【閑話】
そのころ、里楽がもといた世界では。
「──ただいま。里楽、いる?」
部屋の電気はついていて明るいのに、不気味なまでにシンとしている。
「里楽ー? ……お風呂の電気が付いていたみたいだけど。寝たのかな?」
そのまま風呂場まで歩いて行って、お風呂の扉を一応ノックする。
コンコン
「……里楽?」
今更かと思いながらも、脱衣所を見回す咲庵。
「……着替えが、ある」
お風呂で寝てしまったのか、と思い、さすがにお風呂の中にいつまでも取り残しておくわけにはいかないと考え、娘であるが、失礼を承知して、風呂場に入る。里楽の肩を優しく揺する。
「里楽、里楽。起きて」
「…………」
いつもなら軽く声をかけたら起きるのに。そしてはたと違和感に気づく。
(……待って。…………息をしてない?)
身体を湯船から取り出し、床に座らせ、タオルを被せる。手首をそっととり、脈を測ろうと試みる。
「……っ……!」
(…………鼓動が、ない。そんな、こんなこと、こんなこと……って…………)
視界が一瞬ブラックアウトしたかと思うと、次は急に眩しい光に襲われるかのようになる。
鼓動が動くのと重なるように、黒と白が点滅する。
目の前の景色と、目の前にある信じ難い事実を、本能が拒むかのように。
そしてその自分の本能のまま、咲庵は動く。
食器棚から先端が鋭く尖ったそれを取り出す。
そして、里楽の──紫音のもとへ、また戻っていく。
「紫音…………紫音……っ」
里楽の頬を優しく撫でる。
彼にとって──月神咲庵にとって。
里楽の──紫音の居ない日々になど、価値はなかったのだ。
これは、いつまでも妻の死を受け入れられなかった男の未路である。
(もう、この世界には……僕の生きる価値なんて、ない)
食器棚から取ったそれを自分の腹部に突き立て──一気に突き刺した。




