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第二一話

三日連続投稿の三日目です、いよいよ戦いはクライマックスです。

第二一話


 それに最初に気がついたのは、重巡洋艦『羽黒』を挟んで後続していた駆逐艦の『村雨』でした、『村雨』の見張り員は右舷前方の彼方で瞬く小さな明かりに気がついたのです。

『「村雨」より、発光信号❝右舷三〇度方向に発射炎多数”です。」

 「村雨」からの発光信号による電文を読み上げる信号員の言葉に、一瞬艦橋内が静まり返る、一呼吸置いて艦長の三谷大佐が叫ぶように命令を下しました。

『右三〇度、探照灯照射、急げ!』

 報告に有った右舷三〇度方向へ幾線もの光芒が向けられ、空かさず見張り員より報告が入りました、

『右三五度、敵魚雷艇多数、距離四〇、退避行動へ入ります。』

『雷跡発見、魚雷来ます!』

『いかん!』

『艦長、回避行動を!』『「村雨」より発光信号!』

 艦橋内に怒声が飛び交い、回避運動の指示を求める声に信号員の声が重なりました。

『❝舵そのまま、赤黒そのまま❞です!(舵そのままは針路そのまま、赤黒そのままは機関出力はそのままで速度を変えないとの意味です。)』

『「村雨」前に出ます!』

 信号員の報告に見張り員の叫び声が重なります。

『止めろ、種子島!』

 それは戦隊参謀長の屋良仁史大佐の押し殺す様な声でした、後に知ったのですが屋良大佐は水雷戦隊あがりの所謂水雷屋で「村雨」艦長の種子島少佐や「峯雲」艦長の上杉中佐とは上官として、戦友として幾度と無く戦場を共にした仲でした。

 右舷を見ると『八咫』が照らす探照灯の光を遮るようにわずか三〇〇メートルほどの距離を開けて『村雨』が並走していました。

 その目的は明確でした。

 文字に書くと長い時間に思われますが、魚雷艇の発見からおそらく三分程しか時間は過ぎていなかったと記憶しています。

 いきなり並走する『村雨』の右舷に高々と水柱が上がりました、僅かな時間の差を開けて計四本、敵魚雷艇が『八咫』へ向けて放った魚雷を『村雨』が我が身で受た瞬間でした、日本の酸素魚雷と比較すると低威力ですが僅か百十メートル足らずの船体に立て続けに四発の魚雷が命中したのです、『村雨』が無事である筈が有りません、しかし『村雨』の艦長の種子島少佐はそれを承知で『八咫』に命中するはずの魚雷を引き受けて旗艦を守りきったのです。

 水柱が崩れ落ちると『村雨』の船体の各所で誘爆と思われる爆発が起こり始めました。

『「村雨」行足止まります!』

 それは見張り員の悲痛な叫び声でした。

 『村雨』は機関室にも被弾した様子で急速に速度を失い、右舷の破孔より流れ込む海水により既に大きく右に傾いていました。

 ❝沈没は時間の問題だ❞と誰もが考えた、しかし、今は戦闘中で救助へは行けない、誰もが断腸の思いで意識を今行われている戦闘に引き戻した。

『敵魚雷艇、再度接近します!』

『後方に別の魚雷艇、攻撃態勢に入っています!』

『照射射撃を許可する、右舷の高角砲、各機銃は接近する敵魚雷艇を狙い打て!』

 何時に無く興奮した表情で三谷艦長はそう命令を下したのです。

 船体中央、煙突周辺に搭載されていた110センチ探照灯が右舷を舐める様に照らし始めました、やがて前回より遠方に高速で近づく魚雷艇の姿が照らし出されました、それを合図に一斉に右舷側に設置されていて敵の軽巡洋艦の砲撃から逃れていた対空用の少口径砲群が火を吹き始めました。

 長十センチ高角砲のかん高い発射音に被さるように重低音のボフォース四〇ミリ機銃の発射音が重なり、そこへややかん高い零式艦戦でお馴染みの二〇ミリ機銃の発射音も加わりました。

 銃撃の行方は曳光弾の軌跡で容易に知ることが出来ました。前回と違い接近を知られていた魚雷艇は射点に着く間もなく次々と機銃により蜂の巣にされ炎上し始めました。

 あと少しで制圧と言う時、魚雷艇群と『八咫』の間に視界を遮るように幾本もの水柱が立ちました、敵の軽巡洋艦隊の援護射撃でした。

『目障りだな、艦長、やはりあつらを叩こう。』

『三式を使いますか?』

『いいな、時間稼ぎにはちょうど良いだろう。

 参謀長、時間はどうだ?』

『間もなく定刻です。』

『よし、本隊にチョッカイ出せないように、もう少し付き合ってもらうとしよう。

 艦長、準備が出来たら砲撃開始だ。』

 そう言って秋山少将は思わせぶりな笑みを浮かべました。

 少しの時間を置いて主砲が再び敵の軽巡洋艦隊へ向けて放たれました。

 今度は全門である九門を使った斉射です。」


 前衛警戒隊を襲撃したのは米海軍の魚雷艇であるPTボートだった、正式名称は哨戒魚雷艇と言うが一般的にはその頭文字を取ったPT(Patrol Tropedo)ボートで呼ばれていた。

