§3 第二の事件
§3 第二の事件
「うわ。すっごい数の人」
いつもの作業着で裏山からがさごそと下りてきたあおいは、茂みに身を隠したまま誰に言うともなくつぶやいた。
地蔵像の置いてあったお堂は、ロープが張られ、数人の警官が見張っていた。
だが血痕のあった路上の方は、二週間も経ってすでに保全措置が解除されたようで、ロープも張っておらず、マスコミとおぼしき者達もそのあたりをうろうろと歩き回っている。
「まあ、怪事件の後、今度は肝心の地蔵像が行方不明ってんじゃ、マスコミも食いつきますよ」
いぶきが諦めたようにつぶやく。
「どうしようかしら。一応警察に話は通ってるはずだけど、あんまり目立ちたくはないなあ……この状況じゃ霊視も何もできたもんじゃないし……夜更けにでも、も一回出直す?」
ところがその時、一人の記者らしい男がものすごい勢いで駆けてきたかとおもうと、大声で何か言い出した。
距離があったせいで内容はよく聞き取れなかったが、それを聞いた人混みの動きが急に変わった。マスコミはバラバラと撤収を始め、警官達も動き出した。
なにがあったのか分からないまま、数分も経たないうちにその現場は見張りの警官を一人残して、誰もいなくなってしまったのだ。
「あれ?? どうしたのかしら?」
「分かんないですけど……チャンスですよ。とにかく現場へ行ってみましょう」
突然茂みから現れたあおい達を、見張りの警官は不審そうに見つめたが、あおいが名刺を差し出すと、納得したように頷いた。
「上から聞いています。どうぞ」
「あの……みんないなくなっちゃいましたけど……何かあったんですか?」
無表情な警官だが、あおいはとりあえず聞いてみた。
「詳しいことはまだ分かりません。ただ、表の参道側で大きな事故かなにかあったようなのですが……」
「そうですか……じゃ、今のうちに現場、見せていただきます」
大量の血痕があったとされるその場所は、清掃されたらしく、アスファルト上には何も残ってはいなかった。事件から既に二週間が経つのであるから、それも仕方ない。
「ちょっと残っている意識を増幅して霊視してみるわ」
あおいは、札を地面に置くと口の中で何か呪文を唱え始めた。
人の持つ気は木火土金水、陰陽五行の入り交じった気であるが、主に構成しているのは水気と土気である。
それらを呪文で増幅してやると、通った跡や立ち止まった場所、倒れていたところなどにそれぞれ特徴のある色を持つ光として浮かび上がってくるのだ。
「うーん……少し分かりにくいけど……これね。」
現場には、すでに多くの人々が出入りしてしまっているため、自然界の気も乱れてしまい、様々な人の意識が色とりどりの光となって残されていた。しかし、中でも特に強い意識は強く光って見える。
薄いもやのような光で具現化された気を見ると、ほとんどの光が淡い色調で線のように見える中で、ひとつだけ真っ赤な光が水たまりのように凝っているのがわかった。
それが事件時のものであることに疑いはなかった。
「でも……それにしても少し弱すぎません?」
いぶきが見えにくいモノを見るように、眉根を寄せ、目を細めながらつぶやいた。
たしかに弱い。
人の生死に関わる残留思念の気は、人間が通常発しているそれとは桁違いの強さで残るはずなのだ。
ましてやあのような流血事件で人が殺される時の波動なのである。数年、いや数十年単位で残されていてもおかしくない。それなのに、赤く見えるその気の光は、水たまりのような形と色こそ特徴的だが、強さ自体は周囲のそれとさして変わらないように見えた。
「それに……この犯人っぽい妖気も……かなり弱いですよ。こんなんじゃ人殺しどころかまともに陰界から顕現できるかどうかも怪しいもんです」
いぶきが指さす先には、何か小さな足跡状の妖気が点々と残されているだけだ。
その先に見える小さなお堂が、あの地蔵像の安置されていた地蔵堂なのであろう。
野槌副市長は、警察の強力な妖物では妖気が消えてしまうと言ったが、どうやらこの妖気の弱さに、あおい達に依頼が回ってきた理由がありそうだった。
「そうねえ……」
あおいがつぶやきかけた時、胸ポケットの携帯がブルブルと震動を始めた。
「あ、稲成さん、どしたの?」
『どしたのじゃないよ!! どこにいんの? あんたたちがモタモタしてる間にもう一人殺されちまったみたいだよ!!』
「えーーーーッ!?」
あおいは見張りの警官の存在も忘れ、大声で叫んだ。
*** **** *** *** *** ***
次の事件現場は、なんとあおい達が車を止めていた駐車場の真下であった。
