§11 人食い地蔵
§11 人食い地蔵
『……そうじゃったか。ご苦労であったの』
事務所に戻ったあおい達は、地蔵像とむじなに事の顛末を話し終えたところであった。
時刻は既に深夜を回っている。
あの後、棚家は宮司に土下座して謝った。
大杉を枯らしたことで生じた妖怪・土蜘蛛のことについて、宮司は驚きながらも理解してくれたようであった。そして、棚家の事情についても。
棚家は警察に自首すると言ったが、この場合適用される器物損壊罪は親告罪である。宮司に告訴するつもりがなければ、罪には問われない。
『彼のやったことは許されることではありません。しかし、その涙と反省の言葉を信じましょう。なにより、ちゃんと管理できていなかった私の責任も重いのですから』
そう言うと、宮司はご神木の件を不問にしたのであった。
むろん、時効になっていない四国の神社の器物損壊罪は、告発しようとすればできる。
だが、宮司はそれを止めた。
『稲成さんの仰ったとおりです。この人の暴挙を止められなかったのは、私達日本人全員の罪。変えるべきは世の中です。告発すれば、世の中はこの人だけに罪をおっかぶせて、それで終わった気になってしまう。犯人は見つからない方がいいのだと思います』
棚家は、これまで神木を売り払って得た金銭を、すべて神木を枯らした各神社へ無記名で寄付するつもりだと言っていた。
『しかし何故、足跡もなく、しかも我のお堂まで血痕が続いておったのじゃ?』
「彼等も樹精と名乗るだけあって、樹上での行動が得意なんだそうです。
つまり、血液を撒いたのは木の上から。お堂まで血痕が続いたのは、樹上を移動する時、滴ったのだと思います」
怪訝そうに聞く地蔵像に、あおいが答えた。
『そのくらいのこと、警察も気づかぬのか?』
「現場の上の木の枝は細くて、普通の大人はとても登れません。
仮に子供が登ったとして、樹上で人殺しをするなんて不可能ですから。まさか小学生並みの体格をした樹精が、ただ血を撒いただけとは誰も思わなかったんでしょう」
「これで一件落着ですなあ……やっと山へ帰れますわい」
むじながほっとしたように丸いおなかをなで回しながら言った。
ドッグフードが口に合わず、ここ一週間、葉子の差し入れのスナック菓子ばかり食べていたせいで、むじなは来た時の二回りほど太っていた。
「でも、お地蔵様をお返しするのは少し待った方がいいんでしょうね。だって、犯人が土蜘蛛だの樹精だの言っても、警察は聞いてくれないだろうし……」
いぶきが困ったように腕組みをして言った。
「そうね。上層部には妖物もいるらしいけど……面倒なことになるかも知れないし……」
あおいが言いかけた時、事務所のドアが強くノックされた。
「あれ? 誰か来たみたい。こんな時間に誰だろ?」
「座間君じゃない? 今日の夜帰るって言ってたじゃん」
「あ、そうか。待って待って。今開けるから」
あおいは喜々としてドアへ向かった。
しかし、乱暴にドアを開けてずかずかと事務所に上がり込んできたのは、モスグリーンのスーツ姿も艶やかな一人の中年女性であった。予想外の珍客に、事務所内の全員が固まった。
「ののの……野槌副市長!? なんでこんな時間にこんなとこへ!?」
「あら。さっき電話くれたのはあおいちゃんでしょ? 事件が片付いたって」
「そりゃそうですけど……」
「面白いこと考えついたの。お地蔵様、すぐに戻ってもらおうと思って」
「ええ!? そんなことしたら大騒ぎになりますよ? どうすんですか?」
「町おこしよ町おこし。
自分の無実を晴らすため、自ら動いて怪物退治をしたお地蔵様。人呼んで『人食い地蔵』!!」
「はああ!? 何ですそれ? それに怪物って……土蜘蛛は変化が解けたらただのクモですよ? どこにも怪物の証拠なんて……」
「あら? 現場から報告あったわよ?
あなた達、相当派手に暴れてくれたみたいじゃない。農道は半壊、裏参道口は全壊、草むらはクモの形に燃えているし、シイの古木にはすごい傷跡とでっかいクモの巣穴。どう説明したって怪しいでしょ?
