次男の苦労はまだ続く
僕の兄は、生まれながらの魔術師でした。言葉を覚えるより先に魔術を操り、計算を学ぶよりもはやく長ったらしい呪文をそらんじるような、それはそれはすばらしい魔術の才能を持った天才児だったそうです。兄が恵まれていたのは、魔術の才能だけではありません。母譲りの男にしておくには惜しい傾国の美貌、筋肉がつくべきところにつきながらも暑苦しくないすらりとした体躯、現役騎士をも唸らせる剣術、加えて生まれは王族に連なる五大公爵家筆頭、デュッフェルフ公爵家嫡男。名実共に、天に愛された寵児。端から見れば、垂涎ものの恵まれようです。
しかし、天は二物を与えずといいますでしょう?
天は兄に二物どころか三物も四物も与えましたが、もっとも重要な物を授けませんでした。
それは、端的に表しますと、人と交流する能力。
人の気持ちを考える想像力。
人を思いやる真心……。
兄は致命的に空気が読めませんでした。感情表現は乏しく、眉一つ動かさず思ったことはぽんぽん口にし、人を苛立たせることにも気づかず、挙句に自らが原因で怒った人には悪びれることなく理由をたずねる。
兄がひとえに、たくさんの人に(無自覚とはいえ)喧嘩を売りつつ魔術師としてかろうじてこの国にいられるのも、海より深い陛下の温情と兄の学友(正直兄に“友”の字のつく他人ができたことすら驚きです)であらせられる王太子殿下の口添え、魔術師のたぐいまれなる力がちょっとばかり惜しまれているだけにすぎません。
父は兄の性格が矯正不可能なものと知るや否や、魔術師として大成するための足枷とならぬようにという建前のもと、僕ができるなり早々と兄を公爵家の跡取りからはずしました。その分の責任やら期待やらしわ寄せやらなんやらは、全て次男である僕にきていて迷惑きわまりないのですが……それはさておき。
そんな自由人、変人魔術師と名高い兄にこの度めでたく想い人ができたらしいです。当然兄本人に聞いたわけではありませんが、兄についている隠れた護衛からの知らせなので、ほぼ確実といっていいでしょう。
人間性はともかく、兄の高い魔力はそれだけで次代に繋ぐべき資質です。それを見込み、あるいは前述した兄の経歴につられ、兄が成人したころは縁談が文字どおり山とあったのですが、本人自ら台無しにする始末で……。いや、本人に悪気はないんですよ、これっぽっちも。ただ、兄を落とそうとめかしこんできた良家の(矜持の高い)お嬢さまに向かって「人として不自然なにおいがしますね」といってしまう兄です。ああ、まさか実兄に女性の身嗜みについて逐一説明する日が来ようとは。「それは香水ですよ、いいにおいですよね兄上!」という僕の手助けもむなしく、お嬢さまから張り手をいただいて当然縁談はご破算。納得いかないのは、兄があっさり張り手をよけたばかりに、僕の頬に見事な紅葉が数日くっきり残ったことです。
えっと、また話がそれました。
あの朴念仁に想い人!?と、興味半分、疑い半分の身内を代表して僕がその方をお調べしました。なにしろ、兄は中身はさておき表面は優良物件ですから、玉の輿を狙う女性にとっては格好の獲物。兄が女性に慣れていないのにつけこまれ、あやしい女性に騙されて身ぐるみはがされないとも限りません。素性は大事です。公爵家の人脈と財力とに物を言わせて調べ上げました。
兄の意中のお相手の名は、シェラ・マディスタ。
マディスタ男爵家の長女で、年齢は20歳。未婚の女性としてはやや年嵩ですが、それは男子の多いマディスタ家待望の娘として父親がなかなか手放したがらなかったからであり、彼女自身に非はありません。実家では箱入りと言ってよい可愛がりようであったそうですが、見聞を広めるため彼女は自分で現在の職である侍女の職を得、宮廷にて兄の侍女を一年も勤めているとのこと。
