§9 土蜘蛛
§9 土蜘蛛
「子グモ? これで?」
葉子が聞き返す。
言われてみれば、伝説の大妖にしてはあっさりしすぎている。
「分かんないスけど……そんな気がするんス」
「トタテグモは、繁殖後しばらく子グモと一緒に生活するわ。たしかに二匹だけってのも変だし……」
言いかけたあおいは、ふと目の端にピンク色のモノを捉えて振り向いた。
「おねえちゃんたち……何してるの?」
振り向いたあおいも、他の者も息を呑んだ。
そこには小学生くらいの女の子が、一人佇んでいたからだ。もう日は暮れている。しかも周囲に人家はないというのに、こんな小さな子が一人でいるのは普通ではない。
「あ……あなたどこから来たの? ……さっきいた子たちの仲間?」
あおいは、先ほど逃げていった子供達のことを思い出して言った。
「ううん。私はひとり」
少女はかぶりを振った。心なしか哀しげな表情である。
「もう、遅いし危ないよ? 家まで送ってあげる」
「ううん。あの、おねがいがあるの。来てほしいの」
「来るって……どこへ?」
「来て」
それだけ言うと、少女はくるりと向こうを向いて走り出した。
「あ!! ちょっと!!」
あおいは叫んだが、少女は振り返らずに地蔵堂の方へ走っていく。
あわてて追いかけたあおい達は、地蔵堂の向こうに異様な光景を見て立ち止まった。
「でかい!! コイツが親よ!!」
そこにいたのは、先ほどの土蜘蛛とは比べものにならないサイズの巨大なクモだった。
頭胴長だけでも七~八mはあるだろう。脚を広げると十mを越えるかも知れない。
しかも足元には、真っ白な棒状のモノが転がっている。
そのサイズと形状から見て、糸でぐるぐる巻きにされた人間であろう事は想像に難くない。
「さっきの子がやられた……にしては早すぎるわね」
「そうね。それに、あれ大人サイズよ。まあ、生きてるかどうかは分からないけど……」
「何にしても助けましょう!!」
あおい、葉子、いぶき、七海は土蜘蛛を囲むように横に広がった。
玄太だけが巨大蜘蛛に真っ直ぐに突っ込んでいく。
「きゃ!!」
七海が悲鳴を上げた。
動いた時に足元を粘着質の糸で絡め取られたのだ。
転倒した七海に、茂みの中から現れた二~三mクラスの小さな土蜘蛛が襲いかかる。
「くそっ!!」
親グモに体当たり寸前だった玄太は、すんでの所で踏みとどまると、その勢いのまま角度を変えて、七海に噛み付こうとする子グモに向かった。
はじき飛ばされた子グモは茂みに消えたが、まるでそれが増殖したかのように、闇の中から次々に子グモが現れた。おそらくその辺りに巣があったのだろう。
子グモとはいっても、どれもが二~三mクラスの巨大蜘蛛だ。しかも、動きが速い。
玄太は、クモの群れに向かって前のめりに倒れ込むようにふらりと走り出した。
「あっ……真菰く……」
七海が声を掛けようとした時には、もう玄太は平たい円盤状になった自分の体をクモの群れにぶつけていた。
丸鋸のように回転しながら、襲いかかってくる土蜘蛛の群れを次々に屠っていく。
その回転は地面を抉りながら、ようやく止まった。
おおかたのクモを倒し終えた玄太は、大きな甲羅を背負ったような姿のまま仁王立ちになると、七海を守るかのように立ちはだかった。
「危ないから……下がれ」
ぼそりと言った玄太を、七海は押しのけた。
これで終わりではなさそうだ。クモの死体をかき分けて、次々に子グモが闇から現れる。
「ば……馬鹿にしないでください。私だって戦えます!! 私、そんな風に守られるとか、イヤなんです」
言いながら両手を広げ、手のひらに白い霧状の水気を集めていく。それを円盤状の刃に変え、子グモの群れへ投げつけた。土克水。本来であれば、水気は土蜘蛛の土気に負けるはずだ。
だが、強すぎる水気は土の克制を受け付けなくなり、逆に水が土を侮る。これを水侮土という。
水気の刃は先頭のクモの眉間に刺さり、筋状の傷を穿ちながら後方へ飛んだ。
続けて何匹かのクモを倒した水気の刃は、七海の手元から伸びた水気の糸に引かれて戻ってきた。それを再びクモの群れに叩き付ける事を繰り返し、七海はヨーヨーのように水気を操り、群れを近づけない。