だからいっそのこと、お地蔵様の活躍って事にして……」
『ちょっと待て、カヤノヒメ殿。儂はそのような不名誉な二つ名はいらぬぞ!?』
地蔵像は慌てて暴走する野槌副市長を止めようとしている。
「まあまあ。確かにお名前はアレですけど、お供えも参拝客も増えるし、お賽銭が集まれば、お堂だって建て替え出来るかも知れないわよ?」
『わ……儂はあの村を静かに見守りたいだけじゃ!!』
「仕方ないわねえ。ま、とにかく連れて行くから。むじなの頭領もいらっしゃいな」
そう言うと、地蔵像をひょいと抱え上げた野槌副市長は、事務所のドアを出たところで虚空に溶け込むように消えた。
「うわわ……ちょっと待ってくださいよ。私一人で陰界を渡るのは……」
追いかけるように出て行ったむじなも、戸口のところで消えた。
「さ……騒がしいおばさんだったわねえ……」
「これで本当に一件落着……かしら?」
「……いえ、もうひとつあったわよね。問題が」
葉子の目が妖しく光った。
「……え? それって何です?」
状況を飲み込めていない様子の七海が首を傾げた。
その後ろで、玄太が気まずそうに向こうを向く。
「玄太。あんた、何か言うことあるでしょ?」
「…………」
「あの姿のどこが白蛇なのよ。パワーと術は大したモンだったけどさ?」
「すんません……正直に言ったら……たぶん、入社させてもらえなかったッスから」
「なんでよ? 別にあたしは妖怪差別はしないわ」
あおいは苦笑いをしながら言う。実際、ヘビでなかったからといって、どうという問題はない。
「いや……だめッス」
「じれったいわね。あんた本当は一体何者なのよ?」
「俺……アカミミガメなんス」
「アカ……ってもしかしてミドリガメ?」
予想外の言葉に、あおいも葉子もいぶきも、七海までもが驚いてポカンと口を開けて玄太を見つめた。
これまであおいも様々な妖怪を見てきた。
関係者だけでも、西洋のケルピーや式鬼、天狗、河童もいる。カヤネズミや長十郎梨の変化までも知り合いだが、ミドリガメの変化というのは聞いたことがない。
「うす……歳も……ハッキリは分からないッスけど……三十年くらいしか生きてないス」
「外来種……それも厄介なタイプの……ってワケか」
北米原産のアカミミガメは、子ガメの時こそ小さくて可愛らしく、美しい緑色のカメだが、健康に飼えば一、二年で倍以上になり、色もくすんでくる。
オスの成体は時に真っ黒に変化する事が知られているが、玄太の場合はそのような黒化個体なのであろう。
数年で成長は遅くはなるが、最終的にメスは甲長二十五㎝以上、オスも二十㎝にはなる。ニホンイシガメの甲長が最大でも二十二㎝程度だから一回り以上大きい。
しかも動きも素早く、パワフルさは在来種と比べものにならない上、汚染された水域でも生息できるため日本の下流域では最近とみに数を増している外来生物のひとつである。
「俺……人間に飼われてたんス。でも、十年前の増水で水槽ごと流されて、真菰川に住み着いて……そこで真菰さんにお会いしたんス」
「じゃあ、真菰専務の義理の息子だってのは、嘘じゃないんでしょ?」
「はい」
「な……なんで、最初から正直に言ってくれなかったのよ?」
「ビオトープ管理士は、外来種は駆除するモンだって……そう、聞いてましたから」
「と……時と場合によるわよ。そりゃ……アカミミガメはあたしも駆除したことあるけど……」
あおいは言い訳のように話しながら真っ赤になって口ごもった。
自分が駆除対象としていた生物と、まさか言葉を交わすことになるとは思ってもいなかったのだ。
それを横目で面白そうに見ていた葉子が、茶化すように言った。
「そうよね~。社長、駆除ったって、結局殺せなくて自宅に何匹も飼ってるしね」
「そ……それは……違うの。正直、まだ結論出てないんだから……」
「結論?」
「アカミミガメの寿命はこの先何十年もあるのよ?……私が寿命を全うしたとしても、最後まで面倒を見きれるかどうか分からないでしょ? 責任を持てない生き物を背負い込んじゃって……どうしたらいいか、私にも分からないのよ」
「……俺、社長が結論出すまで、ここに置いてもらっていいスか?」
玄太が、伏せていた顔をすっと上げ、あおいの目を見つめて言った。
「もちろんよ。何言ってんの。結論出すまでとかじゃなく……あなたはもうウチの社員なんだから」
「いえ。そうじゃないッス。社長の結論がもし……アカミミガメをすべて殺すってことだったら、俺も殺してください」
「な……何バカなこと言ってんの!?」
「俺だけ特別扱いはおかしいッス。
そうじゃないなら……どうか、殺さない方法を考えてください。外来生物の俺達も、在来生物も、守る方法……教えてください」
そう言って頭を下げる玄太の前で、あおいは困ったように立ちつくしていた。