第二四話
お待たせしました、久々に主人公と〈蒼電〉の登場です。
第二四話
昭和十七年(一九四二年)十二月二三日以降、テ号作戦の進行に従い我々ブイン基地飛行隊には新たな任務が加わっていた。
ブーゲンビル島の南、ショートランド諸島のショートランド島南東部に位置する泊地に集結していた友軍艦隊の上空援護がそれであった。
それは我々〈蒼電〉隊も同様であった、これまで足の短い(航続距離の短い)乙戦であることを考慮して基地上空の邀撃任務が中心であったが、ブイン基地からショートランド泊地は目と鼻の先(50kmも無い)ということも有って〈蒼電〉隊にもこの任務が割り当てられる事と成ったのである。
当初は零式艦戦のみで上空援護に当たってきたが、来襲する機体の中には米軍のB17やB24等の四発爆撃機も有り対応に苦慮していたことから対爆撃戦の切り札とも言うべき〈蒼電〉隊に白羽の矢が立つことと成ったわけである。
二四日の十五時、この日最後の上空援護に出撃する各機が滑走路脇に引き出され整備員の手で暖機運転と最後の点検が行われていた。私もその一員として出撃準備を終え、愛機の様子を伺いながら発令所脇の搭乗員詰所の前で煙草を燻らしていた。
そこには各搭乗機の点検を済ませた小隊のメンバーも居て同じように煙草を吹かしながら出発の時を待っていた。時間的には暑さの峠は過ぎたはずだがそこは赤道直下、そう簡単に気温は下がらない、出撃の時間を待つ搭乗員達は詰所の前に張られた天幕の下や近くの木々の木陰で涼みながら各々その時を待っていた。
出撃を待つ搭乗員の中には当然であるが我々の小隊指揮官である小橋中尉もいた、いつもは涼し気な表情の中尉であったが流石にこの暑さには閉口したのか、愛機の点検が済んだ後には私の居た天幕に移動して湯呑みに注がれた白湯で喉を潤していた。
「もう直ぐだな。
檜山、準備は良いか?」
「はい、準備万端!自分も機体も快調です。」
それは出撃前の何時もの会話だった。
何時も中尉は私の状態を気にしてくれていた、列機となってそろそろ二ヶ月経つのであるから私をもう少し信頼し力量を認めて欲しいと思う反面、こうして気を使ってくれる稀有な上官は有り難いとも思った、日本海軍はけっして下位の者に優しい組織では無いのだから。
だから私は虚栄心と遊び心から、そう誇張気味に答えると吸っていた煙草を灰皿へ投げ込み、少し逆に気になっていた事を問い返した。
「それより中尉は本当にあの機体で出撃されるのですか?」
「二二型乙か?まあっ、仕方が有るまい。
あれしか機体は無いからな。」
小橋中尉はそう言って湯呑みから一口白湯を含んでから顔を顰め、自分に宛てがわれた機体に視線を送った。
中尉用に用意されている機体は、昨日届けられた新品の〈蒼電〉だった、しかし、私達がが載る機体とは若干仕様が変更されていた。
〈蒼電〉二二型乙、私達がこれまで使ってきた〈蒼電〉二二型を基本に武装の強化が成された機体だ。これまでの二二型の武装は、機首上面の一二、七ミリ機銃と翼内の二〇ミリ機銃の各二門であった、それが二二型乙では更に翼下の二〇ミリ機銃を搭載したゴンドラを片翼一基の計二基二門を増設している。
これは増え続ける米軍の四発重爆撃機への対応策であり、緊急の火力増加の為の方策であったと言う。確かに二〇ミリ四門と一二、七ミリ二門の火力は強力で例え米軍の四発爆撃機であっても無視し得ない火力であった。
しかし、問題が存在した。
二〇ミリ機銃二門の増設は当然重量の増加も意味している、その結果として機動力の低下が設計当初より懸念されていた。
実際に本日午前中に慣熟を兼ねて飛ばした小橋中尉に拠れば機動力が低下のみならず上昇力や水平飛行時の安定性や操縦士にも問題が有り余程の熟練操縦士でもない限り実戦での使用は不可能との評価がされている。
しかしながら今回ブイン基地に配備された二二型乙は唯一一機、それ故にその貴重な一機は小橋中尉にお鉢が回ってきたという訳である。
「兎に角、火力は申し分ないのだがな、機動性が低すぎる。
まあ爆撃機なら良いが、戦闘機が出てきたら正直苦戦すると思う。」
達人小橋中尉の言葉が私には意外に思えた。
何故なら私の記憶の中の中尉は何時も自信満々で、実際の行動も不可能など有り得ないの人なのだから。
よく考えれば当たり前のことだ、初めて載る機体に命を預けなければいけな、しかもその機体は機上の空論を脱していない自分の力量では御し得ない物なのだから。
いくら小橋中尉でも不満と不安を感じるのは当然のことだ、だから私はこんな言葉を口にしたのかもしれない。
「大丈夫ですよ、奴らの戦闘機はここまでは来れませんし来たことは有りません。」
「思い込みは危ないぞ、奴らがこのまま手を拱いているとは考え難い、
絶対何か手を打って来る」
「その時は、中尉、私が中尉を守りますよ。
中尉の背中をです!
