第九話
第八話に続いての連続とうこうです。
第九話
戦後に公開された米国陸軍の資料に拠れば、1942年(昭和一七年)11月8日未明に、ラバウル基地を空襲したのは、オーストラリア北部を拠点に、日本軍の拠点に対して空襲を繰り返していたジョージ・ケニー少将率いる米第5航空軍であった。
当時、ガダルカナル島攻防の日本側拠点となっていたラバウル基地は、ソロモン諸島への橋頭堡であるとともに豪州方面の連合国軍戦力を南へ押し込める戦略的要衝であった。
そして、それ故に英米の連合国軍にとっては、酷く厄介で目障りな存在であり早期の無力化が望まれていた存在であった。
しかし、ラバウル基地は優秀な搭乗員と優秀な戦闘機(当初は)によって強固に守られており、結果的に米第5航空軍ら在豪連合国軍は高々度からの散発的な夜間爆撃を行うにとどまっていたのが実態だった。
それがこの日に大規模な空襲を行ったのは、第5航空軍首脳内部に連合国軍内で❝点滴爆撃❞などと揶揄されることに対する反発と、一時的な日本軍側攻勢の不活発化を戦力の枯渇と見し攻撃の好機と見ていた事によるものとされている。
投入されたのはB-17・B-24の四発爆撃機約40機、これが時間を合わせてブリスベーンなどのオーストラリア大陸北部に設けられた基地やポートモレスビー等のニューギニア島各地に設営された基地などから飛び立ち、北のビスマルク諸島ニューブリテン島のラバウルを目指したのである。
しかし、作戦は当初から躓くこととなった。
離陸して北上するに従い天候が荒れ、積乱雲を迂回するのに時間や進路、編隊が乱されてしまい、本来の目的地であるラバウル基地へ投入すべき戦力が分散されていまうこととなった。
それでも身近な機体と編隊を組み、八機から十二機の編隊に別れる形で米爆撃機隊はまだ夜が明けぬラバウル基地上空に到達することが出来た。
攻撃目標は編隊がバラバラになった時点で適当、或いは手当たり次第と言った感じとなったが、彼らは通常とは違い3,000mの低高度で爆撃コースに乗って進入した。
しかし、ここでもう一つの誤算が有った。
それは日本側の戦力を枯渇したと判断したことである。
当時、確かに日本軍側の活動は量と質の両面で低調であり積極性を欠いていた。
ただ、それは戦力の枯渇が理由ではなく、先に記した航空隊の再編と移動の準備のために出撃を控えていただけであった。
したがって荒天を辛うじて凌いでラバウルへ辿り着いた米爆撃機隊は、セント・ジョージ
岬の大型電探からの警告に従って発進し待ち構えていたラバウル航空隊の精鋭六〇機の手洗い歓迎を受けることとなったのである。
荒天のため編隊が乱れて相互援護の射撃もままならない米爆撃機と、待ち構えていたラバウル航空隊の精鋭が載る零式艦戦六〇機。
通常であるならこれで話は終わりである、大方の爆撃機が零式艦戦に狩られて戦闘は終了すはずであり、我ら〈蒼電〉小隊の出番は無いはずで有った。
しかし、ここで想定外の要因が働いた。
戦闘が始まったのは未だ夜明け前であった、この時間にラバウル基地を襲ったのは『夜明けの時間帯を狙って飛来知るニューカレドニアからの偵察機が戦果評価をしやすいように』という米国側の都合からであったが、当時の零式艦戦の戦闘機搭乗員の多くが夜間戦闘の経験が乏しくいつも通りに戦え無かったこと、そして日本軍側の意表を突いて此れまでに常用した攻撃高度である10,000m付近の高々度ではなく3,000mの低高度からの進入であったため高空から降りてくるのに時間を浪費する形となって待ち構えていた割には効果的な邀撃が出来ず、結果として米爆撃機側に会戦初期の混乱から立ち直る時間を与える結果となったのである。
