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第七話

相変わらず説明文多めです。

第七話


 その日の飛行はそこまでだった、私達の初飛行から暫くして天気が崩れ始めた事もあったが、何より初めて本格的に飛行した増加試作の〈蒼電〉の面倒を見る必要が有ったからだ。

 空技廠と航空本部から派遣されてきた整備兵は、六空から我々と一緒に来た整備兵たちに整備を共に行いながら要点を教えていた、その六空からの整備兵たちはこの後で〈蒼電〉整備の主軸と成る要員となる者達だった、その様子を見て私は是非しっかり整備技術を習得して貰いたいと願った。

 私達も座学を終えると宿舎に宛がわれた兵舎に向かった、今日は夕食後に早めに休むように命じられ、差し入れの酒を皆で酌み交わした後、寝台へ潜り込んだ。

 人使いの荒い海軍にしては妙に優しい心遣いと思ったが、どうも翌日からはびっしりと訓練予定が組まれていたらしい。


 一夜明けて私達は六空メンバーは、朝食を取ってから体操をして身体をほぐすと、〈蒼電〉の待つ駐機場へ向かった。

 そこには既に整備を終えて何時でも飛び立てる準備を済ませた愛機達が待っていた。

 その後、再び塚本大尉による座学が有ったがここは割愛させてもらおう。ちなみに引率?の小福田大尉は昨日のうちに補充に送られてきた零式艦戦の一機に乗ってブインへと戻っていた。どうやらこの後の指導は塚本大尉が行うらしかった。

「今日は最初に急降下を試す、

 全機高度6,000まで上がって待機しろ。」

 離陸の順番を待つ私達の耳に小橋少尉の指示が響いた。

「了解」

と、応えて私達は小橋少尉に続いて空へ舞い上がり、高度6,000mで編隊を組むと訓練空域に指定されている洋上へ向かった。

「降下制限速度は制式には650km/hだが、これは仮のものだ。実際は800km/hでも問題ないそうだが様子が判らんから取り敢えず700km/hまでにする。

 高度も6,000mから降下して念のため1,000mまでだ。

 良いな?」

「「「はい!」」」

「では俺から行く、焦らんでも良いから慎重に降りてこい。」

 そう言い終えると小橋機は機首を巡らせて一気に急降下に移り我々の目の前から消えた・・、その位に鋭く急な降下であった。

「う~ん、やはり800km/hを超えてもびくともせんな。

 しかし、引き起こしが少々大変だ。」

などと、小橋少尉のとんでもない発言が無線機の受聴器越しに聞こえてきた。

「次は檜山だ、さっき言った通り落ち着いて降りてこい。」

などと説得力の無い言葉が聞こえて来たが私は、

「檜山、了解!」

 とだけ鋭く返して私はスロットルを目一杯押し込み出力を全開にすると操縦桿をおもいっきり前へ押し倒したのです。

 6,000m上空で450km/hで飛んでいた〈蒼電〉は、直径3メートルのプロペラの推力と地上からの引力の力で一気に速度を上げ始める、速度はあっという間に650km/hを超え、当面の目安である700km/hも超えて800km/hに迫る速さで一気に駆け下って行った。この間さほどの振動も異音も無い、左右の翼を見てもその表面には零式艦戦のような皺は一つも出来てはいない。

 こいつは本物だ、本物の蛮刀だ、いや野太刀だ!そう私は確信を持った。

 鎌倉時代、三尺(約九〇cm)を超える刀を大太刀もしくは野太刀と呼んでいた、本来は騎馬武者が馬上から地上の雑兵を打ち払うために作られたという刀身の長い太刀だが、腕に覚えのある強者は徒戦でも使用したと言われる武具だ。

 豪快にして使うものを選ぶという点では〈蒼電〉と相通ずるものがある。

 高度1,000で機体を水平に戻すために、私は1,500mを過ぎたあたりでスロットルを緩め、昇降舵が重く思いっきり踏ん張って操縦桿を引いた、やっと水平に戻せたといった感じで機体は大きく沈み込みながらも水平に戻って行く。

 高度6,000mから降下して1,500mまでに要した時間は僅か三秒程度、とは言え中々緊張感に富んだ三秒ではあった。それと同時に小橋少尉が引き起こしが大変だと行った意味を身を持って体験する結果でもあった。


