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第一話

南溟の海魔メールシュトームの第二章を書く前に少し整理もかねてこちらを書いてみました。

第一話


 1942年(昭和一七年)は、太平洋戦史おける偉大なる転換点のあった年とされている。

 同年の六月にミッドウェー海戦では、これまで劣勢であった米海軍が当時最強と言われた大日本帝国海軍、その最精鋭である空母機動部隊の正規空母三隻を沈めて一矢を報いている。

 更に八月には帝国海軍が南太平洋ソロモン諸島のガダルカナル島において建設中だった飛行場を米海兵隊が上陸占領している。この占領に端を発したガダルカナル島を巡る戦いは後に“ソロモンの死闘”と称される太平洋戦争の趨勢を決める激戦となる。


 故に太平洋戦史における転換点なのである。


 しかしながらこれは双方にとって予想外の展開であり、齟齬と誤謬と過大評価による判断ミスが招いた予期せぬ戦いでもあった。

 同年七月、アメリカ軍統合参謀本部は反攻の第一段作戦であるウィッチタワー作戦を発令したが、実施の段階で陸軍と海軍の対立が表面化し問題が噴出した。

 問題の一つが実施日であった、当初計画によればDday(実施日)を八月一日としたが、先に行われたミッドウェー海戦において勝利はしたが、艦載機や搭乗員の喪失が多く、特に空母「飛龍」へ攻撃に向かった急降下爆撃隊は全滅に近い損害を蒙り、更に護衛の各艦の損耗も小さくなく流石の工業力を持つアメリカと言えども再建には予想以上の時間が掛かる見込みと成っていた。

 こうした事情から海軍は空母機動部隊再建再編の完了する十月実施を主張し、予定通りの実施を求める陸軍と激しく対立することとなった次第だった。

 もう一つはその攻略目標をどこにするのか?この点でも陸軍と海軍は違う目標を主張していた。陸軍は日本側のソロモン海域最大の拠点である“ラバウル”を制圧・占領し周囲の基地を攻略しながらフィリピンの奪還を目指していた。対する海軍側は制空権が確保できしだいニューカレドニアからソロモン諸島、トラック諸島を経てグアムそして一気に日本本土を攻略すべきだとし、フィリピン奪還は眼中に無かった。

 この様な陸軍と海軍の対立が続き、ウィッチタワー作戦の実施が危ぶまれる中もたらされたのが“日本軍がガダルカナル島に基地を建設中”との偵察機からの一報であった。

 この報告はアメリカ軍司令部を震撼させるに充分なものがあった。

 何故か?


 当時、ミッドウェーの敗戦が有ってもまだ帝国陸海軍は大きな戦力を持ち、太平洋の西半分を勢力下に置いていた。しかし、先のミッドウェーでの敗戦は航空戦力の重要性を再認識させるに充分な効果があり、多数の正規空母を失ったその時点で、最前線であるニューギニア等のソロモン海の島々を所謂不沈空母化する発想が出てくるのは当然の帰結と言えよう。

 その結果が、ソロモン諸島最大の島、ガダルカナル島への航空基地建設であり、そこを足場にソロモン海での制空権を確かなものにしようと言う戦略である。

 そして、それを連合国軍、特にアメリカ軍の視点で見るなら、どう見えるであろうか?

 この時点でソロモン諸島東部のガダルカナル島に建設されつつある飛行場と基地は、南太平洋におけるアメリカ軍の拠点、ニューカレドニアの目前に築かれることとなる、つまりアメリカはその喉元に刃を突きつけられようとしていると言う事が出来るのだ。

 そこからであれば足の長い日本の攻撃機の攻撃可能圏に入る事になる、南太平洋における連合国軍(というよりアメリカ軍)最大の拠点が常時日本軍の攻撃に晒され、オーストラリアへの補給路も脅かされる事となれば反攻作戦など不可能となってしまうからである、となればこれを排除しなければならない。と言う結論になる。