一年も、といいましたが、これは奇跡といってよいでしょう。今まで兄についた侍女は、短くて数時間、長くて一週間で退職もしくは移動願いを出しました。理由は言うまでもなく兄の空気読めなさに神経をやられてです。それに耐え、一年も兄の世話を継続している彼女の凄さに身内としても尊敬ひとしおです。
彼女の働きぶりは侍女長も認めるほどで、同僚からの信頼も厚く、別段美人ではありませんが穏やかで人好きする笑顔が魅力的と異性の間でも人気があるようです。
男爵家と公爵家、普通であればあまり推奨されない身分差ですが、今回ばかりは別です。彼女はうちの残念な兄にはもったいないくらいしっかりしたお嬢さんですが、こちらも切羽つまっているのです。
――身分差なんぞ、うちの奇人の奥方におさまってくれるならくそくらえ。デュッフェルフ公爵家の地位と権力を総動員して、シェラ・マディスタを嫁に迎えよ。
それが彼女の素性を報告した上での一族の意思でした。そしてその意思を体現すべく、現在僕は宮廷にやってきて、物陰から二人をみまもっていましす。
今は、兄の休憩時間。魔術一辺倒だった兄が研究にのめりこまずきちんと休憩をとっていることすら、身内の僕にとっては寝耳に水どころか大洪水でしたが……百聞は一見に如かず、とはこのこと。庭先で休憩をとり、侍女である彼女を傍において紅茶をたしなむ兄はその実、庭の花には目もくれず彼女に見とれているのですが、はたして彼女はそれに気付いているのかいないのか……。というかあれですね、いくら見目麗しいとはいえ、実兄のこういう場面をこそこそ観察するというのは、使命をおびているにせよ、ひどく消耗するというか……精神力的な何かがひたすらゴリゴリ削られているような気分です。
「大丈夫ですか?」
顔に出てしまっていたのか、僕と同じく隣に身をひそめる兄の護衛に心配されてしまいました。ちっとも大丈夫ではないですが、これもデュッフェルフ公爵家の一員である僕の役目であり、次代当主への試練のひとつ……と自分に暗示をかけるのもいい加減限界なのですが兄上。
「さくっと兄上が告白でもしてくれれば、権力にものを言わせてどうにでもできるんだがな……」
「若様……」
鬱屈に任せてぼそりと呟くと、護衛に怯えた目で見られました。咳払いをして、二人に視線を戻します。
「あの兄上だからな、……まずは外堀からかためよう。マディスタ男爵家に今週中に使いを出して男爵夫妻の許可を取り付けろ、あと侍女長と魔術師団にも協力の要請を」
「御意」
さて、当面のあてがたったことですし、今日は引き上げようと僕が腰を上げたとき、護衛がぴくりと眉を動かしました。
「なんだ?」
「庭に、何者かが侵入したようです」
「侵入者……?」
僕がおうむ返しにつぶやくと、護衛は頷きました。そのまま集中して気配を探っているようで、ややあってふっと護衛の緊張が解けました。どうやら、危険人物ではないようです。
「何者だ?」
「猫です」
淡々と告げた護衛は、完全に危険はないものと安心しきっています。一方の僕は、血の気が引きました。
「猫だと!?」
「わ、若様?声が大きいかと」
「まずい、さっさとずらかるぞ!」
「若様!?そのように急に動かれると―――!」
そうなのです。今、僕たちが潜んでいる物陰とは庭にある木の上。兄たちの会話もばっちり盗み聞きできるよう、風下に陣取っています。
ただそれが今は裏目に出ました。
僕は、猫の毛が苦手なのです。猫が近くによると、くしゃみや鼻水、涙が止まらなくなるのです。今僕の横にいる護衛など、護衛の中で比較的若い者は知らないでしょうが。要するに、ここが風下ということで、運悪く猫の毛が風に乗ってやってきて僕のくしゃみがおさえられず、僕たちのことがばれてしまわないとも限りません。
「うわっ!!」
護衛の血相を変えた顔がくるくる回るのを見ながら、僕はあっけなく落ちました。
「きゃあっ」