 降下訓練から始まった我々の錬成訓練は、我々が〈蒼電〉に慣れる事を目的とすると同時に、この未知の機体の能力を試す事も目的としていたらしい。

 故に訓練項目は多岐に渡ると共に座学も多くまた我々の搭乗しての感触を細かく聞かれたりもした。これには、これまでの日本軍機が得意とした格闘戦を捨て一撃離脱による大型機への攻撃法は熟練搭乗員とはいえ経験は乏しく、手探り状態であったためでもあった。

 それ故に我々は錬成に励み次第に〈蒼電〉と言う零式艦戦とは全く性格の違う戦闘機に慣れていった。

 そうした訓練の中で新しい試みも有った。

 今回、〈蒼電〉の運用においての基本の編隊構成は二機を一個飛行分隊とし二個飛行分隊の計四機で一個飛行小隊としていた。これは既に記しているが、今回初めて体験した編隊構成だった。

 通常、と言うよりこれまで帝国陸海軍では、三機飛行小隊が基本であった。編隊長を頂点に二機の列機が後方左右につくこの編隊構成は互いが充分に連携出来るのであれば大きな力を発揮できた。しかし、戦争の経過とともに戦闘が激化すると失われた人材に補充が追いつかず、練度の低下が進むと編隊を維持するので精一杯となり本来の破壊力は期待できなくなる。

 こうした時、単に長機に飛行も射撃タイミングも追従していれば良い二機分隊構成は極めて習熟が容易で破壊力は三機飛行編隊には劣りはするものの、補充による練度の低下があっても一定水準の破壊力は維持できる点が確認され、特に高速機による一撃離脱は主の欧米において主流となっていた(ドイツ空軍のロッテ編隊が有名)。

 当初、配属された〈蒼電〉が四機であったことから、四機編成は仮のものであると我々は見ていたが実際組んでみると追随がしやすく意思疎通もしやすく有効な編成だと確信することとなった。

 新しい機体に新しい編隊構成と戸惑うことも有ったが、我々は一日も早く有効な戦力に成る必要に迫られていた。

 今、目前の敵に反攻の兆しがあり、零式艦戦だけでは敵の大型爆撃機には太刀打ち出来ない以上、このままでは座して敵の軍門に下る事になりかねない、それは帝国軍人として容認は出来事ではない、が時間に猶予は無い。

 故に帝国海軍は、我々に本土で受け取りと転換訓練を行うのではなく、このカビエンに新戦力である〈蒼電〉を持ち込み、戦場間近のこの場所で戦力化することで敵の反攻に備えようと試みたのだ。

 それだけに当時の訓練はある意味酷く殺気立ってもいた、仕損じや漫然とした行動は例え空中であっても無線電話によって厳しい叱責を受ける結果となり地上へ戻れば暴力こそふるわれ無かったもののミッチリと追加の訓練を受ける結果となっていた。

 少数寡兵では有ってもそうした決意と切迫した情勢と訓練のもと、私達は確実にこのじゃじゃ馬を飼い馴らし有効な戦力化にしつつ有った。

 

 だが意気込みだけでは解決出来ない問題も有った、特に私達が頭を悩ませたのは、大型、特に四発爆撃機との戦闘経験の不足であった、それは先日のブイン上空でのコンソリを邀撃した際にも経験した相手の大きさから来る距離感の誤認とそれによる攻撃の空振り、相手の大きさに幻惑され距離感を誤って有効な攻撃が出来ない結果と成って現れていた。

 確かに訓練中に二度ほど我軍最大級の大型機、二式飛行艇を相手に間合いを確認する機会があったがそれだけでは当然足りず、私達はその対策に頭を悩ませること成った。

 思索の結果、それに対する解決策を私達は現場で調達することを思い至った。

 その解決策とは、近隣を飛行する友軍の大型機を敵機に見立てて、擬似攻撃行動に出ることだった、当時の日本海軍にも四発大型機は有った、九七飛行艇や先に記した大艇と呼ばれる二式飛行艇がそれであった。

 サイズとしては二式飛行艇が全幅38m全長28.13m、九七式飛行艇だと全幅40m全長25.6となり、B-17爆撃機の全長31.6m全幅22.6mやB-24の全幅33.5m全幅20.5mと比較して大きさに問題はなく良い接敵目標と言えた。