予想外の待ち伏せを食らう形の米爆撃機隊、方や待ち構えていたが予想通りに攻撃出来なかった日本軍。
結局、米爆撃機隊はラバウル基地付近に接近すると目標も確かめず爆弾槽に満載してきた爆弾を投下、と言うよりも投棄に近い形でバラ撒いて一目散に遁走を始めたのである。
この結果、面目を潰されたのはラバウル基地の零式艦戦隊の面々である、恐らく「逃がすか!」と口々に叫びながら逃走を図る米重爆撃機を追い可能な限りの攻撃を行ったと思われる。
被弾し火を吹きながらも南方に向かう米重爆撃機と基地を爆撃された怒りから機首と主翼を発射火炎に染めながら追いすがる日本軍の零式艦戦。
傍から見れば米重爆撃機に誘い出される零式艦戦の姿が見出されるだろう。
事実、時間を置いてラバウル基地へ進入した八機の米重爆撃機隊の指揮官と我々〈蒼電〉隊の搭乗員達はそれを見出し、それぞれがチャンスと思い危機だと思って行動を起こしたのだ。
降下を開始した小橋機に続くように私は操縦桿を思いっきり押し込んだ。
一瞬身体が浮く逆加重を経験した後、全開の〈魁〉発動機の力も得て機速はグングン上がってゆく、最終的には850km/hを付近まで出ていたと思うが、私はOPL(光学照準器)のハーフミラー上の光の輪の中で次第に大きくなる目標であるB-17の巨大な機影に集中していた。
その機影は輪の中で膨れ上がり、輪の中から次第にはみ出し始めた、チラリと視線を先行する小橋機に向けるが未だ彼機の機銃は沈黙したままであった。
攻撃目標とされた敵機も当然座したまま撃たれるつもりは無かったであろう。こちらの接近に気付いた敵機から、いや周囲を固める敵友軍機からも射撃可能な搭載機銃が我々に向けられ12,7mmの別名アイスキャンディーと呼ばれる火線が伸ばされ始めた。
その頃の搭載機関銃には一部に前述の光学式等の照準器が設けられていたが、多くの旋回機関銃は通常の照門と照星が付けられて居るだけで見越し角などは感よるか、先に発射された曳光弾の軌跡を基に修正するしか無かった。
それでも米軍機に搭載されたブローニングの12,7mm機関銃は低伸性が良く距離が離れていても当てやすい名銃であった。それは狙われる我々にとってはとっても有り難くはない事ではあるが。
この時の攻撃コースは、後方上面から後追いの形で降下して攻撃するコースを採っていた。これは攻撃時間が長く射撃の修正がし易い反面、敵の防御火器の火線に晒される時間も多くなることから防御火力の濃い米重爆撃機に対しては使用を避けいた方法であった。
しかし、小橋少尉は〈蒼電〉が初見の上に此れまでの日本軍機にはない高速の降下速度を持つことから当てることは不可能と見て実施に踏み切っていた。
自分に向かう敵の火線、その行く先を読んで素早く右と左のフットバーを踏む、いや蹴ると表現した方が正しいだろう。
敵の火線は、際どく紙一重で逸れてゆくが、それでもその都度数発の被弾が有るらしく後方や左右で耳障りな被弾音がする。
辛抱強く接近を行う、やがて照準器の光の輪の中に目標のB-17の機体、いやこれは胴体と言った方が良い物が膨れ上がっていた。
小橋少尉はまだ撃たない。一瞬、私には少尉がこの敵機と刺し違えるのではないかとの思いが浮かんだ。
その刹那、小橋機の機銃が火を吹いた。一瞬遅れて私もスロットに付けられた発射把柄を握りこんだ。私にはそれがまるで手を伸ばせば届く距離に思えた。
私の機体の機首の二門の12,7mmと両主翼計二門の20mmが火を噴くが、それは直ぐに止める事となった。
小橋少尉の射撃は恐ろしく正確で、誤ること無く敵重爆撃機の機体と右主翼の付け根に命中した、そして桁やリブを粉砕し外板に穴を穿ってその巨大な主翼を根本から断ち切ったのである。
