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§12 千年の森

§12 千年の森



「こんなやり方があるとは、知りませんでした」


 作業服姿の宮司が、あおいに笑いかけた。

 あおい達が土蜘蛛を退治した翌々日。この季節にはめずらしく、よく晴れた日曜の午前中であった。

 神社の表参道付近。

 休憩所を作るため切り開かれ、赤土がむき出しになってしまっていた場所である。

 あおい達は、常緑広葉樹エリアの深く積もった落ち葉を運び、赤土の表面に敷き詰めていた。


「ええ、腐植質が失われたのなら、補ってあげればいいんです。

 そのことで直接表土に雨が当たらなくなって、少なくとも表土の流失は減りますから、植生もかなり安定します」


「しかし、落ち葉なんか敷き詰めてしまうと、植物が生えにくくなりはしませんか?」


「もちろん多少はそうなります。でも日本は高温多湿で、草も木も回復が早いんです。

 落ち着いて生えられる状況さえ整えてやれば、割とすぐに植生は戻ってくるんですよ。逆に表土が覆われることで、綿毛で飛来することの多い外来種の種子は発芽しにくくなりますしね」


「でも……木を植えないで、本当に森になるんでしょうか?」


 作業をしながらも、宮司は半信半疑と言った様子だ。


「木を植えれば、木の畑になるだけです。慌てて植林することの弊害もあるんですよ。

 同じ時期に、同じ樹齢、同じ種類の木を植えれば、同じように競争して育ち、同じ時期に寿命が尽きて枯れますから。森の木々にも種類や樹齢の多様性が必要なんです」


「なるほど……『木を植えた男』って話……憧れていたんですけどねえ……」


 宮司は残念そうにため息をついた。


「あれも所詮、フィクションですよ。それにそもそも雨も少なく土地も痩せたヨーロッパの話ですから。日本の山に森を再生するなら、もう少し違った方法を考えるべきなんです」


「いくらか挿し木で苗木も作ってあるのですけど……」


「ああ、挿し木は良くないですね。どれだけ大きく育っても、主根がないので、根が浅く、倒れやすい木になってしまいますから」


「そういうものなんですか?」


「ええ。ですから、少しくらいならいいですけど、挿し木ばかりで森を構成しちゃダメなんです。それに、生き物には草原も低木林も必要なものなんですよ。」


「そう言われてみれば、雑草を目の敵にするのも変な話ですね」


 そう言いながら宮司は、森づくりの予定地を見渡した。

 晩秋を迎え枯れ草ばかりになっているが、いわゆるロゼット化した植物たちが、寒さに耐えるように地面に張り付いている。



「草原がなければ、ウサギやシカの食べ物が無いでしょう?

 草原に巣を作る鳥も多いですし、バッタやカマキリだって……そもそも草原にしか生えていない植物もありますでしょ?」


「たしかに」


「それに見てください。ちゃんと木も生えてきてますよ。

 ネム、カラスザンショウ、タラノキ、アカメガシワ、ハリギリ、コシアブラ、ヤマグワ、アカマツもある……どれも掘り起こされた土地に、最初にやって来て根を張る木々です。成長が早く、菌類と協力して痩せた土地でも強く生きます。空中窒素を固定する木もありますから、土地の養分も増えていきます」


「へえ……もうほとんど葉も落ちているのに、さすがよくお分かりですね」


 あおいの指さす先には、晩秋を迎えて葉を落とした小さな樹木の苗木と見えるものがいくつか生えている。

 十五センチほどに伸びた一本の実生苗に触れようとした宮司は、慌ててその手を引っ込めた。


「痛たた……なんですかこれ、すごいトゲですね……」


「カラスザンショウですね。特徴的でしょ? だからすぐ分かります。

 それに、このトゲだから生き残るんです。草原に生えていても、ウサギやシカには食べられない。葉の臭いもすごいです。普通の広葉樹の若木は、食べられてしまいますからね」


「でも……こんなトゲの植物ばかりの林になったらどうするんです?」


「いいえ。この木々が大きくなる頃には、樹下には日光が届かなくなり、タラノキやカラスザンショウは育つことが出来なくなります。次に成長してくるのは陰樹、つまりスダジイやシロダモなどの常緑広葉樹です」


「それでようやく、森が還ってくるわけですか……気の長い話だ」


 宮司は、切り開かれてしまった草原を見渡してため息をついた。

 その様子を見て、あおいはくすくす笑いながら言葉をつなぐ。

 

「なんにせよ、急がないことです。切っちゃったことは残念ですけど、数百年かけて育った森ですもの、そう簡単に元に戻ったりはしませんよ。でもゆっくりとですけど、必ず再生します。むしろ、その過程を楽しんでください」


