§5 地脈
§5 地脈
「へええ。よく分かったもんね。そんなこと」
デジカメの画像を確認しながら葉子はしきりに感心しているが、あおいの表情は芳しくない。
状況を整理するため、あおいといぶきは、一度トープス事務所へ戻ったのだ。
「第二の殺人事件が起きたから……そうじゃないかと思ったのよ」
『……祟りか』
ぼそり。とソファの上の地蔵像がつぶやいた。
地蔵像がトープスに居座って、もう一週間になる。
すっかりそこが居場所になってしまっていた。
「まさか!? わたしの地元にそんな強力な妖物はいやしませんて!!」
地蔵像の隣に座っていたむじなは、驚いて飛び上がった。
地蔵像を置いて帰るわけにもいかず、騒がしくなってしまった地元に戻る気もなかったむじなもまた、ここ一週間トープスに居座っているのだ。
「あの辺じゃわたしの妖力が一番強いくらいなんですよ? そりゃあ桂蓮神社の瀬織津姫様は古い強力な厄除けの神様ですけど、こんな目に見える祟りなんて!!」
むじなの言う通り、神罰、天罰は本来そうすぐに目に見える形で起こるものではない。
それも古く強力な神であるほど、周囲への影響が大きくなるため、特に物理的な因果を覆すようなことは起こし得ないのだ。人間を直接惨殺するなど、考えられることではない。
「祟りの正体が瀬織津姫様だなんて言ってないわ。もちろん地元の妖怪でもない。たぶん、あの大杉に封じられていた地脈から解放されたヤツがいるのよ」
「地脈!? 社長はそれを感じたんですか?」
いぶきが驚いたような声を上げた。
樹木や山河の気を読むことを得意とする山姫にも分からなかった気の変化である。人間のあおいに感じられたとは考えにくかったのだ。
「いえ。地脈は木火土金水の気の流れとは別に、地球そのものを流れる巨大なエネルギーよ。
強弱を感じるくらいは出来ても、細かな変化を感じるのは容易じゃないわ。しかも、私は変わる前の地脈の状態を知らないんだから、感じようがないでしょ」
「じゃあ、どうして分かるんです?」
「数百年も生き続ける生命力で地脈を押さえ、また浄化、活性化している巨木は、山そのものと同じくらいの力で地域全体の気を安定させているわ。代替わりが起きて自然に弱って枯死したとかならともかく、突然人為的に枯らされれば、抑えの効かなくなった何かが目覚めても何の不思議もないでしょ」
「えええっ!? そのなにかって……人を殺せるような、そんな怖い怪物なんですか?」
むじなが体をぶるぶる震わせながら言う。
自分の地元の件だけに、当然、人ごとでは済ませられないのだろう。
「まだ……その程度で済めばマシかもね」
葉子が困ったような顔に、わずかに皮肉な笑いを浮かべながら言う。
「それ、どういう意味?」
あおいが怪訝そうな表情で聞く。
「…………社長、四国で何件か同様の事件があったって言ったわよね?」
「ええ……ここ十年ほどの間らしいけど……」
「そっか……それで……」
「え? どういうこと?」
「いえ。そんなこと今言ってもしょうがないわ。社長は大杉が枯れたせいで目覚めたバケモノの特定したいんでしょ? で、出来れば退治したい、と」
「そう。だから、その……悪いんだけど……」
「私の霊査能力が借りたいんでしょ? じゃあすぐ行くわよ」
「今すぐ? でも、稲成さん、もう四時よ。たぶん、帰りは遅くなるけど……弾君は大丈夫?」
あおいは少し心配そうに言う。
弾とは、二ヶ月前に生まれたばかりの葉子の赤ん坊の名である。
「大丈夫。仲間の妖狐に面倒見てもらってるって言ったでしょ?
