ツイッター短文01
『石窯』
「実は折り入ってご相談がありますのにゃ」
日ごろ穏やかな様子をくずさないにゃん太のあらたまった様子に、シロエはぱちりと瞬きをした。
「それは、班長の相談ならいつでも聞きますけど、一体どうしたんです?」
驚きを隠せないまま問うと、にゃん太は困ったように口を笑ませる。
(あれ? そうじゃなくて、見慣れないけどもしかして照れてるのかな……?)
ただでさえ猫人族の表情は読みにくい上に、相手は老人を自称するにゃん太その人である。けれどちらりと周囲を見回してホールに人のいないことを確認する様子は、やはり常の彼とは違う。
(そわそわする班長って貴重だなぁ……じゃなくて!)
「まあ、とりあえず話してみて下さい。判断はその後にしますから」
こほん、と咳をして居住まいを正すと、にゃん太もそれに倣うよう背筋をのばした。
(そういや班長の猫背は見たことないや……って、それも全然関係ないか)
なかなか話し出さないのでつい思考が横道へそれてしまう。が、ようやく気持ちが決まったのかにゃん太が口を開いた。
「その……ギルドハウスに、設備を増やす許可を頂きたいんですにゃ」
首を傾げて続きを促すと、要はとあるギルドが最近提供を始めたのをにゃん太もギルドに置きたいのだという。
その設備とは〈石窯〉。名前を聞いただけではシロエにはどのような物か全く想像がつかないが、煉瓦にモルタル、断熱に灰と粘土を使った昔ながらの窯なのだそうだ。かまぼこのような形に中は空洞になっていて、小さな扉から薪を入れて温度を上げ、暖まった同じ場所で食材を焼く。
「それは……別に構わないですよ。班長が必要だと思ってるんでしょ?」
ならば反対する理由などないと思うのだが、にゃん太は更に困った様子を見せる。
「その、絶対に必要なものという訳ではないのですにゃ。ただ我が輩が、昔から憧れていたというだけで……」
「ああ……」
なるほど、それで分かった。
いつもは何よりも若者優先。非があれば厳しく指摘はするが、自分のわがままなどついぞ通したことのない人なのだ。その彼が、なんとも面映ゆそうに昔からの夢なのだと語る。
(言ったら怒るかもしれないけど……班長、かわいいな)
思いが顔に出たのだろうか、すました顔に変わってにゃん太は続ける。
「まだ高価ではありますが、費用は個人的に用意しましたにゃ。あとはギルド内に何日か人が入ること、煙突などをつけるので少々大がかりな工事になることをギルマスに認めてもらえるなら」
「ちなみに、おすすめの石窯料理ってなんです?」
何気ない質問にひげをひねってにゃん太が答える。
「まずは何と言っても焼きたてのピザでしょうにゃあ」
焼きたてのピザ。思いがけずなんとも甘美な響き。
「それは、例えば……」
期待を込めて問うと嬉しそうににゃん太の猫目が細まる。
「秋ですからにゃ。キノコのピザに茄子のピザ。変わり種としては秋刀魚のピザなどいかがでしょうにゃあ」
恥ずかしながらごくりと喉が鳴る。
「正直な話、それに反対するようなメンバーはいないと思いますよ」
応えるとにゃん太は優雅な一礼。
「それから、ギルドから半分は資金提供させてもらいますから」
「おやおや、それはまた重畳」
食材の魅力高まる秋を迎えて〈記録の地平線〉の食卓では、温かな料理がずらりと並ぶ。
大はしゃぎするメンバーの後ろで、にゃん太も満足そうに頷くのだった。
『水の空』
「これで…本当にもぐれるんでしょうか……」
「不安?」
気泡のある、厚いガラス瓶に入れられた薬と、大好きなギルマスをミノリは交互に見やった。つきぬけるような青空と、その青を映してさらに深みを増す海の青と。
「ゲーム時代は、このアイテムで水中のモンスターとも戦うことが出来たんだ。大丈夫、何人も試してるそうだし、この周辺に敵の気配はない。海底の景色を眺めてみたくない?」