玄太は一人群れに突進すると、両手の長い爪を振り回して、一匹ずつとどめを刺していく。
「へええ。意外にいいコンビじゃん」
その様子を見て、安心したようにあおいは言った。
七海は玄太に反発しているようだが、悪くない息の合い方である。
「でもまあ、玄太のヤツには、あとでツッコミ入れてやんなきゃねぇ?」
鞭状の炎で巨大な親グモを攻撃しながら、葉子が面白そうに言った。
「え? それって……?」
「社長もバッカねー。アレのどこが白蛇なのよ? ま、それはそれとして、早くやっつけちゃいましょう?」
「そうね……行きなさいコダマ!!」
あおいの声が響き、周囲の植物がうねるようにして親グモに襲いかかる。
木気を送り込み、植物を操る術なのだ。
八本の脚をコダマの蔓に絡め取られた土蜘蛛は慌てたようにもがいた。自分が糸で相手を身動きとれないようにしたことはあっても、逆は初めてなのだろう。
「これで……とどめ!!」
山姫の姿に変化したいぶきが、手に持った大槌を親グモの頭部に振り下ろした。
周囲に黄色い体液が飛び散り、土蜘蛛の脚が痙攣を始めた。
「後始末は……おまかせ」
葉子がぱちんと指を鳴らすと、土蜘蛛の体が燃え上がり、一気に焼け崩れていった。
*** *** *** *** *** ***
「う……だ……誰かッ!!」
糸で繭状にされた人間を助けるため、葉子が狐火で少しずつ焼いていくと、隙間からかすかに声が上がった。
どうやら、中年の男の声のようである。
「生きてるみたい」
「ま、何にせよ良かったわね」
「うわ!! なんだあんたら、その格好!!」
ほぼ上半身が見えてきた中年の男は、あおい達の姿を見るなり声を上げた。
「あっちゃー、見られた? ダメじゃない稲成さん、変化解いておかなくちゃ」
「そう言う社長のカッコも、ちょっと普通じゃないわよ?」
尻尾と耳を出した妖狐姿の葉子も普通ではないが、土蜘蛛の黄色い返り血を浴びたあおいの白装束姿もまた、一見して普通とは言い難い。
「困ったわねえ。ま、事情話して分かってもらうしかないか……。
それにしても……ね? おじさん、あなた何でこんな時間に、こんなとこうろついてたのよ?」
「う……いや、俺はその……そう、道に迷ってだな……」
男の返答はしどろもどろである。それを聞いたあおいの目が途端に鋭くなった。
「嘘言いなさんな。このへんには迷うほどたくさん道はないわ。神社に行くか、志水東の集落に行くか、それだけの道でしょ?」
「だから……その集落へ行こうとしてたんだよ」
「へえええ? どこから?」
「え……いやその……」
あおいに問い詰められて、棚家は言葉を詰まらせた。
その様子を見て、あおいは納得したように頷いた。
「ははあん……あんたが棚家さんか」
「な……!? なんでそれを!!」
「やっぱそうか。なるほどね」
あおいは宮司に見せてもらった名刺の名前を、カマを掛けるつもりで言ったのだが、見事に図星だったようだ。
「おい!! まさかこのまま警察に突き出そうッてんじゃ……」
下半身を土蜘蛛の糸に固められたままの棚家は、抜け出そうともがきながら叫んだ。
「へえ。あんた警察に突き出されるようなことしてんだ?
ま、そうしてあげてもいいんだけどさ。そういう事なら、とりあえず少し付き合ってもらうわよ」
「な……なんでだッ!?」
「まだ終わったワケじゃないからよ」
「ひ……まだあんなバケモノが出るってのか!?」
「このまんま放っておけばね。それを何とかしに行くんじゃない。えーと、あんたは……」
「俺が連れて行くッス」
玄太がのっそりと進み出て、棚家を担ぎ上げた。
「そういえば。あの女の子、どこ行ったんだろ?」
「お……女の子?」
「小学生ぐらいの女の子。あの子がここへ私達を連れてきてくれなかったら、あなた死んでたわ」
いぶきが棚家を冷たい目で睨みながら言う。
「それ……たぶん、分かるッス」
「え? それって、さっきやりかけたお呪いで?」
きょとんとした顔で訊いてくる七海から目を逸らし、無言で頷くと、玄太は体を揺すって歩き出した。