永遠などない
その蝶は、全ての生き物がうっとりとため息をつくほど、美しい羽を持っていた。
蝶は、自分の羽を自慢に思っていた。美しさを競うのであれば、この世のどんな生き物にも負けないと思っていた。
だからこそ、永遠の命を願った。自分の美しさは、価値がある。存在していればしているだけ、他の生き物にも利益をもたらすと。
その願いを聞き入れた神は、蝶の言い分に頷いた。
「なるほど。お前がよほどそういうのであれば、その願いを叶えてやろう。ただし、願いは一生に一度だ。お前の一生の願いは、本当にそれでいいのだな?」
神の言葉に、蝶はもちろんだと自信たっぷりに答えた。
「そうか。ならば永遠に、この世のものであれ」
神のその言葉が響いたから特に何かが変わったというわけでもなく、蝶は変わらず世界をひらひらと舞っていた。
世界が何度か滅び、再生し、人間という生き物が発生してきた頃。蝶は、一人の人間によって捕まえられた。
「なにをする、この無礼者。私は、この世界の全てを見てきた存在だぞ」
珍しく怒りを露わにした蝶だったが、人間に蝶の言葉は理解できなかった。
やがて蝶は、広い世界を舞うことができず、透明な板で作られた箱の中に入れられた。
蝶から見える世界は、なんだか不思議なものだった。白いひらひらを纏った人間がいくつもおり、少し離れたところから蝶のことを見つめている。
いったい何を話しているのだろう。聞き耳を立てようとしても、姿は見えるのに声は全く聞こえてこない。
そうしているうちに、蝶はだんだんと気温が上がってきていることに気付いた。
「なんだ? こんな気温、遥か昔に体験しているぞ。大したことはない」
神から永遠の命を与えられて以来、蝶はどんな気候の中でも生き抜くことができた。だから次に極寒が訪れても、蝶はひらひらと箱の中を飛んでいた。
「なんだ? なにがしたい? なにを企んでいる?」
怪訝そうな目を向けるが、人間は一向に蝶に触れてくる気配はない。
その後も空気が薄くなったり、炎が噴き出てきたりしたものの、蝶は生きていた。蝶はいい加減、同じ景色を見飽きていた。
「どうにかしてここを出よう。多くの生き物が、私の姿が無くなったことを心配しているに違いない。私はこの美しさを、世界に見せなくてはならないのだ」
すると、蝶の想いが伝わったのか、人間たちが透明な箱から蝶を出してくれた。
これでようやく外に戻れると、飛び立とうとした瞬間、蝶は身体を何か硬くて冷たい塊に挟まれてしまった。
「なんだ……?」
冷たい塊は、ゆっくりと蝶の身体を圧迫している。自分の小さな体の中で、何度もなにかが弾けるような感覚がして、蝶は怯えた。
「なにをするんだ! やめろ! やめ」
蝶は、潰れた。
だが次の瞬間に意識は戻っており、身体も再生していた。
「……私は、いま……」
何が起きたのか、考えている暇はなかった。人間は蝶を見て、なにか喜んでいるような声を上げていた。
そして、蝶の身体を挟んでいた冷たい塊が、いくつも見えた。
「逃げなくては」
蝶は、初めて命の危険を感じた。今まで出会って来た生き物は、蝶の美しさを見るばかりで、襲ってくることなどしなかった。だから痛みも知らずに何世紀も生きてきたわけだが、今は違う。
「いやだ、いやだ、いやだ」
蝶が逃げようと一生懸命に美しい羽を動かすが、冷たい塊に挟まれてどうしようもなかった。人間はそのまま蝶の身体と羽を分離させ、そっと透明な箱の中に入れた。
蝶に意識はない。だが身体は勝手に動き、羽と身体がまた一つに戻った。
人間は、もう一度喜んでいるような声を上げた。
――それから、どのくらいの時が経ったのか、蝶にはよくわからない。
ただ望むのは、この痛みから解放されることばかり。
「どうして……なんで……」
なぜ、害されなくてはならないのだろう。なぜ、痛みを与えられているのだろう。
そう嘆く蝶の前に、神が現れた。
「神よ! ああ、どうかお助けください」
「助けろ? なにがあったというのだ」
神の目は、まるで無を見つめているかのように静かだった。
蝶は、感情のままに騒ぎ立てる。
「あなたからいただいた永遠の命のせいで、私は大変な目に遭っているのです。永遠の命が故に、永遠の痛みの中にいます。なぜ人間は私に害を成してくるのでしょう。私はただ、美しいだけなのに」
蝶の言葉に、神は蔑むように笑った。
「それは違う。お前は美しいだけでなく、永遠となったのだ。人間は欲深く、知りたがりの生き物だ。お前がなぜ美しいまま永遠なのかを、知りたいのだよ」
「そんなことを知ってどうするのです! そんなことのために、私は痛みを受け続けなくてはならないのですか!」
「その通りだ。お前が永遠を望んだから、こうなったのだよ。もっと喜んだらどうだ」
そう言って笑う神に、蝶は震える足を伸ばした。
「お願いします、どうか助けてください。こんな永遠、望んでなんかいません」
「お前の一生の願いを聞き入れたんだ。もう後戻りはできないよ」
神は自分の世界に帰るため、ゆっくりと姿を消し始めた。
「お願いします、どうか、どうか。もうすぐ人間が来ます、私は永遠に苦しめられてしまいます」
「ならば永遠に耐えて見せろ。人間はやがて滅ぶ。その時が来るまで、お前が耐えればいいだけだ」
神の姿が見えなくなると、人間がやってきた。蝶はどうにか逃げようと、羽を動かす。どれだけ鱗粉が舞っても、その羽は美しいままだ。
人間は、まっすぐに蝶へと歩み寄った。その手には何も持っていないが、伸ばされるその手のひらがとても恐ろしいものに見えた。
「いやだ、触れるな。たすけて、だれでもいい、だれかたすけて」
情けない声をあげながら、蝶は弱々しく透明な板の箱の中を這いずり回った。そんなことだから、ついに人間によって身体をすくわれてしまった。
生暖かい人間の手の上で、蝶は逃げ場がないことを悟る。
「私の美しさも、ここまでか」
観念したように、蝶は羽も触覚も伏せてしまった。
今日はいったいどんな痛みを与えられるのか。怯えるといった感情も霧散していると、人間は自らの目線に蝶を寄せた。
そして、その真っ暗な穴のような目を歪ませた。
「ごめんね、怖かったよね」
そう言った人間は、さらに蝶を乗せた手を挙げた。その先に見えるのは、隙間の空いた窓だ。外から、さらりと風が入り込む。
いったい何が起きているのかと、蝶は人間を見た。
「おいき、美しい蝶。お前はここにいるべきではないよ」
人間はそそのかすように、手を窓の外へと向けた。蝶は戸惑いつつも、そろりと手の上を歩き、窓の外へと向かう。
空は白んでおり、太陽が山の向こうから顔を出している。世の中は、朝を迎えるところだったらしい。
「ああ、この日を何度夢見たことか。懐かしい風の匂い、空の音、美しい光」
蝶は、ふわりと人間の手の平から飛び立った。
それから少しだけ人間の傍で舞うと、人間はうっとりとしたようなため息をついた。
蝶は風に乗って、広い世界へ戻っていく。
永遠などないと知って。