そこに私の出番は無かった。
主翼を右の付け根から失ったその巨体は、やがて眼下のジャングルに落ちていった。
しかし、我々に喜ぶ余裕はない、高度6,000mから3,000mへ800km/を超える速度で急降下した我々の鼻先に濃密なジャングルが広がっていたからである。訓練であればここで発動機の回転を絞り速度を落として水平に戻すのだが、今は戦闘中である、そのような操縦を行えば上方で僚機の仇を撃たんと待ち構えている米重爆撃機の防御火線の餌食に成るであろう。事実、この時点でも敵の下面の銃座から断続的に射撃を受けていた。
だから我々は発動機の回転を僅かに落として速度を落とし、800km/hを超える機速のせいで酷く重くなった昇降舵を両足を踏ん張り両手で操縦桿を引き、更にフラップを空戦位置まで下ろし降下の位置エネルギーも活用して機首を持ち上げて、発動機を全開にし再び上昇することにした。
これは高出力の〈魁〉発動機を搭載し上昇能力の高い〈蒼電〉ならではの戦い方であった、我々は必死に追いすがって一撃加えようとする米重爆撃機の射撃をその抜群な上昇力で振りきって高度5,000mで水平に移り再び攻撃の態勢に入る。
それにしても私はこの時この〈蒼電〉の並外れた頑丈さを実感した。此れまでに搭乗した日本軍機は出力の低い発動機を使う事情も有って、極端なまでに軽量化を行い不足する馬力に換える手法を取ることが多かった、零式艦戦もその例外ではない、従って機体の作りが華奢で無理な急降下を行うと翼面にシワが寄ったり桁が曲がったりする事が多くそこからの引き上げは、最悪空中分解の危険もあり、それでなくても桁と翼面外皮を留める鋲の頭が飛んだりして後の整備に多くの時間が必要な場合が多かった。
それが〈蒼電〉では翼面にはシワ一つ無く、鋲の頭が飛んだものも無かった、さすが二式戦の血を引くだけの事はあった。
今度は前方上面からの攻撃と成る、すれ違いざまの攻撃だから敵の火線に晒される時間は短くなる反面、こちらの攻撃時間も短いという先ほどとは逆の攻撃コースであった。
今度の二度目の攻撃は最初の攻撃と違って敵はこちらの存在を認識しており不意打ちには成らない、そうなれば我々は敵が待ち構えている中へ飛び込む訳に成る、故に敵の射撃に晒される時間は短いほどよい、要はこちらが外さなければ良いわけだから。
理由にもならない理由で自分に納得させると、私は小隊長である小橋少尉機の動きに神経を集中させた。
『行くぞ!』と声ではなく、一瞬翼を鋭く降って合図し小橋機は再び機体を翻して降下に入った。
私も空かさず後を追う、再び高速での急降下が始まる。
二度目の攻撃の獲物に選ばれたのは右手のB-17、彼らの編隊から見れば左翼を飛行していた機体だ、我々が降下を始めると自分たちが目標にされていることに気付いたのであろう、防御射撃を開始した。
目前にまるで炎の蛇がのたうつ様に、防御射撃の火線が広がる、それは苛烈だが同時に恐慌の末に死に物狂いで機銃を撃つ敵兵の恐怖心の現れでもあるようだった。敵の立場に立てば当然なのかも知れない、攻撃目標まであと少しと言うところで、初見の敵機に襲われ、編隊長機が一撃で葬り去られたのだ、恐怖にかられて見境なく撃ってくるのは我が身の体験と照らしあわせても当然なことなのかもしれない。勿論、射撃をしているのは標的と成った機体だけではない、周囲の機体も同様に、猛烈な射撃で我々を絡め取ろうとするように撃ってくる、敵である我々と自分達の間の空間の全てを銃弾で埋め尽くすかのように、そして己が生き延びるために。
その光景を❝怖くはないのか?❞と問われれば❝怖い❞のが当然である、しかし、こうした攻撃の時は不思議なことに、むしろ冷静に状況を認識し、無駄な興奮を抑え、恐怖を抑える事ができる。
