第五話
二式戦闘機〈鍾馗〉VS〈蒼電〉です(笑)
第五話
「〈蒼電〉の開発と改造を行っていのは当初、二式戦を開発、製造していた中島飛行機製造でした、しかし、開戦の影響も有って当時、中島飛行機の仕事量は膨大なものと成っており途中で入り込んできた海軍の機体の開発に当てる人員が居ないのが現状でした。
このままではせっかく巣立とうとしていた〈蒼電〉が危なくなると、危惧した海軍航空本部は新たに〈蒼電〉の開発と製造を各航空機製造会社に打診した。
しかしながら、戦闘機を開発できる一定水準以上の技術力を持つ飛行機製造会社は中島飛行機と同じ様に自分達に割り振られた仕事で手一杯のなのが現状で、海軍の仕事を取れるとは思いながらも手を出せないでいました。
その結果白羽の矢が立てられたのは、比較的手が空いていたと見られる立川飛行機製作所でした。
立川飛行機製作所は海軍には馴染の無い会社でしたが、既に襲撃機や練習機、輸送機の開発と製造で陸軍に認められる存在であり、一式戦〈隼〉の委託製造などで中島飛行機の子会社的な存在となっていました。
しかも、その立川飛行機製作所は東京帝大出身の新進気鋭の長谷川技師を擁して新たに戦闘機開発に望む機会を伺っていたことから話はスムーズに進み二二型以降の開発を立川で行うことと成ったわけです。」
などと塚本大尉は懇切丁寧に私達が命を預けることと成る〈蒼電〉について説明してくれた。
ところで遅まきながらここで〈蒼電〉の基に成った陸軍の二式戦についても記述しておこうと思う。
陸軍二式戦闘機、愛称〈鍾馗〉。試作名称(キ番号)はキ44となる陸軍が初めて開発した重戦闘機である。
この試作名称とは陸軍が、航空機を計画する際に使用していた、機種やメーカーの区分なく統一した通し番号で頭に機体の意味のキを付けていた、この試作名称は制式採用されると形式記号となる。
このほかエンジンや搭載機銃(陸軍では機関砲)にも、ハ(ハツドウキのハより)やホ(キカン・ホウのホより)などの形式記号がある。
このキ44の計画は、昭和一二年(1938年)から昭和一三年(1939年)から始められた一連の開発計画の中で始められている。因みに〈雷電〉となる一四試局地戦闘機の計画がメーカーである三菱に提示されたのは昭和14年(1939年)9月であるからほぼ一年以上の差が有った。
この計画では二式戦以外では長距離侵攻用の長距離複座として二式複座戦闘機〈屠龍〉、格闘戦を重視した対戦闘機戦用の制空戦闘機として一式戦闘機〈隼〉が、そして対戦闘機戦にも対大型機戦にも対応した高速重武装の戦闘機として二式戦〈鍾馗〉が計画されて制式採用されている。
当初は単なる概念研究に過ぎなかった重戦闘機計画であったが、ノモハン事変でのソ連機による一撃離脱戦法に九七戦が苦戦した教訓から軍の要求性能の提示を待たずに中島飛行機がナチスドイツのメッサーシュミットBf109を目標に自主的に開発を開始したと記録に残されているが、一説によれば一足早く完成した一式戦〈隼〉が不採用に成った時の保険的な扱いの実験機ということで新たな試みを数多くしていることも特徴だと言われている。
機体の特徴は大出力の発動機に小型軽量な物が無かった為、爆撃機用に開発された大型のハ41(離昇出力1250馬力)を採用。直径1255mm(お馴染みの栄発動機は1150mm)の発動機を収めた巨大なカウルから急に絞り込んだ機体は全長8,85mと一式戦よりも僅かだが短く、翼長9,118m(一式戦の翼長は10,837m)の主翼と相まってエンジンのボリュームを除けば小ぶりな機体と言える。
最高速度は高度3,700mで580km/hと一式戦よりも70km/h高速な機体に仕上がっている。ただ航続距離は短く(1,600km・隼は3,000km)海外での展開に難が有った。また日本機特有な問題点である降下速度は一応は一式戦とほぼ同じ650km/hに設定されているが実際には800km/hでの降下にでもびくともしなかった実績を持っていると言う。
主翼は中島特有の前縁を直線で後縁が翼端へ向かって前進する平面形をとっており、空力的に前進翼と言える失速に強い翼形となっている。この主翼は二本桁のガッチリした構造で先に記したように800km/hを超える強度を持っていた。
また尾翼は二式戦以降の中島飛行機の特長ともいえる水平尾翼を垂直尾翼より離して前方に設置する形式で操縦に癖が無く射撃時に安定が良いと搭乗員から評価されていた。
その反面、旋回性能や低空、低速での安定性が劣っており軽戦志向のベテランの搭乗員には敬遠される傾向が強く離着陸時に事故が多くて「若い者には載せられない」と言われた割に若い搭乗員の方が乗りこなしていたと言われている。
製造会社の中島飛行機も陸軍もこの問題点と認識しており改良型である二型では離着陸時の安定性を確保する為に垂直尾翼の上への延長がなされていた。
そして、この二式戦の最大の問題点であるが、それは武装の貧弱さに尽きる。
これまでに繰り返し記されているがこの問題点が二式戦を邀撃機の主力に出来なかった理由となっている。
一型で7.7mm二門と主翼への12.7mm砲二門、改良強化型である二型でも機首に12.7mm二門と主翼は一型と同様の12.7mm2門の計四門の搭載に終わっている。
これは陸軍が20mm機関砲の早期の採用に失敗した結果で、開戦時よりエリコンの20mm機銃を搭載していた海軍とは対照的であった。
