8 引越し
次の引っ越し先に決めたのはあのバーのある付近にした。
1LDKの築数年のまだ若い鉄筋構造。
デザイナーズマンションで少し値がはったけど前回のあのマンションよりは家賃は安く済んだ。
家具類とか電化製品とか全部リサイクルショップに売った。
全部業者が持って行ってくれたから楽だった。
あの男のものはあの振られた日の次の日にはすべてなくなってた。
帰ってきてポストに入ってる鍵を見てホントにもう終わったんだと実感した。
半分なくなったこの部屋は空っぽ同然だった。
毎日ソファで寝て夜が怖かった。
「これで、全部か?」
「うん。ありがと。持つべきものはイケメンの幼なじみだね!」
「調子のいいことを。」
「アハ。」
本当に空っぽになった部屋にはいつぞ見てなかった日差しが部屋に降り注いでいた。
四方八方どこを見てもいろんな思い出を思い出せる。
だけど、思い出一つ一つをなぞる気持ちにはなれなかった。
「朝子?」
トリップしてたら声をかけられて、その声が良太に聞こえた。
そんなわけないのに。
はっと我に帰って苦しくなった。
「どうした。もう行こう。」
「うん。大家さんに挨拶しなきゃ。」
いつものスーツと勿論違ってジーンズに明るいグリーンのパーカーにタオルを頭に巻いて動きやすさ重視の格好だった。着ているものがカジュアルになるだけで樹はずっと若く見えた。
きっと、密かに存在しているらしい樹のファンクラブ(由美ちゃん情報)の女子社員たちに写真を撮って売ったら高値がつくだろう。とか、邪な考えがよぎった。
引っ越し先での荷物整理が予定よりずっと早く片づいたのは確かに樹のおかげである。
新品のもので揃えた部屋は季節はずれすぎる新生活である。
樹は聞かなかった。なんで別れたのかとかあの半分無くなった部屋の理由も。
その優しい気づかいに甘えと申し訳なさでいっぱいになった。
本当は気になるんだろうな。
予定通りの煮込みハンバーグを作りながら私の家の新品のソファーで同じく新品のテレビを見ている樹を見た。
「・・・・あのさ。」
「ん?何?」
「その、朝子のそのくせどうにかした方がいいと思う。」
「癖?」
「その、じっと見つめる癖。」
「え?!ごめん。知らなかった。不快だった?!」
「や、そうじゃなくて、なんていうか・・・・・いや、いい。やっぱり。」
なんだか言いにくそうな樹に首を傾げるしかできなかった。
でも、もうなんか気をつけよう。そんな癖があるなんて知らなかったケド。
そういえば、前にも良太とも似たようなことあった気がするけど・・・・ってやめやめ!
この話はおしまい。
ハンバーグをのぞくといい感じに煮えていた。
「うん、うまい!」
「よかった。」
「おまえ、中学までは、いびつな形のおにぎりしか作れなかったのに成長したんだな。」
「失礼な。練習したんだから!」
おいしそうに食べてくれるから作ったかいがあった。
また、つくってやってもいいと思う。
そうだ。結構たくさん作ったし、どうやらお隣さんも一人暮らしらしいから御挨拶にこれを持って行こう。
うまくできたし。お隣さんとはうまくやりたい。
御近所付き合いというのはこの物騒かついつ何が起こるか分からないからしっかりしとかなきゃ。
午後8時くらいに散々戸締りやら火の元やらを注意して樹が帰って行った。
時間的にもそこまで遅くないし
さっそくタッパーにハンバーグをつめてお隣さんに行く。
ピンポーン
「ハイ」
「隣に越してきた水瀬です。ごあいさつに来たんですが。」
しばらくするとがちゃがちゃとドアが開く音して出てきたのは男だった。
背が高くて180以上は絶対あると思った。
びっくりして固まってしまった。
「・・・・・で?」
「え?」
「え・・・って。」
「あ、すみません!えーっと、隣に越してきた水瀬です。コレ、私が作ったハンバーグなんですけどよかったら食べて下さい。」
そう言って差し出すと不信そうにはしてたけど受け取ってくれた。
「これからよろしくお願いします。」
「あー・・・うん。羽月です。よろしく。」
「では、これで。」
「あ、まって。コレタッパーどうしたらいいの。」
「あ!そうだ。どうしましょう?」
「どうしましょうって・・・・」
「また取りに来ます!」
「はぁー・・・まぁ、わかった。大概家にいるからまた訪ねて。」
「わかりました。」
「じゃ。」
と言ってドアが閉められた。
びっくりしたー。まさかお隣さんが男であんなに背がでっかいだなんて。
そういえば、背で驚いてたけど顔は男前だったなぁー。
かっこよかった。
黒のVネックのカットソーからのぞく鎖骨にもドキッとしてしまった。