9. リラの変化
すこし気まずい気持ちで本を持ち上げた瞬間、スーカが悲鳴を上げた。
「おにいちゃん!!!リラが!リラが!!!」
ベリーを食べさせた直後だった為、やっぱり人魚には良くなかったんだと、焦って水槽の中を確認する。
リラが何事かと驚いた様子ででこちらを見ていた。
今まで茶色くモップのようにゴワゴワとしていた髪の毛が、顔周りから肩くらいにかけて茶色さが抜け、虹色に輝いている。
「リラ!大丈夫!?どこか…どこか痛いところはない!?」
「なに?どうしたの?何も痛くないわよ!
それよりも、このベリーって食べ物初めて食べたわ!
最高に美味しい、おかわりください!」
「髪の毛!髪の毛が!」
と涙目になりながら慌てるセヴァを見て、腰掛けていた縁から前のめりになり、水面に映る自分の姿を確認する。
「……なんてこと。何が起きたの……?
お父様の魔法を何度使ってもどうにもならなかった私の髪の毛が、元に戻ったわ!!!」
「ねぇ!大丈夫なの!?」
「そんなに慌てないで。大丈夫。
私の髪の毛が、美しかった私の髪の毛が戻ってきた!」
思わず素手で持ち上げてしまったセヴァの手のひらの上で、リラは喜んだ。
そして、顔にかかった美しい髪の毛を後ろに掻き上げた。
初めてリラの顔を見たセヴァは動けなくなってしまった。
隣でずっと静かに見ていたいろはが拝み始め、スーカはいろはの服を掴み揺さぶっている。
髪の毛の隙間から見えていた肌は、つい先程までツヤもなく、茶色くくすんでいた。
だが今はそんな事などなかったかのように美しく発光している。
瞳は昨日見せてくれた虹色の美しい泡のような色合いをしており、すべてが透けて見えそうであった。
いろはと見つめ合うとすぐに目を逸らしてしまうセヴァであったが、リラの瞳からは目がはなせない。
「本当に、何ともないの?」
「何ともないわ。
すごく驚いたけど、体は元のままね、残念。」
「何が起こったんだろう。」
「さあね、昨日は水草を食べたら話ができるようになって。
今日はベリーを食べて髪の毛が元に戻った。
地上の食べ物は何か強力な魔法にでもかかっているの?」
「普通の食べ物だよ。」
と言ったところでハッと思う。
リラが居た海は、人間が入ることができないほど汚染されている。
そんな中で生活してきたのだ。
茶色い人魚だと思っていたが、ただ汚れていただけだったとしたら?
リラが茶色くなってしまったのは人間のせいだ。
地上で清潔にし、浄化された水と、汚染されていない土で育った作物を食べた。
2日でこの変化だ。続けていけば全身が同じように美しい輝きを取り戻す可能性がある。
「海を、汚してしまってごめんなさい。」
涙をこらえながら真剣に謝る。
「いいのよ。
あなたはたった10年ほどしか生きていないのよ。
過去に好き放題やってきた人間が悪いの。
それに、どうにかしようと、あなたはまだ小さいのにとっても頑張っているじゃないの。」
「うん、これからもっと頑張るよ。王子様探しもがんばろう。」
「そう!私は王子様を探しにここまで来たのよ!
ちゃんと付き合ってよね!」
二カッと笑う様子も美しかった。
その後は4人で人魚姫の絵本を読んだ。
正しくは、いろはが読み聞かせをしてくれた。
絵本を見やすいように立てて、身振り手振りで一人芝居をしている。
本もいろはも見なければいけないので忙しい。
読み終わると暗い顔をしてリラが言う。
「姉さま方が話してくださった人魚姫はハッピーエンドだったわ。
悪い魔女に打ち勝って、王子様と結ばれて、いつまでも幸せに暮らすの!
それなのに、この話は何?
恋をした王子様を人間の女に横取りされた挙げ句、人魚は泡になって空気の精霊となり旅をする??