逆に、操縦席周囲への装甲板と防弾燃料タンクの採用は陸軍の方が早く、九七戦に遡って設置が行われていた。海軍では装甲板と防弾燃料タンクを装着したのが設置済みの二式戦改良型である〈蒼電〉の採用が初と言うのが実態であった。
「さて、海軍はこの二式戦を基本にして局地戦闘機を造ることにしました。しかし、既に戦争は始まっており時間に余裕は有りません。
至急にと言う海軍の無理な要求に対して、製造会社の最初は中島飛行機が、そして途中で引き継いだ立川飛行機と長谷川技師は次の二つの案でその要求に応えてくれました。」
何故か自慢げに頷くと塚本大尉はその続きを語り始めました。
「その立川案は次のような内容でした。
まず第一に、既に二式戦として完成している機体を基本に各部、スロットルや操縦桿、無線機、可能なら翼内砲を含めて海軍向けの艤装で換装した機体を造りそれを〈蒼電〉一一型として採用、機種転換や装備の試験などに使う、更に主翼の延長や機体のバランスの見直しと発動機の換装などを行った新規の機体を二二型として採用したらどうか?と言うものでした。勿論開発中の二二型には転換訓練中に海軍側から出された意見も改造に盛り込むとしていました。
もっとも、立川飛行機と長谷川技師は、既に腹案を持っていたらしく開発を打診して一月余りで二二型の試案を出してきています。」
塚本大尉の話によれば、二式戦を海軍用に改造する案は、昭和一七年(1942年)一〇月に初飛行に成功した一四試局戦がその後の熟成や改修が思いのほか手間取り実戦配備に時間が掛かりそうだと認識された昭和一八年(1942年)四月には陸軍側に打診されており、中島を通して立川に飛行機へ話が回ったのが5月頭で一一型は一月ほどで完成し、その後も比較的スムーズに開発が進められて、その秋の九月には完全新作が陸軍の二式戦二型の採用に先立って前に〈蒼電〉二二型は完成し、今回増加試作機の初期生産分をカビエンまで持ってこられたと言うことだった。
〈蒼電〉二二型の主な諸元は次の通りとなる。(二式戦二型)
全長 9.65m(8.85m)
全幅 10.58m(9.448m)
翼面積 16.2㎡(15㎡)
自重 2,205kg(2,109kg)
全備重量 2,804kg(2764kg)
翼面荷重 173.8kg/㎡(184.67kg/㎡)
発動機 中島〈魁〉(ハ109)
最高速度 603km/h(605km/h)
武装 胴体12.7mm二門(12.7mm二門)
翼内20mm二門(12.7mm二門)
二式戦を海軍の局地戦闘機〈蒼電〉へ中島飛行機から引継ぐ事になった立川飛行機、とう言うより長谷川技師は二式戦の必要以上に詰めた設計に問題が有ると判断、一式戦レベルまで機体を拡大し安定性と稼働性を増す試みをしている。
つまり〈蒼電〉二二型は、実質的な1,500馬力発動機と重武装の重戦闘機化した一式戦ということが出来る。
〈蒼電〉二一型では、発動機をハ41(離昇1,250馬力)海軍名〈魁〉一一型から、過給器を一段二速として各部の見直しを行って安定性を増させた〈魁〉二一型、陸軍形式記号ハ-109、離昇出力1,500馬力へと二式戦二型より一足先に換装、それに伴い機首を30cm延長、更に尾翼側も50cm延長して全体のバランスを見直し垂直尾翼を上方へ50cm拡大するのと合わせて安定性を増させている、加えて発動機の排気管は機体左右に振り分けられて推力式単排気管としてカウルフラップの後方へ取り回されていた、これは当時試みられ始めていた排気ガスのロケット効果を利用したものでこれだけで10~20km/hの向上が認められるものであった。事実、〈蒼電〉は二式戦よりも100kg近く重量が増しているのにもかかわらず速度の低下はごく僅かであった。
ついでながら機首側の延長部分は水メタノールタンクとして使用している。
主翼部は、左右へ50cmづつの延長し全体のバランスを見直している、誤解されている方が多いが二式戦の主翼に有った問題は設計上ミスではなく、単純に始めての重戦闘機の設計で結果的に極端な設計が行われた事に起因する問題であると考えるのが妥当であろう。
実際、中島飛行機では翼長の長さを抑えて(短くして)、翼弦の長さを確保(長くする)ことで高速で飛行する際の空気抵抗を抑え安定性を有る程度実現していると言える。
この他、二式戦を改造して〈蒼電〉にするに当たって、立川飛行機に対して空技廠は可能な限り海軍規格の装備を使用するように求めている。
この為、増槽燃料タンクは陸軍式の左右の翼に付ける200ℓの統一型増槽燃料タンクから機体下に吊るす海軍式の400ℓの統一型増槽へと変更になっている、また通信機の変更から空中線(アンテナ線)が短くなり操縦席前に有ったアンテナ支柱が操縦席後方へ移っている、さらに一式戦、二式戦の外見上の特徴の一つである操縦席前の眼鏡型照準器より光学式照準器へ変更されている。
この他、当初は胴体砲として陸軍の一式一二.七粍固定機関砲を装備していたが、海軍が三式一三粍固定機銃を制式採用した時点でこの機銃へ換装している。どちらもアメリカのブローニングM2重機関銃の航空機搭載型のコピーだが、開発・生産を個別に行なわれ部品や弾薬の互換性の無い状態になっていた。
一連の説明を受けて、いよいよ〈蒼電〉へ搭乗したのはその日の午後だった。
技術や開発絡みの話ばかりですみません、〈蒼電〉中々飛べません><
最後まで読んで頂きありがとうございます。次こそ飛びます!
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