真新しい死体の第一発見者は、ご近所を散歩中の老夫婦である。
今度もむごたらしい現場であった。死体に首がないのだ。
ゆえに、身元の判明にはかなりの時間を要すると思われた。
「うううう……ケルピーに乗って来てたら、こんな事無かったのに……」
あおい達が車を止めている駐車場は、警察とマスコミ、そして騒ぎを聞きつけた野次馬でごった返していた。
あおいはしゃがみ込んで、ずっと唸っている。
ケルピーとは、あおいが普段通勤に使っているビッグホーンであり、それに取り憑いている水妖の名である。
ドライバーを無視して勝手に走ったり、カーラジオでしゃべったりはもちろん、道無き道を乗り越えることも出来る妖怪車だ。
彼ならば、すぐ近くで殺人が行われたりすれば放っておくはずはない。
最悪でも目撃情報が手に入ったはずだし、その場で犯人を捕らえて終わり、ということになっていたかも知れない。
「仕方ないですよ。七海ちゃんと真菰君が乗ってっちゃったんですから」
調査器具を積み込める大型車であり、そもそも社有車でもあるケルピーに彼等が乗っていったのは仕方がない。
「で、今度は死体あり、ってわけ? まさか、この間の血液の持ち主ってことじゃないでしょうね?」
「DNA鑑定してみないと分からないらしいですけど……死亡推定時間を考えても、別じゃないですか? あ、大丈夫みたいですね」
現場の仕切りロープをまたいで、大柄な警官が手招きしている。
野槌副市長から県警上層部に話が通っているらしく、現場の警察官は本来は部外者どころか容疑者にも数えられかねないあおい達を、丁寧に殺人現場へ案内してくれた。
現場の周囲には、またおびただしい量の血が溜まっている。
現場保存のため、あおい達も数m離れた位置までしか近づけなかったが、それでもその異常な遺体の様子はよく見えた。
あおいもいぶきも若い女性ではあるが、妖怪や幽霊を見慣れていることもあって、むごたらしい死体を前に顔色一つ変えない。
大人の胴回りほどの杉の木の根本に足を投げ出し、もたれかかるように倒れた遺体には、首がなかった。
衣服も血にまみれ、中肉中背の男性であるらしい、というところまでしか分からない。
しかし今度の場合も、鮮血に濡れた周囲の地面に犯人らしき者の足跡は見あたらない。
ひそかに霊視してみても、犯人のものとおぼしき気配も見つからなかった。
「……にしても酷い状態ですね。でも、やっぱりこれ、人間の仕業じゃないっぽいんじゃ?」
いぶきがつぶやいた。
これほどの惨劇を、痕跡も残さず人間の力で起こせるとはとても思えない。
「そうね……でも今度の被害者は、生きたまま首を切られたみたい。すさまじい断末魔の意識が残っているわ」
あおいは、ずり下がっていた眼鏡を直しながら眉をひそめた。
こんな酷いことをするモノは、人間であれ妖怪であれ野放しにはしておけない。そして妖怪であれば、今のところあおい達以外に対処できないのも事実だ。
「……あれ?」
「どうしたの?」
いぶきが遺体の寄りかかっている杉の木の幹を見つめて、妙な顔をした。
「あそこ……何かキラキラしてません?」
彼女の言う通り、ちょうど遺体の首のあったあたり……その杉の幹にビニールのような光沢を放つ糸状のモノが数本、巻き付いているように見えた。
「ほんとだ。ちょっと聞いてみる……ねえ、おまわりさん。」
「何ですか?」
声を掛けられた五十代くらいの警官は、表情を変えずに聞き返してきた。
「ほら、あそこ。遺体の上の木の幹に、何かキラキラしたモノが巻き付いているでしょ? あれ、何かしら?」
「……さあ?……しかし、鑑識が来るまでは現場は触れませんし、所轄の我々では何とも言えません」
それも当然ではあったが、さすがにこれ以上は、遺体に近づくことすら許されないようであった。
「どうします?」
「神木が突然枯れて、山を挟んで二カ所で殺人……犯人は人外っぽい……か。
なんか……引っかかるのよね。森さん、枯れた大杉……見せてくれません?」
「何か関係あると?」
「ん~……まだ、なんにも分かんないんだけどさ」
しゃがみ込んでいたあおいは、腕組みをしたまま立ち上がった。
「偶然かも知れないけど……もしかすると、この森全体の問題なのかも……って思ってさ」
「何にしても、今日は引き上げましょう。あんな事件が参道近くであったんじゃあ、しばらく宮司さんも大変だろうし、いくら副市長から話が通ってるって言っても、現場でも何も出来ません。それに、お地蔵様やむじなさんにも報告しなきゃ」
「そう……ね」
あおいといぶきは出直すことにして事務所へと戻っていった。