域と比べて西側には潜在的な兵力が非常に多い。傭兵の存在だ。「沙漠の道」と「海の道」から入ってくる他国人や移動民族は、皇国中で一番多く西側に集っておる。現在も沙南では傭兵を公国軍に加入させておる。彼らは忠誠心といったものには欠けておるやも知れぬが、功名心と実戦経験から培われた戦勘と度胸は正規軍兵士に比べて格段に強い。ある意味、正規軍よりも優秀な軍隊を作ることも可能なのだよ」
「へええ……」
百の出身地である村、『黄瀬』も沙南公国の領地内である。もちろん百は沙南公国本土に行ったことなど今までほとんどなかったし、無学で政にはあまり関心のなかったこともあり、そんな国のシステムの話など、彼は今まであまり知らなかった。というよりも、ほとんど興味がなかったと言った方が正しい。だから沙南公国軍の内情など、今まで全くと言ってよいほど知らなかった。
沙南公国では徴兵制度もあれどゆるく、『県』『邑』までは男子15歳から強制的に一年間の徴兵が課せられていたが、それより小さい行政単位の『村』や『町』などにはそれがいきわたっていないことが多かった。百は今年15歳になったわけだから、徴兵の心配をしなければならなかったのかもしれないが、『黄瀬』は行政単位としては『村』であり、あまり強制力はなかった。実際、毎年行きたい者だけが数人徴兵に応じている程度である。百の四人の兄も、それぞれ個別の理由はあれど、全員徴兵を受けていない。それでもそれは特に例外的なことではないのである。百とてこのままでは結果的に徴兵を受けることはないであろう。
「南はまたこれも特殊な土地柄だ。まず結論から言えば、南には軍事力と呼べるものは存在しない。せいぜいが民兵程度の警備組織だ。
これは南の土地柄に因る。
南は少数民族――と言うよりも、一族毎にコミュニティをつくって住まっている。その居住地もそれぞれ相当に離れている。故に相互の交流が薄く、反対に一族内の結束力は異常といってよいほど固い。また排他的で余所者には猜疑心と警戒心の強い人柄ゆえに、商売人や傭兵といった移動職業民からもあまり関わるのを好まれないし、彼らも基本的に余所者を信用して雇おうということをしない。しかし自分たちの身の安全は図りたいので、武力は必要だ。だから彼らは自ら武器を取り、自分たちの身を守る。いわゆる自警団だ。
こういった理由で南には統一の軍事組織は存在しない。侮るのは危険だが、国としてそもそも機能せぬ武力は、こういう場合あまり考えに入れることはせぬ」
「へええ…そう言えば、母ちゃん言ってたなあ。南の人間は恩知らずで怖い。何を考えているのかさっぱりわからない。だからあまり係わり合いになるんじゃないって」
「ほう?そのようにそなたらの間では言われておるのか?」
百の言葉に嵐が目を見開いて問い返す。
「うん、オレもあんまり南の奴らと会ったことないけど…でもなんか、目付きの悪い、やな感じの奴らだった」
「ほほう…」
顔を顰めて答える百を、嵐は興味深げな視線で見返して、頷いた。
「最後に中央の吐蕃王国だが、これは王国独自の軍事力というよりも、皇国の軍事力と言った方が分かり易いであろう。王国と皇国の軍は既に不可分の組織となっておるからな。
ひとことで言えば皇国全土の各軍のいいところを集めたものだ。首都――現在では大都だが――そこにも常駐軍は配備されておるが、基本的に皇国中の軍事力は全て吐蕃皇のものだ。皇の命令一つで三公国軍を動かすことができる。南とて、皇の命令に逆らうことは不可能だ。命令さえあれば、彼らも兵力を揃えて皇の指揮下に入らねばならぬことになっておる。
また、皇直属の軍もある。近衛兵団だが、これは皇国中から選りすぐった人材を登用して組織されておる、いわばエリート軍。はえぬきの精鋭による最強軍と言われておる。これが常に皇を、王城を守っておる。
これの特筆すべきところは呪術を用いるのが特に優れているというところだ。
首都の大都には、皇の住いでもある王城・円城があるが、この城内に「皇立呪術研究所」がある。ここには術力を有する者やその研究に秀でた者が所属していて、日々研究を重ねておる。その結果は政事や軍事に応用されておる。