 設計はイギリスのハーバート・スコット・ペインで、生産はエルコ社が担当し総数700隻以上が生産された米海軍の主力魚雷艇だった。

 全長は80フィート約20メートル、素材は戦略物資であるアルミを使わないベニアで耐水接着剤を含ませた航空用キャラコを挟んだ物を使用、これにアリソンのV12気筒エンジンを三機搭載して最大速度40ノット(約70km/h)の高速を誇っていた、武装も強力で直径21in(533ミリ)のmk8魚雷4発と20ミリ単装機関砲1基、12.7ミリ連装機銃2基を搭載していた。

 乗員は艇長を含めた士官が2名と9名で殆どが20歳前、士官でも20歳代の若者たちであった。

 彼らは夜陰に紛れて接近し魚雷攻撃を仕掛けるか銃撃によって、ガダルカナル島へ向かう日本の補給船への攻撃を行い補給線切断の大きな戦力に成っていた。

 当時、米海軍はガダルカナル島方面に26隻のPTボートを配備していた、この日メリル少将の要請で出撃したのはエンジンの調子が悪かった2隻を除いた24隻、彼らはメリル少将の第68任務部隊が敵艦隊へ砲撃を集中し、敵艦隊がその対応に追われている隙を突くように暗闇の中を日本艦隊へ接近、攻撃の機会を伺っていたのだ。

 PTボート隊を指揮していたのは当時未だ24歳だったエリック・ブラン中尉だった、彼は敵に気付かれない様にエンジンの出力を抑えて密かに本艦隊へ接近していた。

 そしてメリル少将からの攻撃指示を受けると、日本艦隊との距離が1万メートルを切った時点で全艦に襲撃行動を取らせた。

 狙うは先頭を行く敵戦艦(「八咫」の事と思われる。)。機関音を忍ばせて接近中のPTボート部隊に都合が良いことに敵が転柁、近づいてく来た。

 計画通りに8隻づつ単横陣を三段階に組んだPTボートの第一段が距離四〇〇〇で前部の魚雷を発射、「村雨」が発見した発射炎はこれであった。

 各艦2発、計16発の魚雷は一斉に「八咫」へ向かって放たれた、ブラン中尉は至近距離で発射された魚雷の内少なくとも5発は命中すると見ていたが再度の攻撃の為に一気に最高速度まで速度を上げて反転、次の射点へ向かった。

 しかし、当たるはずの魚雷は「村雨」の我が身を盾にしたことにより全て防がれてしまう結果となった。更に反撃に出た「八咫」により、次の攻撃に移ろうとしていたPTボート隊が狙い撃たれ約半数を失う事となった。

 「村雨」の行動に驚いたのはメリル少将も同様であったが、更にこの段階で斉射で砲撃してきた敵戦艦にも驚かされた。


 戦後公開された報告書と戦闘詳報によれば、露天艦橋の見張り員からの❝敵艦斉射!❞の報に対して、「何故、今になって斉射なんだ?」と、幾分苛立たしげに呟いたとされている。

 「八咫」の主砲である50口径31センチ三連装砲は毎分3発の発射速度を持っている、この時「八咫」は最大の発射速度で砲撃を行っていた。

 撃ち込まれた砲弾は三式弾、正式名称は三式焼霰弾と呼ばれる対空対地用の大型散弾である、「八咫」が使う31センチ砲用の三式弾の危険半径は二三メートル、赤く塗られた砲弾の中には四五〇個の二十五粍焼夷弾子が詰め込まれており、発砲後時限信管により飛翔中に調定時間に至と信管が作動、弾子に着火の上放出、弾子は火炎を発しつつ飛散する構造になっている。

 効果の割に有名なこの砲弾は対空よりも対地対艦用として有効だったと言われている。その炸裂する様子は大輪の牡丹の様に星を開かせる打ち上げ花火と言うよりも進行方向に対して円錐状の散開域を形成して弾子を放つと言われ、残念ながら隅田川の花火宜しくとは行かなかったようである。

 一斉射につき九発の三式弾が敵艦隊に打ち込まれ。暗闇の中、艦隊頭上で三式弾の砲弾が炸裂、一瞬赤い光を放つ火球が現れるが、それは直ぐに赤く燃える火の子となって敵艦隊に降り注ぐ。