もうハイハイしてるような成長の早さだし、強い子だよ。ま、少々手は焼くかも知れないけど心配ないない。そんなことより、人食いのバケモノを野放しにしちゃおけないよ」
赤ん坊とはいえ、弾も妖怪の子である。とりあえず心配は要らなさそうであった。
葉子はパソコンをシャットダウンすると、さっさと立ち上がり、純白のコートを羽織った。
「あ、待ってよ。あたしも法衣に着替えておく」
あおいは、自分の戦闘服とも言える修業時代の白装束に着替え始めた。
これまでは、手強い妖怪とも作業服のままで渡り合ってきたあおいだったが、御札や錫杖などの武器を使いこなすには、それなりの格好をしなくてはいけないと悟ったようだ。
「うす。ただいまッス」
その時、低い声と共に事務所のドアが開き、黒い塊が入ってきた。
一見、防寒着そのものが歩いているかのような錯覚を覚えるほど背が低く、タテも横も太い。
細い目、低い鼻、薄い唇。
被っていたフードを脱いだその顔は美男子とは言い難いが、妙な愛嬌があって決して醜くはない。
「さ……寒かったッス」
その若い男はそれだけ言うと、まるで倒れ込むかのように自分の席に腰掛けた。
古い椅子が体重を支えかねてギシギシと音を立てる。
顔色は真っ青だ。
「おかえり真菰君。宮間町の法面工事の現地調査、そんな寒かった?」
「……うす。あっち、雪だったッス」
真菰玄太。
二ヶ月前、株式会社トープスに入社したばかりの見習社員である。
真菰専務の息子であった。
創業以来トープスの専務取締役を務めていた真菰龍司。その正体は蛟竜であり、真菰川の主でもあった彼が、千年の修行を終えて昇天した数日後、トープスを訪ねてきたのが彼であった。
息子、ということであったから、正体は竜であろうと思いきや、彼が言うところによれば齢二百年の白蛇であり血縁はないらしい。
「あら? 社長、稲成先輩、どこかお出かけですか?」
後から、やはり厚手の防寒着を着込んで入ってきたのは、伊園七海だ。
ストレートのショートカットの髪は黒く、金属縁の丸い眼鏡をかけている。下がり気味の目と細い顎は少女のような幼さを残して見えるが、妖怪としての彼女は齢三百年の磯女である。
もともと海に住む妖怪であるせいか、彼女も寒そうにはしているが、玄太ほど弱ってはいない。
七海は外出支度をしている二人を見て、目を丸くした。
もう日没が早くなっている上に天候が思わしくないこともあって、外はすでに薄暗くなりかけているのだ。
「ちょっと厄介な依頼があったのよ……あ、そうだ。七海ちゃんも来てくれない?」
説明しながら、思いついたようにあおいが言った。
「え? 私も?」
「うん。滅多なことはないと思うんだけど、今回の敵は少しヤバイ相手みたいだからね」
葉子はにっこり笑ってウインクした。
相手が男であれば、どんな堅物でも一目惚れしそうな仕草である。初々しさの中にも妖艶さを秘めた笑顔。
この美女の実年齢が、まさか五十六歳とは、誰も想像もしないだろう。
「火性のあたしと木性のいぶき、水性のあんたがいれば、とりあえず死角はないからね」
木・火・土・金・水。
自然界を司る気の流れには、大きく分けてこの五つの種類がある。
それぞれの気は、お互いに関係し合い、移り変わり、強弱、陰陽を持つ。
木克土。火克金。土克水。金克木。水克火。
相剋。それぞれの性質の気は、決まった性質の気に打ち克つ、という意味である。
また。
木生火。火生土。土生金。金生水。水生木。
相生。それぞれの気は、決まった性質の気を、増幅し、強力にする場合もある。
つまり、火性の妖狐は金気を克し、また木気によって力を増す。
木気の山姫は土気を克し、また水気によって力を増す。
だがこの二人だけでは、もし相手が火気の妖物であった場合、決め手を欠くことになる。
そこで水気の磯女である七海がいれば、相手の素性がどうあろうと一方的に負けることはあり得ない、というわけだ。
「お……俺も行きます」
寒さで身を震わせながら真菰玄太が立ち上がった。
「無理しないで。風邪引くわよ?」
「いや。危険な相手だってのに……黙ってられないス」
うっそりと立ち上がった玄太は、一度脱いだ防寒着を、またもそもそと着込み始めた。
「俺……属性、金気ッスから。相手が木気なら少しは、やれますから」
たしかに相手が木気を強く持つ妖物だった場合、そしてそいつが同じ木気を持ついぶきより強力であった場合、金気を持つ玄太がいればかなり助かる。
「でも……日が暮れ始めたらもっと寒くなるわよ?」
「……大丈夫ッス」
玄太は頑なにそう言うと、すでに身支度を調えて歩き出している。
「あれ?……でも、白蛇って金気だっけ??」
あおいは首を傾げて振り返った。
葉子はその問いには答えず、軽く両手を広げ、肩をすくめて見せると玄太に続いて部屋を出て行った。
知らない、ということであろう。
「ま、いいじゃないですか。とにかく早く行きましょう」
いぶきと七海に押されるようにして、あおいも事務所を後にした。