危ういところで受け身をとり体自体に損傷はありませんが、さすがに姿と落下音は消せません。もしかしたら、兄上は魔術でなんとかできるかもしれませんが、あいにく僕は魔術の方はからっきしです。可憐な悲鳴に覚悟を決めて顔を上げると、二対の目がしっかり僕をとらえていました。
「リオン?お前、ここで何をしている?」
相変わらず何を考えているか身内でも判断しづらい兄上の腕には、問題の猫が抱かれていました。兄上、お願いですからその猫どっかにやってくださいと頼みこむ前に、僕の顔面から一斉にいろいろな液体が噴出しました。慌ててハンカチを取りだすも、とてもじゃありませんが追いつきません。とにかく見苦しくないように、と顔を拭きながら一方で必死にどうやってこの場を切り抜けるか忙しなく頭を動かします。
「あ、そのようにこすってはなりません!」
あわただしく顔を拭っていると、涼やかな声がして、僕のそばに誰かが膝をついたのがかろうじて見えました。有無を言わさずハンカチが取り上げられ、代わりに湿らせてあるタオルが顔にあてられます。その手つきは優しく、幼い日母に泥だらけの顔を優しく拭き取られた時のことを思い出しました。
「大丈夫ですか?どこか怪我をなさっていませんか?」
柔らかな声でそう訊ねられ、お気遣いは非常にうれしいのですが、この顔面崩壊の原因は木から落ちたためではなく猫です。とりあえず兄には猫を即刻ここから退けてほしいのですが、兄は果たして僕のこの厄介な症例は覚えているのでしょうか、……忘れているでしょうね。
「だい、じょう、ぶっ、です……」
「我慢なさらなくていいんですよ?」
ようやく返事を返して顔を上げると、思ったより近くにシェラ嬢の顔がありました。その綺麗な翡翠色の瞳にはっきり自分の姿が映っています。身内以外の女性にこんなに近づいたのははじめてです。慌てて離れようとすると、がしりと腕をつかまれました。
「……え?」
僕の手首をつかんでいる腕は、華美ではなくもそれとなく華やかなレースに包まれています。
つまり。
「シェラ嬢……?」
彼女と僕が初対面なことも忘れて、おそるおそる名前を呟くと、僕の顔が彼女の胸に押し付けられ――ではなく、抱きしめられたのはほぼ同時でした。
言い訳も計算も策略も全て吹っ飛びました。
どういうことですか、これは。
ピシリと固まった空気の中、呟かれた彼女の言葉は幸か不幸か、まわりに響きました。
「かわいい……ドストライクです!」
僕は何も言わず、黙って空を仰ぎました。頭上の木の上で、顔の露出が目元しかないにもかかわらず、呆気にとられている護衛が見えました。
「シェラ……?」
同じく呆然とているらしい兄上がシェラ嬢を呼ぶも、シェラ嬢は目に入っていないようで、僕を放そうとはせず、むしろよりきつく抱きしめました。うわ、地味に窒息しそうです、あ、兄上、シェラ嬢は胸は大きい方みたいです、……ではなく!
「は、放してください!お願いします!」
僕の悲鳴じみた懇願に、ようやくシェラ嬢は自分の行いに気づいたみたいです。謝罪しながら解放してくださいましたが、……えーっと、相変わらず視線は僕に向けられていて、その目がやたらキラキラしているのは気のせいじゃないと思います。心なしか、うっとり恍惚ともしていらっしゃるような。
「あの……今のは一体?」
シェラ嬢は恥ずかしそうに頬に手を当てました。とても可憐な動作ですが、残念なことに視線が僕に固定されていて非常に怖いです。さっきのシェラ嬢を見る兄上といい勝負かもしれません。
「すみません、わたくしその、あなたさまのような、かわいらしい男の子が好みでして……」
確かに、僕は十歳になったばかりですから、少年ですけど……ドストライクですか、そうですか。
まさか、彼女が少年趣味だったとは。
兄の片思い相手に熱っぽい視線を向けられる僕。
その後ろで、珍しく不快な表情を露わにしている兄。
とりあえず、僕の苦労はまだまだ続きそうです……。