 但し見た目の派手さとは裏腹に、実際には弾子の散開径に捕らえないと効果は無い、この時も敵艦を捉えることが出来ないまま四斉射が行われ、結果として三十六発の三式弾が無駄となっている。

 それでも三式弾の弾子は先頭を行くモントピリアを捉えた。

 空中で散開した九発の三式弾の内、四発の弾子一八〇〇個がモントピリア艦上へ降り注いだ。

 三式弾の子弾である弾子の貫通力は大したものでは無い、好条件でも四ミリの装甲を貫通出来る程度と言われている。

 従って今回三式弾がモントピリア艦橋付近を散開径に捉えた時、艦内部のCICに居たメリル少将ら艦隊司令部と艦の主だったメンバーはそれが深刻な事態を引き起こすとの認識は持っていなかった。 

 確かに大した破壊力がある攻撃ではない、しかし、それは装甲に守られた空間に居る場合の話であって、非装甲設備や人体に対しては着弾と同時に撒き散らされる焼夷剤の燃焼効果と弾体が炸裂する際に生じる破片効果により大きな効果を上げることが出来ると考えられていた。

 そして、戦後に公開された各種資料や報告書を読み解くなら、それは敵艦モントピリアの艦上で現実のものとなったと言える。

 命中した弾子は海上へ落ちたそれとは違い落下したその場所で焼夷剤を燃焼させる、たちまち艦上の各所で火の手が上がる事に成る、もちろん弾子の大きさから大して長い時間ではない、だが電探の送受信用アンテナを破壊し電路を断つことも、露天に身をさらす兵員を松明と化すには十分な能力は持っていた。

 従って三式弾の弾子に捉えられたモントピリアのCICではレーダーによる情報も見張り員からの報告も一切が断たれる結果となった。

 訳が解らないまま目を塞がれ、その原因を知るためにCICが有る内部区画から出たメリル少将が目撃したのは一言で理解不能な光景であったといわれている。

 報告書によれば、

「艦橋は舷窓から飛び込んだ弾体の破片により数名の負傷者が出ていたが大きな変化はなかった、しかし、艦上では至るところで火災が発生しており、同時に負傷した乗員が痛みから悲鳴や呻き声を上げていた。

 艦橋から上部の露天艦橋へ上がると、そこには更なる地獄絵図が繰り広げられていた、そこにも数カ所火災が起きていたが特筆すべきは多くの見張り員が血塗れになって倒れている状況であろう。」

と記されている。

 これは三式弾の散開径に露天艦橋が捉えられた結果であった。

 炸裂した弾体の本体はナイフ状の破片と成って高速で降り注ぎレーダーの電路や禄な防御をしていない見張り員たちの身体を切裂き、弾子から放出された焼夷剤は降り注いだ甲板や装備、人に至るまで焼き尽くしたのである。

 露天艦橋の中央には火器管制用の射撃方位盤が設置されていたが、それも明後日の方向を向いて煙を上げていることからココも少なからぬ損害を受けていることが判った、と言う。

 同様な被弾は船体後部でもあった、彼の目前で火球が広がり艦上へ落ちた火の粉から火の手が上がり機関砲の弾帯が誘爆するが見えた、思わずその光景を見入ったメリル少将であったが、危険を察知して艦長が艦内に引き込まなかった戦死者名簿に名を連ねる結果と成ったかも知れないと戦後彼は語っている。

 やがて、打ち拉がれた彼に止めを刺すような光景が彼方に見えた。

「ヘンダーソン上空に吊光弾!」

 この時、生き残っていた見張り員の声にメリル少将は言葉を返すこともなく立ち尽くしていたと戦闘詳報には記されている。

 ヘンダーソン飛行場基地上空に吊光弾、と言う事実は彼の想定外に有った。

 それは日本軍による基地攻撃の前兆を示すものであるからだ。


「参謀長の『定刻です。』と言う言葉に重なるように、

 見張り員が、

『敵基地上空に吊光弾!』

 と叫んだ。

 その声を聞いて秋山少将は、

『よし、王手だ!

 どうする米軍ヤンキー。』

 と、見ようによっては邪悪としか表撃しようのない笑みを浮かべてそう言った。」

 後に第一二戦隊の有川砲術参謀は自身の手記のその時の様子そう記している。


勢いで三日も連続して投稿しましたが如何だったでしょうか?


この調子で終わりまで書いていきますので応援お願いします。

また誤字脱字等が有りましたら感想の方へ書き込んでいただくと助かります。

勿論感想も大歓迎です。

最後までお読み頂きありがとうございました、もう少しお付き合い下さいね。

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