オルゴールと卿
街の上空を、天使が飛んでいる。
「あ、聖天使様だ」
「ほんとだ!」
「聖天使様ーー!」
街の人々が上空に向かって声を上げると、天使は下を見た。
聖天使、クライネ・オルゴールだ。
クライネはルージュの補佐官だけではなく、オルド帝国教会の巫女的な役割を果たす「聖天使」でもある。
白く美しい翼が生えただけの変異種なのだが、こうして人々に神聖視されているのだ。
クライネは大きなカゴを両手で抱えたまま、「こんにちは!」と人々に言った。
学舎へと向かう小さな子供たちはクライネに向かって「なにしてるの?」と訊ねる。
大抵、クライネがこうして翼を出して飛んでいる時はルージュのお使いなどをしている時だ。
それでも仕事内容は秘密なので、クライネは「秘密!」と言って去って行くのだった。
街から離れた所にある、巨大な豪邸の前。
クライネは門の前に降り立ち、大きな声で人を呼んだ。
「すみませーーん」
反応はない。
そもそもこの豪邸に住んでいるのは人1人であるし、なにせ早朝である。
クライネはため息を吐いた後、「失礼しますよ」と言って翼を広げた。
少し上昇して門を飛び越え、敷地内に入る。
クライネは中庭に面した巨大な窓に近付く。
そして、カーテンも閉まっていない部屋の中を覗き込んだ。
「……」
豪奢な天蓋付きの寝台の中、細身の男が眠っている。
ああ、眠っている。
クライネは思いきり窓枠を叩いた。
それと同時に、男の体が大きく跳ねる。
それから数秒経って、彼は恨みがましそうな寝起きの顔でこちらを睨んだ。
「おはようございます」
クライネは窓の外からそう言った。
「何で!君は!いつも!早朝に!!!!」
ピッチリ七三分けの男はそう言って、机を拳で叩いた。
彼はオルド帝国第9代皇帝、ヴォラトゥス卿。
名前か苗字だか。
ついでに、同族の長命種であり、クライネの主治医でもある。
「私何でか、朝に激強なんですよ」
「知っている」
クライネは台パンの音響を聴きながらティーカップに紅茶をセルフで注いだ。
客人とは言え、安眠を妨げた者には優しくないらしい。
ふーむ。
だがしかし、良い茶葉だ。
「ヴォラ卿、この茶葉はどこのですか?」
「略すな。それは君と仲のいいお嬢さんのとこだ」
「えっ?ビジョンちゃんのとこですか?」
「君は菓子しか食わないから分からないだろうが」
嫌味を横に、クライネは「帰りに買っていーこおっと」と新たな任務を記憶する。
そんなクライネを見てから、ヴォラトゥスはクライネが持ってきたカゴに目を移した。
「……」
「……何見てるんですか」
「そのカゴは?」
「ああっ、これは」
クライネは膝の上にカゴを起き、ぱかりと開いた。
「菓子……?」
「に埋もれた書類です、どうぞ」
カゴの中には、大量の菓子に埋まる大量の書類。
それらの紙には、軍兵士達の身体状態に関する詳細がこと細かく書かれている。
「お菓子は私からの労いです。感謝してね」
クライネは紅茶を口に含む。
目の前には顔が死んでるヴォラトゥス。
「はぁ……もういい、分かったから……」
帰ってくれ……と訴えるヴォラトゥスを見て、クライネはソファーから立ち上がった。
「何かあったらルージュ様にお手紙を送ってください。とは言っても、近々またお伺いしますが」
「ああ、診療か?」
籠を少しでも遠ざけようとするヴォラトゥスは、クライネのその言葉で顔を上げた。
「それもですけど、あと数ヶ月で換翼ですし」
「分かった……と、その前に、少し待っておいてくれ」
「はい」
ヴォラトゥスはそう言って部屋を出ていく。
しばらくした後、彼は一封の手紙を持って戻ってきた。
「これをルージュに渡してくれ」
「あれ?手渡しなんて珍しいですね」
「ああそうだな」
ほれほれ、とヴォラトゥスはクライネを屋敷から雑に追い出した。
二度寝するつもりらしい。
しゃーなし、とクライネは胸ポケットに手紙を入れて、門の前で翼を広げた。
さきほどヴォラトゥスとも話したが、クライネのこの翼は夏の終わりから秋にかけて生え変わる。
羽ではない。
翼自体が抜け落ち、また新たな翼が生えるのだ。
クライネはこの換翼が地味に辛い。
翼がないとお使いは馬か馬車だし、生えてくる時も痛いし痒い。
「はぁ〜あ……」
クライネは大きなため息をひとつ吐いてから、ビジョンの店に向かうのだった。