そう言って不器用に片目を閉じて、彼は自分の分の薬を飲み干した。ミノリの小さな胸が高鳴る。
「服は、このままでいいから」
言って、彼は先にグリフォンから飛び降りてしまった。遅れてあがる水しぶき。飛び込むには勇気がいる。だけど、どこへだってあの人について行きたいから──
「うわぁ……」
ゆらゆらと、思いがけないゆるやかさで水の中へ落ちる。息は、まるで苦しくない。口を開けても中に水がはいってこないのだ。
「きれい…」
空からの陽光が水面に乱反射して、言葉にならない美しさで視界を染める。ゆるやかに、落ちる、冷たい水の中へ。
ある夏の朝。彼女はそんな夢をみた。
『月蝕』
「出られない? いつもの怠けの虫という話でもなさそうですが……」
あんまりな物言いは取り合わない事にする。
「獣に喰らわれた赤い月は異界に通じると申しますから」
レイネシアのつれない声に、長身の男が構う様子はない。
「それはそれは」
形の良い唇が酷薄な笑みをはく。誘うようにのばされた手は触れると意外に思うほど熱い。
形ばかりうやうやしい、騎士が忠節を誓う指先への口づけ。
「無理にでもお連れしたくなる伝承ですね」
『夜半過ぎ』
夜あまり眠れないようになってしまった。
家族の次に大好きな優しいベッドの上で彼女は繰り返し考える。
「何故、あの方はあんなにも…」
圧倒的な力の差を見せて〈敵〉を駆逐していったあの人の姿。常に見せる冷静な、冷たいとすら思える視線とは裏腹の、あの熱。
「どうして、こんなに悲しいのでしょう」
『素足』
「これはこれは、ずいぶんと冒険なさったものです」
高さにしてせいぜい三階建てといったところだろう。
それでも姫と呼ばれ、万が一にも怪我など負わぬよう、大切に守られ育てられてきた彼女だ。その小さな手の握力だけを頼りに窓から蔦を降りようなどと、無謀と言うほかない暴挙であった。
囚われの身。
〈彼ら〉が〈大地人〉である自分に危害を加えたなどと、外に漏れれば破滅を呼びかねない事態であった。
(ですからもちろん、喜び、感謝する場面だと分かってはいるのですけれど……っ)
何メートルも下りないうちに手は痺れ、体を支えられなくなった。
闇の中へ落ちていく恐怖は、とても言葉では言い表せない。悲鳴などあげる余裕もなかった。だから、その人が柔らかく受け止めてくれた後も、自分はまだ落ち続けているのだとレイネシアは信じていた。響きだけは穏やかな、信用などできない声に名前を呼ばれるまでは。
「お、おろして下さい」
未婚でありながら男性に抱かれている異常事態に、レイネシアは顔を赤らめて頼む。
一方のクラスティは彼女など戦でまとう鎧ほどの重さも感じないという顔。必死の頼みも聞こえぬふりで、かえって落とさないよう抱え直した。
「お願いですから……恥ずかしくて死んでしまいそう……」
冬の夜、話す息は白く、腕の中は暖かい。
だからといってこのままでいいはずはないのだ。暗闇にまぎれ忍び込むためか今日のクラスティはいつになく軽装で、自分にいたってはなんと寝間着を羽織っただけの姿だ。
(どうして一番見られたくない姿ばかり、この人に見られてしまうのでしょうか)
恥ずかしさと安堵で、混乱して泣いてしまいそうだ。
(助けに……来て下さったのですね……)
「今は大人しく抱えられていなさい」
子供をあやすような声が耳元でする。
顔を見ようにも夜の墨に塗られて、彼の表情も、心も、見えない。
「まさか、姫を裸足で歩かせるわけにも参りますまい?」
言ったあと、どこから取り出したものか、ふわりと外套を体にまかれる。
大きくて、暖かい。涙が出そうなほどの安心をくれる。
しなやかな銀の髪が月の光を弾かぬように、頭までをまるで荷物のようにおおわれる。
(これなら、少しくらい泣いても分からないかしら……)
はみだした裸足のつま先だけが、冬の風に触れて小さく震えた。