「過程を楽しむ?」


「タラノキも、ハリギリも、コシアブラも、春先の芽は美味しい山菜になります。ヤマグワの実はすてきな果実酒に出来ますしね。ここが森になってしまえば、もう味わえない貴重なものです」


「なるほど……そう考えると、森に育って欲しくないような欲しいような……そんな気になりますね」


「それと、外来植物も……あまり目の敵にしないでください。

 入って来ちゃった連中は、どう駆除しても完全には無くなりませんから。全部刈るんじゃなく、目に余る種類を選んで抜いていくだけでも、少しずつ植生が変わっていきます。彼等は裸地には入り込みやすいですけど、草が茂りきった場所には生えにくいですしね」


「裸地に入り込む? じゃあ、除草剤なんてのを使うのは……」


「わざわざ裸地を作って外来種を入り込みやすくしているだけですね。

 延々と毎年撒き続けても、種子が飛んでくれば、そりゃあ毎年生えてきますよ。そのうち土地の栄養分が無くなって斜面が崩れていく。そうなった土手はこの辺でも珍しくありませんでしょ?」


 その時、工事用の一輪車に、落ち葉を山のように乗せた棚家がやって来た。


「おーい先生。これ、どこに撒きゃいいんだ?」


「あ、棚家さん。どこでもいいですよ。ここの赤土が見えなくなるまで運んでください」


「うえっ!! 勘弁してくれよ先生……あと何百回やりゃいいんだ?」


「できるまで、よ。罪を償いたいから、神社に住み込みで働くっつったのは誰?」


 途端にあおいの目が険しくなって棚家を睨み付ける。


「そうじゃおろかものが。われらもてつだってやっておるのに、もんくをいうな」


 後ろから、小さめの一輪車を押して来たのは樹精の長・サンショウだ。

 今日はあの夜と違って中年顔ではなく、子供らしい顔に化けている。妖怪ではないとはいえ、催眠術に似たもので自分の姿を擬態できるのだそうだ。

 森の中には、樹精の一族が総出で落ち葉掻きをしているのが見える。

 彼等は自分たちの住む森を自分たちで守ろうとしているのだ。


「山田君はいつも大人びた口調でキツイ事言うねえ……で、前も聞いたけど、どこの子なの?」


 宮司は、まさか彼等が樹精の一族であるなどとは思っていない。

 いつも境内に遊びに来る彼等のために、玩具やおやつを用意しているのだそうだ。


「うむ。このやまのうらて……おじぞうさまのおどうのあたりにすんでおる」


「へえ? あんなところに家があったかな?」


 首をひねる宮司に、慌ててあおいが声を掛けた。


「宮司様。ほら、あそこにアナグマの夫婦がいますよ」


「おや。私は見るのは初めてです」


「彼等もこの山の住人ですからね。覚えておいてあげてください」


 二頭のアナグマは、ぺこぺことお辞儀をするような仕草をして、茂みに消えていった。


(むじなさん……元気そうね)


 あおいは心の中で思いながら、空を見上げた。

 その時、ちょうど中天にかかる白い雲の間を、黒い翼が過ぎるのが見えた。


(あのバカ。やっと帰ってきたのね……)


 あの飛び方。あの慌てよう。

 烏天狗の座間に違いない。

 出社予定の日を三日も過ぎて、ようやくの帰還である。

 どうせ山の向こうに着陸して、素知らぬ顔でこちらにやって来るつもりなのだろう。

 そして、あおいの携帯にメールの着信音。当然、座間からだ。


『遅くなってすんません。今、ちゃんと説明しますよって、どこにも行かんと話聞いて下さい』


 文面を見たあおいは、むっとした顔をした。

 座間は自分が逃げるとでも思っているのだろうか? まったく見くびられたものである。

 まあ、昨夜かかってきた電話を無言で叩き切ったのはあおいの方ではあるのだが。


「おや? 圓野社長、どうしました?」


 急に黙り込んで、険しい表情をしたあおいにきづいて、宮司が声を掛けた。


「あ、いえその……なんでもないんです。ちょっとウチの社員がヘマしちゃったって連絡がありまして……でも、もう何でもないんです」


 あおいは携帯をしまいながら満面の笑みで答えた。


「社長~!! ここにいてはったんですか~」


 思った通り、森の向こうから座間の声が響いてくる。

 落ち葉を踏みながら走ってくるひょろりと背の高い、黒い服の男は間違いなく座間だ。


(絶っっっ対に口きいてやんないんだから)


 あおいは口をへの字に曲げると、わざと体の向きを反対にして、知らん顔で落ち葉を撒く作業を続けた。




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