それで敵戦闘機が出て来て、もし中尉を護り切れなかったら。
その時には、私が盾に中尉の盾に成りますよ。」
と、その言葉を聞いた小橋中尉は少し驚いた顔をして、しかし、次の瞬間には苦笑を浮かべて私の額を拳で軽く小突いた。
「そうだったな。俺の後ろにはお前が居る。
あてにしている。
だが自分の身体で私の盾になろうなどと思ってくれるなよ。」
それだけ言うと中尉は、❝時間だ❞と言って発令所前向かって歩いていった。
時間になると出撃搭乗員が発令所前に集められた。
今回の出撃に関する状況説明と注意が、飛行隊長の小福田大尉や参謀より伝達された。
『昨日、三度の空襲を受けているが本日は、現時点までに規模の大きな空襲は無い。』
『上空援護に向かった各隊と護衛の艦船の対空砲の活躍で被害は少なく済んでいるが無傷ではない。』
『ショートランド泊地周辺は雲が多く視界が良くないが、停泊中の艦が電探による警戒を行っている。』
などが伝えられ、本日未明に新鋭防空専用艦が泊地に合流、敵来襲の際にはこの艦から対空射撃の警告が出るので気をつけるようにと申し渡された。
その後に、海軍独特の時計合わせである、『ヨーイ、テッ!』の号令で時計合わせを行い各員乗機へ乗り込み出撃命令を待った。
予定時刻に出撃命令とともに私達は順次離陸を開始、南下してショートランド泊地を目指した。
搭乗員の顔触れは何時もと同じで、小隊長の小橋中尉の僚機として私こと檜山二飛曹で第一飛行分隊を組み、倉本上飛曹と田内上飛が第二飛行分隊を組んでいた。
ブインからショートランド泊地まではおよそ30分程の飛行であり、上空直衛する対象も艦隊の様な移動目標ではなく不動の地点目標であったから迷うこともなく順調に飛行し、やがてショートランド諸島の島々に囲まれた泊地が見えてきた。
我々が泊地上空へ近づくとそれまで上空直衛を行っていた零式艦戦の編隊が警戒態勢で近づいてきた、これに対してこちらの編隊を纏める零式艦戦隊の川田大尉の乗機が味方であることを示すように主翼をバンクさせた。
これに対して接近中の零式艦戦の編隊の長機らしい一機が応答のバンクをして離れていく。やがて汎用周波数に合わせた無線機の受聴機より雑音に紛れて引き継ぎ行う指揮官と思われる声が聞こえた、隊長間の申し渡しが行われてやがてこれまで上空直衛を行ってきた編隊は機首を北に向けは基地上空から離脱して行った。
気がつくと我々の小隊の横にも先の組み〈蒼電〉が並行して飛んでおり、手信号で素早く『後を頼む』といった意思表示をして機首を北に向けてブイン基地へ戻っていった。
私は戻ってゆく友軍機を目の端で追いながら、周囲へ視線を向けた。
情報通りに密雲が所々に浮いていて、中には海面近くから遥か上方まで伸びているものも有って、泊地を形作る島々の島影も相俟って酷く視界を悪くしていた。
「ツバキ、ツバキ。我タチバナ、音・感、明良ナリヤ?」
突然、汎用周波数に合わせていた無線機の受聴機に雑音混じりの音声が飛び込んできた。因みにツバキは我々〈蒼電〉第一小隊の符丁、タチバナは防空専用艦の符丁である。
「我ツバキ一、音声明瞭、感度良好なり。指示を乞う。」
「ツバキハ高度三〇〇〇ニテ、待機サレタシ、方位ハ・・・。」
若い士官と思われる声が、応答した小橋中尉に警戒空域を細かく指定してゆく。やがて交信が終わり中尉の声が私達に向けられた。
「聞いてのとおりだ。
警戒空域へ向かう、遅れるな。」
そういや否や小橋中尉の乗機は翼を翻して警戒空域へ機首を向け上昇始めた。
『あれのどこが、❝機動性が悪い❞んだ?』