ここで不用意に興奮や恐怖に呑まれれば帰って敵の火線に身を晒すことに成る、一か八かの大切な一瞬に冷静でいられるかが生き残れる分かれ目だと私は思う。
何より恐慌に落ちって狙いも碌に定めず狂ったように打ち出される銃弾は見た目は確かに怖いが、それを見切って肉薄する時には然程恐怖を感じないのだ。
この時も私はまるで他人の事を客観的に見ているように敵の攻撃を見極め、髪一重でそれを避けて敵に肉薄していった。
今度は正面上方からの攻撃ということで、射撃時間が少なく小橋少尉だけでは撃墜しきれず私にも充分射撃を行う機会が有ると期待したのだが、小橋少尉に集中的にコクピット付近を連打されたB-17は、私がろくに射撃出来ないまま再び上昇に転じる時に振り返るとユックリと高度を落としてジャングルに消えていくのが見えた。
なんとも彼我の実力の差を思い知らされる攻撃で有った。
高度を上げ、再度突入となった時点で小橋機が翼を振ると、スッと私の乗機の後方へ下がった。疑問に思って操縦席を振り返ると小橋少尉は笑顔で頷いた“先に行け!”と言う合図だと理解した私は一度頷いて前方下方へ視線を向けた。四機いたB-17は既に半分の二機となっていたが、それでも相互に援護射撃をしながら飛行を続けていた。
今回も最初の攻撃と同じで後方からの追いすがりコースをとる、相手の射撃に身を晒す時間の長い危険なコースだが既に敵は半減、私の実力でも何とか一機は喰えるであろうとの皮算用もあった。
私はもう一度降下前に周囲を見渡し状況に変化が無いか確認を行う、彼方では第二分隊の成果であろう撃墜結果である二本の立ち上る黒煙を確認した、彼らも着実に成果を上げている様だった。
負けては居られない、そう心に決めて後方に一機に狙いを定めて私は降下を始めた。
敵の編隊は、我々の攻撃で既にバラバラで連携した援護も出来ない状況であった“勝ち目は無い”
そう考えれば行き着く先は一つしかなかった。
彼等はそこで機内に搭載して来た爆弾を投下、いや捨て始めたのだ。爆弾を投棄して速度と高度を上げ我々の攻撃を振りきろうとの算段であろう。
私はそうした敵の動きを確認して降下コースを修正し後ろを飛ぶB-17の主翼付け根に照準を合わせた。照準器の光の輪の中でB-17の姿が急速に膨らむ、散漫と成った敵の防御火器の火線をこれまでと同様にフットバーを左右に蹴りながら鼻先でかわして敵機に肉薄し照準器の中で目一杯にB-17の姿が広がったところで素早く発射把柄を握りこんだ。
機首の12.7mmと主翼の20mm各2門づつの計四門の機銃が銃弾を吐き出す、太さの違う四本の火線は狙い通りに敵機を連打、主翼を根元から断ち切られた敵重爆撃機は瞬く間に地上に向かって落ちていった。
と成れば真の喜ばしいのだが、先に記したように敵は爆弾を捨てて機体を軽くして機速を上げ逃げを打っていた、したがって敵の速度は私の目算よりも幾分速くなっており、着弾は主翼付け根よりも後方に成っいた。咄嗟の事で弾着修正も儘ならず、コックピット後方の動力機銃周辺に集中した着弾は、その後その動力機銃が沈黙した事からその周辺に少なくない損害を与えたようであったが、速度進路とも変わることなくその機体が飛び去って行くのを、降下をする愛機を引き起こしながら私は見送るしかなかった。
これで一応ラバウル空襲は終了です。話はまだ続きますのでもう少しお付き合いください。
ここまで読んでいただき有り難うございました、誤字脱字が有りましたら感想からで結構ですのでお知らせください。
次回はGW明けを予定しています、お楽しみ?お待ちください。