なんという事なの!!!!悲恋ではないの!」
「まぁ、作者の数だけ違う結末があるよね……」
すこし気まずそうにいろはがフォローする。
「リラ、泡になって消えちゃうの?やだ!!」
「シーッ!そんな事大声で言わない!」
セヴァはスーカに注意する。
「おとぎ話だから、ね。
リラのお姉さん達も楽しい話を聞かせたかったんだよ。
僕が持ってくる絵本間違えちゃったかな!」
「私はおとぎ話なんかじゃない。ここにいるわ。」
「……ごめんなさい。」
深刻だったリラの顔がパッと明るくなる。
「私の国では失恋したら泡になるなんて、聞いたこともないから大丈夫。
もし私の王子様を横取りしようとする邪魔者が現れたら踏んづけてやるわ。」
「私も手伝う!」
スーカも意気込む。
「スーカ、変な奴にいじめられたら私に言いなさい。
私が踏んづけてあげるからね。」
「ふぁ、可愛いし、カッコ良すぎる……」
スーカはすっかりリラの虜となっていた。
ドーム屋根のガラスの外が少しだけ明るみ始めた頃、母がやってきた。
「そろそろ夕飯にしましょうか。」
「ママぁ!見て!リラがとってもきれいになったの!」
スーカが自慢気に母の手を引きながら言う。
「あらまぁ。見違えたわね!」
「どうやら地上の汚染されていない食べ物を頂くことで、私の体に変化が起こるらしいわ。」
「そうなの……たった2日で物凄く沢山の発見をしたわね。
あなた達、偉いわぁ。」
ニコニコしながら全員の頭をぽん、ぽん、ぽん、ぽんと撫でる。
「さ、お腹空いたでしょう。行きましょう。」
さっきまでフラッペを楽しんでいた事は内緒にすることにした。
ーーーーー
食堂に着くと
「おーい!ここだよ!」
たった半日でやつれたように見える父がテーブルから手を振っている。
ふわふわの頭が、更に爆発していた。
父の周りの職員も、書類とにらめっこしながら食事をしていた。
この研究所は普段、とてものんびりとした雰囲気だ。
職員が仕事をしながら食事をするなど、今まで一度も見たことがない。
いろはが言っていた『お偉いさんとの会議』はその雰囲気を一変させるほど大変なようだ。
「パパぁ!見て!リラがとってもきれいになったの!」
スーカが自慢気に先程と全く同じセリフを父に言う。
リラは面倒なようで、父の前でくるりと回っただけで何も言わない。
セヴァが代わりに説明をすると
「偉い、偉いぞ…!
これでなんとか持ちこたえられる」
少しだけ顔色が良くなった父がぎゅうぎゅうとセヴァを抱きしめる。
「ご飯を選んでおいで。リラはここに座らせておくと良い。」
注文カウンターにいろはと並ぶ。
「食事の後、キーの使い方を教えるね。」
「うん、実はずっと気になってたんだ。」
「まぁ使い方は普通のキーと同じで簡単なんだけど、一応ね。
ついでにリラのご飯も調達しちゃおう。」
「お腹いっぱいかもしれないけどね!
でも、水草を使って髪の毛を整えるから、いくらあっても良いかもしれない。」
「え、何それ見たい。そういえばさっき水草をコップにしてたよね?器用だなあ。」
会話をしながら食事を受け取りテーブルに戻ると、母の隣でスーカはすっかり眠り込んでいた。
遊び疲れて眠くなってしまったようだ。
(フラッペで満腹であろう事は母には秘密だ。)
そして父はまた、書類を見ながら頭を抱えている。
「父さん、戻ったよ」
声を掛けてようやく気付く。
「おかえり、ドタバタして悪いね。この後重要な会議があるんだ。
父さん達はしばらく部屋に戻れないだろうから。
いつもどおりいろは君の部屋でお世話になりなさい。
所長にも話を通してあるからね。いろは君、迷惑をかけるね。」
すでにいろはは着席し、ご飯を頬張っている。
「全然かまわないよ。
ずっと居てもらってもいいくらいだよ。」
セヴァを見て、バチッとウインクをした。
「セヴァ、私のご飯は?」
リラが水槽のなかでふよふよ泳ぎながら言う。
「この後いろはと取ってくるよ。部屋で待っててね。」
「はぁい。」
横に座る父が、喋るリラを見て固まっていたが、何度も同じ説明をするのはもう疲れたので気付かないフリをして食事を始めた。