と私は心の中でそう呟いた。ただ以前と比べるとやや動きの鈍さは感じられるが問題に成るレベルだろうか?私はそう疑問に思うしか無かった。そして、私が乗ったらまともに飛べないのではないか、とも思った。
高度を上げて自分達の持ち場である、空域に陣取るとやっと下の様子を見ることが出来た、ショートランド泊地には大小三十隻ほどの艦艇が居た、見慣れた「千代田」「日進」といったこれまでにもガダルカナル島方面の作戦に投入されてきた艦や護衛の駆逐艦の他に大小の輸送艦らしい船もいて甲板上には大小の上陸用艇が多数搭載されていた。
私はこれを見て「今度こそはガダルカナル島は奪い返せるぞ。」と一人興奮した事を覚えている、もっともここへ集結した艦船の目的はそれとは全く逆のものであったがその時の私には知る由もなかった。
そうした見慣れた艦船の中に、見慣れない艦影が存在するのに気が付き私はそちらへ視線を向けた。
それは一際大きな戦艦だった、スマートな船体に中央に纏められた艦橋構造物や煙突、通信用のアンテナも艦橋の後方から高く聳えていた。
私には重厚と言うよりもスマートで軽快な印象を持たせる艦と見えたが、その一方で酷くアンバランスに見えた、それは「金剛」型をも大きく上回ると見える艦でありながら主砲が異常に小さく見えたからだった。その艦は前部甲板に三連装三基、後部甲板に同じく三連装二基の計五基一五門の主砲を搭載していたが、私が記憶する限り我が国の戦艦にこのような主砲配置を持った艦は存在せず、その装備とともにその艦の存在は大きな謎であった。
それが私と防空装甲巡洋艦「草薙」の初めての出会いであった。
本作をお読みの諸兄の中にはその艦を戦艦「大和」とは思わなかったのか?との疑問を持たれる方もいるかとは思う、結論から言うならば確かに噂に聞く新型戦艦(当時は情報統制により「大和」の名は海軍の兵といえども知らされていなかった。)の可能性を考えないわけではなかった、しかしながら最新最強と噂される戦艦の主砲が目前の艦の様に少口径砲で有ることは無いと考え、「草薙」を見て「大和」を連想することはなかったのです。
「妙なフネが居ますね。」
「あれが件の防空専用艦だ、
「草薙」型装甲巡洋艦の一番艦だそうだ。」
「あれで巡洋艦なんですか?」
私と同じように初見の艦に疑問を抱いた倉本上飛曹の問いに小橋中尉が応え、さらに田内上飛が疑問を口にした、確かに私もあの大きさで巡洋艦は無いのではないかと思ったがそれに対する小橋中尉の答えは次のとおりであった。
「要は巡洋戦艦ってことらしいが、巡洋戦艦にまともな艦が無いからその艦種は止めたらしい、それで昔懐かしい装甲巡洋艦なんて艦種が再度出てきたらしい。
ただし、あの艦の対空射撃は半端ないらしいから巻き込まれないように気を付けろよ。」
私達だけが受信できる隊内用の周波数であるため好き勝手な事を喋りながら、私達は高度を上げて行った、勿論その間にも私達の視線は四方八方へ向けられていたのは当然の事であった。
私達の編隊は高度三〇〇〇メートまで上昇し、泊地周辺を大きく旋回する形で警戒飛行を開始した。
警戒飛行を行いながら周辺を見回す、異常は無いが友軍機の姿もない。勿論居るのだが泊地の上空と周囲へ分散している為に目につかないのだ。
この時、上空直衛をしていたのは、ブイン基地から派遣された零式艦戦が二個小隊の八機と我々〈蒼電〉の一個小隊四機の計十二機だけなのだから目立たないのは当然であろう、これまでの直衛機が二十機前後居たことを考えると少々心許無い状態でも有った、これはテ号作戦へ可能な限りの航空戦力を投入した結果の産物で流石に機体の遣り繰りが限界に来ている証とも言えた。
それでも当時の我々は自分達が精強な戦力で有ると疑わずこの数でも充分だとも思っていた。