 そこで行われたのが、ガダルカナル島への上陸と建設中の基地の占領であった。


  求められるのは早急な対応である、急ぎ同島への上陸作戦がウィッチタワー作戦に基づき立案され実行された。

 まずは直近に行われる本格的な上陸作戦の下調べの為の強行偵察として海兵隊一個大隊がガダルカナル島へ上陸する事となったので有る。

 作戦実行は八月七日とし、それと並行する形で、師団規模の上陸作戦が計画され実行に移された、これは急遽というより既に反攻のため準備していた海兵隊第1海兵師団の投入を前倒しすることで実行にうつされた。

 八月七日、予定通りにガダルカナル島への上陸に成功したアメリカ海兵隊の偵察大隊であるが、彼らの任務は予定通りに遂行されたがここで思わぬ事態が待っていた。

 彼等は予想に反してそのまま同島日本軍基地を占領してしまったのだ。

 当時同島に居た日本軍の戦闘要員は設営隊と護衛の海軍陸戦隊を合わしても600名足らず、総員でも1500名と言う寡兵であった、偵察大隊も600名弱とほぼ同数の兵力ではあったが火力において日本兵を圧倒し何より不意を突く形でもあったため瞬く間に日本兵は駆逐され同島はアメリカの占領を許す事と成った。

 この結果は日米双方に混乱をもたらす事となった、予想外の占領に成功したアメリカ側であったが同島を確保し続けるには何よりも戦力が不足していた。そこで先に記したように出撃の準備を行っていた第1海兵師団10,500名を増援として前倒しして投入することとして、これに再建中の空母機動部隊の内、ワスプとエンタープライズに使用可能な艦載機を掻き集めて搭載、更に占領後に使う陸軍機も搭載して援護と補充に当てることとした。

 その上で不足する艦船はオーストラリアの支援を受けて補充し、僅か二週間で海兵隊一個師団とそれに伴う装備や弾薬や物資を送り届ける事に成功してる辺りは流石アメリカと言える。

 それでも日本軍が状況を見誤って小規模な部隊派遣に留まっていなければ反攻などする間もなく、同島は再び日本軍の手に戻っていたであろう。


 そう、この反攻を冗長したのは誰であろう、その刃を向けられた大日本帝国である、もっともこれは歴史を知り状況と結果を知る我々だから言える事ではあるが。

 当時、日本軍側も情報が錯綜し、事態の把握に手間取っていたのは事実である、まず第一に舞台となったガダルカナル島の基地についても陸軍と海軍の作戦課の間では意思疎通は成されていたがそれ以上、陸軍省や政府にこの件の情報は通知されておらず、これが対応の遅れの要因の一つになっている。

 さらに上陸したアメリカ軍の数を2,000名程度と過少に誤って伝えられていた事もあって、初期の増援が緊急的な軽装の部隊を投入するなどして全滅に近い損害を受けて事態が膠着する結果と成った。

 その後、日米双方とも補給に苦しみながらの戦いとなったが、八月二一日に上陸した米海兵隊本隊の上陸により質量とも米軍側が勝る事となり、その後のヘンダーソン飛行場と基地の完成で同島を廻る戦いの戦況は確実にアメリカ側に傾く結果となった。


 こうした戦況の下、帝国海軍はニューギニアのニューブリテン島ラバウルに航空隊の精鋭を投入、ここにガダルカナル島の奪還とソロモン海域制圧を目的とした海空戦の幕が切って落とされたのである。

 しかし主戦場と成ったガダルカナル島は、主要基地であるラバウルから560浬の彼方にあり、長距離進攻は搭乗員と機体に過度の負担を強いり、後に両軍より「搭乗員の墓場」と渾名される激戦地となった、特にミッドウェー海戦で機体と人員に余裕のなくなっていた日本側は急速に戦力を消耗させる結果と成った。


 こうした中、私・檜山和則一等飛行兵も、航空戦力の応援として派遣される第六航空隊の先遣隊、零式艦戦18機の一員として昭和一七年八月一九日、木更津飛行場を進発しラバウルへ向かったのである。


今回は世界観の整理もあって説明文ばかりですが次から航空戦が始まります。

最後まで読んで頂きありがとうございます。

誤字脱字等ありましたら教えてください。また感想も大歓迎ですのでお願いします。

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