その内情はなにぶん秘密事項が多すぎて分からぬことの方が多すぎるが、実際現在までに相当な成果を上げておるのは事実だ。その分余計に不気味さがあるな」
嵐の講義は百には非常に分かりやすかった。しかしなにぶん情報量が多すぎ、更に詳しい分野まで入ってくるようになれば、いずれ分からぬことも多くなってくるのだろうと百は思った。
しかしそれでも、百にとって嵐の語る事柄の全ては、非常に興味深いものであった。河海豚を眺めるのと同じきらきらした目で自分の話に聞き入る百を、嵐は頼もしく、かつ興味深く思っていた。
日の暮れる頃、彼らは馬を停めて野宿の準備を始めた。
まだまだ体力的にも余裕があり、特に百などは夜通し移動してもいいぐらいに思っていたのだが、嵐は無理をする必要はないと判断していた。
何しろこの辺りは既に緯度も高い。日中は汗ばむほどの陽気でも日が落ちた後は急速に寒くなる可能性の高い土地柄である。それに人間が元気でも馬にも休息は必要である。
急ぎたい旅ではあるが、無事に目的地に到着することの方が最重要事項であった。
適当な樹に二頭の馬を繋ぎ荷を降ろして休ませる。
その近くに火を熾して夜食の準備を始める。赤々と燃え始めた火の周りに寝具にも使える大き目の布を二枚セッティングすると、すっかり野宿の雰囲気は整った。
そういった作業をしている嵐の向こうで、百は棒と木切れで何やら武術の稽古をしていた。
昼間、移動中は嵐の語る講義を聴き、夜、眠るまでの時間は武術の稽古に励む。これが百の旅の日課であった。稽古と言っても移動中でしかも二人連れの旅である。そんなに大げさなことはできない。基礎中の基礎である体捌きと筋力トレーニング。この繰り返しをひたすら正確に、たくさんこなすのである。この稽古は、嵐が指導して毎日続けさせているものである。
嵐は基本的に戦闘能力には欠けている。しかしそれは一般戦闘要員と比較してのことであり、基礎から始めて長年鍛えてきた体は、動きは理に適っているし体格のせいもあって小回りが利く。腕力も乏しいため、打撃の威力は弱いが、正確に急所を突くことは得意である。また、力で劣る分、頭脳を使って戦うことも、彼の得意とするところである。
つまり嵐の戦闘能力は、基礎は正確でしっかりしているが応用が利きにくい、或いは応用に繋げるために必要な力が不足しているというものである。これは実戦には不向きな能力で、実際、彼はこれまでの戦闘でも極力、力と力のぶつかり合いは避けるようにしてきているのである。
しかし百のように戦闘に関して全くの素人には基礎を身に着けることが必要だと、嵐は考えているのである。先日は沢東公国の「力自慢大会」で飛び入り参加の上優勝してしまった百ではあるが、それはこれまで樵として働いてきたために身に付いた体力、腕力と、生来の身体的長所でもある腕や足の長さのお陰である。それのみに頼ってこの先に行けば、必ず命を落とすことになる。それが分かっているから、嵐は百にあえて基礎稽古を連日繰り返させていた。そして百は、文句を言わずにもくもくとそれをこなしていた。
食事の仕度の手を止めて、嵐は離れた場所で棒切れを振る百の様子を見ていた。
武器に見立てた棒切れでの素振りである。それもただ振り回せばよいというものではない。武器の切先を、振り上げたときと振り下ろしたときで、それぞれ所定の位置をキープせねばならない。左右のブレもおさえねばならない。そのときに軸となる身体も動揺を抑えねばならない。その姿勢を何十回繰り返してもキープできねばならない。
これは口で言ったり頭で考えたりするだけならさほど難しいこととは思えないかもしれないが、実際にやると意外に難しい。考えていてはできないことであり、また筋力が必要な場所に働かねば維持できない動作である。これをマスターするには唯一つ。身体が覚えるまでひたすら叩き込むことである。
最初の頃は肩に力が入って変な格好になっていたり動きがぎこちなくなったり、変な場所の筋肉を傷めて音を上げてしまったりしていた百であったが、ここ数日、ようやく動作から不自然さが抜けてきていた。そして同時に、理想的な力強さも現れ始めていた。
「まあ、筋の良い方であろうな」
そう評した嵐の表情は、どことなく満足げで微笑ましげであった。