三十分ほどは特に何事もなく時間が経過した。
今日はこのまま敵襲もなく終われるかと思った次の瞬間、耳元の受話器に雑音混じりの音声が響いた。
「泊地上空ノ各隊ヘ、電探二感有リ、方位二五〇、距離八二〇(82km)反応大、大型爆撃機ト見ラレル。」
「聞いたか、お客さんのお出でだ。」
そう言いながら小橋機の増槽が切り離された、私もそれに倣って増槽タンク投棄レバーを引く、そのまま座席の拘束帯を締め直し酸素マスクを付けてゴムバンドの掛りを確認して酸素瓶のコックを開いた。この一連の作業を行いながら周囲にも視線を向ける。
そして、居た。
「草薙」が指示した方角に、小さなゴマ粒の様な点が幾つも見え始めた。数は遠くて解らないが一機や二機ではない、更に高度は私達よりも高いところに居た。
「八時方向に機影!」
私は酸素マスクに組み込まれたマイクに向かってそう叫んだ。
「よくやった、檜山。
敵の高度はおよそ五〇〇〇だ、上昇して敵の頭を抑える。
続け!」
そう言って小橋中尉は機体を上昇させ始めた、流石にこの高度になると機体の重さが顕著に出始め、小橋中尉の機体は何時もよりもやや緩慢な角度で上昇を始めた。
「タチバナ、タチバナ。我ツバキ一、敵機発見、高度五〇〇〇にて当方に接近中、
我迎撃に当たる。」
小橋中尉は機体を操りながら詳細な情報を、タチバナ・防空巡洋艦「草薙」へ送る。
「タチバナヨリツバキへ、対空射撃ヲ行ウ、接近待テ。」
接近する敵機は三〇機ほどの四発爆撃機だった。
「各機、早まるなよ。突撃は「草薙」が対空射撃で敵の編隊を崩してからだ。」
何時もながら落ち着いた小橋中尉の声が受聴機に響き、私は一度大きく息を吸って吐いた。そしてOPL照準器の電源を入れ反射板に映る照準のサイズを大型機用に設定した。
その時、足元の海面付近で閃光が走った、一呼吸置いて衝撃波が機体を揺さぶり、彼方の敵編隊の周辺で幾つもの爆発が起きた。
それは中尉が言っていた、「草薙」の対空射撃だった、機体を傾けて閃光の走る方角へ目を向けるとそこには五基の砲塔、計十五門の主砲を放つ「草薙」の姿が有った。
「草薙」の射撃は恐ろしいまでに正確で容赦の無いものだった。最初は敵編隊の周辺で炸裂していた砲弾が、射撃を続け敵編隊への射撃諸元が修正されるに従ってその炸裂の閃光は編隊間近から内部へと食い込む形で移行し、やがてその対空弾の散開径に敵爆撃機が捉えられた。
密集した編隊を組んでいたB-17の内、外縁部を守っていた一機が発動機から煙を出して高度を下げ始めた、それと前後して中央部を飛んでいた一機が右主翼の付け根から圧し折られる形で翼を失い一気に錐揉み状態で落下していった。
「草薙」の対空射撃による直接の戦果はそれだけであった。しかし、遠距離で高高度であっても正確に撃ってくる「草薙」の砲撃に敵編隊は散開を余儀なくされた。これは只でさえ命中精度が悪い高高度からの移動する艦船への水平爆撃の戦果を著しく減じさせる事と成ったのである。
主砲に加えて舷側の高角砲も射撃を始めたが、敵編隊が散開しためそれは二射ほどで止められていた。
「草薙」は充分、その役目を果たしてくれた。
ならば、今度は我々の出番であった。
今回は前回より約二週間かかりました、この調子だと年内完結は難しいかもしれません。確か今年の正月も海魔第一章の最後を書いていた気がします。来年の正月も同じように成りそうです。毎年恒例になりそうな予感が・・・。
海魔の本編は次回で完結の予定です。あと少し最後までお付き合い頂けると嬉しいです。
例によって差誤字脱字がありましたらコッソリと感想で良いので書き込んで下さい。勿論感想、批評、意見も大歓迎です。