 それらの飛行艇はカビエンやラバウル周辺には索敵や人員や物資の輸送で飛行することが有った、それを目敏く見つけ攻撃するつもりで近づくと言う危ない行為であった、当然、友軍の飛行艇側も敵襲と勘違いして反撃に移る危険も有った。

  ましてこちらは配備直後の見慣れない機体、当然敵機と誤認されて銃口を向けられる可能性は高い。実際、私も何度か銃口を向けられ慌てて退避行動をとった経験が有った。

 更に私達はは近隣を飛ぶ双発の海軍の陸上攻撃機や輸送機、果ては陸軍の重爆まで仮想敵に仕立てて攻撃訓練の的として使用させてもらった。

 当然各方面から苦情が相次いだ、私達はいつの間にか❝カビエンの軍鶏❞等と渾名されるように成っており「無闇に近寄れば危険」とまで噂されていたらしい。遂にはカビエン基地の司令より飛行禁止を仄めかされて友軍機への擬似攻撃訓練は中止させられる結果となった。

 この通達に対して小橋少尉は、

「マッ、あっち(爆撃機側)も、防御射撃の良い訓練に成ったろう。」

と笑っていた。


 それ以後も訓練は続いたが、錬成訓練が始まって約二週間、遂に我々にカビエンからラバウルへ移動し実戦に備えるように通達が来た。

 拙作をお読みの諸兄の中には、何故、本来の基地であるブインではなくラバウルなのか?と言う疑問をお持ちの方が居られると思うが、我々が錬成に明け暮れていた間に我々を取り巻く周囲の環境に些かの変化が有った。

 これまで我六空と共にガダルカナルを中心としたソロモン方面で活動してきた台南航空隊が、度重なる戦力の損耗を立て直す為に十一月一日を持って本土へ帰還していた。その結果として私達の第六航空隊が中心と成った戦力の再編成が行われており本拠地がラバウルへ移っていたのだ。

 更に、この頃になると戦力の補充と再編成を終えたと見られる米軍は攻勢を強めつつ有った。

 ラバウルなどの拠点にはB-17やB-24 等の大型爆撃機による爆撃が、物資や人員の補給路である輸送船団にはB-25等の双発爆撃機や艦載機による襲撃が行われ昼夜を分かたず行われ我軍の戦力を削り取っていた。

 我軍も総力を持って反撃を加えたが、八月から開始された米軍の反攻作戦とガダルカナル島を巡る戦いで、陸海軍とも余りに多くの戦力を失っていた、失われた戦力は容易に回復させることが出来ず、我軍の戦力は先細りであった。

 嘗て我軍が握っていたソロモン海域の制空権も既に米軍の手に有り、このままで行けば遠からず戦況は米軍有利となるであろう。

 当然であるが当時の我々がそんな情勢を知る由もない、ただ現場の空気と言ったものでなんとなく感じていたのだ。

 しかしながらこうなれば大型爆撃機専門の出番である。

 寡兵とはいえ物量に物言わせて攻め来る米軍に一矢報い、その攻勢の勢いを少しでも下げねば戦闘機乗りとしては名折れである。


 蛇足ではあるが同じく十一月の一日を持って各隊の名称も一斉に変更され、これまでの第六航空隊、通称六空から第二〇四航空隊、通称二〇四空へと部隊名称が変更されていた、また本土へ帰還して部隊の再編成を行う台南航空隊もだい二五一航空隊と名称が変わっていた。。

 

 命令を受け、翌日の十一月八日を持って全機(と言っても四機だけだが)ラバウルへ移動ということになり、その日は訓練を中止し、そのまま機体の整備と移動の準備に入った。我々も最初は整備の手伝いをしていたのだが目処がついたところで翌日に備えて休むように命じられて宿舎に戻り私物の整理と荷造りをした、もっとも皆私物などは大して持って居るわけもなくそのまま荷造りを済ますと基地司令から激励(恐らく厄介払い)と称して送られた酒を酌み交わして明日への決意を新たにして私達は寝台へ潜り込んだ。


PCの故障と私の体調不良が重なって投稿が遅くなりました。今回はクロームbookからの投稿です。

本文に関しては次回こそ戦闘中心の話になる予定です。・・たぶん。

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