97、現在 女王の顕在
「フィーネ、本当にどこにでもいるな。そろそろ出てくるとは思ったよ」
史音は険しい表情のまま、女の形をした存在に向けて乾いた笑いを向けた。
「史音、修一、橘侑斗。やっとここまで来たか? 遅かったな」
どこか嘲るような声。これまで散々行く手を阻んできた者の言葉とは思えないほど、軽薄な響きを帯びていた。
侑斗は腕に巻いていた布を外し、そこから短剣を抜き取る。刃に宿る光は、日本での一連の事件を経て完全に戻っていた。零の無事を確認できたことで、彼の心にもかすかな安堵があった。だが、今はそれを考えている場合ではない。
「おまえが虚無の神殿の手前に、この中間階層体を置いたのは最初から知っていたぞ」
史音の声は静かだったが、その言葉には確固たる自信が宿っていた。
「ベルもアタシも、お前の行動をずっと監視していた。お前の仕える者が真の敵だってことは気づいていた。箔花月の森の調査ももちろんやって来た。アタシはこの中に入る方法も知っている。ついでに破壊する方法も考えてあるぞ」
その言葉にも、フィーネは何の反応も見せない。ただ、ゆっくりと左手を胸に当て、無機質な動作で頭を下げる。
「……はあ? 何のつもりだ」
史音の眉が険しく寄る。
「人間が他者を我が家に招く時は、“ようこそ” と言って仰々しい仕草をするのだろう」
フィーネの声には、感情の欠片すらなかった。
「西園寺史音、葛原修一。お前達を歓迎する。お前の創った装置は、我が主の中に入ることを可能にするだろう。私が保証しよう。自分達の身体構造の階層を我が主に合わせて、中に入ればいい。無事に出られるかは保証しないが」
不気味な沈黙が場を支配する。
「ところで……」
フィーネの視線が侑斗に向けられる。その無機質な瞳から、白い光弾が放たれた。
「ッ──!」
侑斗は即座に短剣を振るい、光弾を弾き飛ばす。周囲の空間が軋むような音を立てた。
「橘侑斗、お前を歓迎するわけにはいかない」
フィーネの声が低く響く。
「お前はただ存在し、女達に利用されるだけの存在のくせに、私の計算のパラメータを常に狂わせる。だが逆に言えば──お前がいなくなれば、邪魔な女どもは投了だ」
空気が凍りつくような冷たさを帯びる。
「お前はここで消えてもらう……何より、ブルの戦士ユウの残照であるお前から、我らの仇敵・甲城トキヤの気配を感じる」
侑斗は無言でクリスタル・ソオドを握りしめた。次の瞬間、刃が鋭い閃光を放つ。
──縦一文字。
フィーネの体が真っ二つに裂ける。だが、すぐ背後に新たなフィーネが現れた。
「……トキヤも、仕組みも原理も違うが、透明な剣を使っていたな。忌々しいことだ」
今度のフィーネは、左腕の指先から青白い布を伸ばしてくる。
「っ……!」
侑斗の足に絡みつく布。瞬間、身体が引き寄せられる。
「くそっ……!」
バランスを崩した侑斗に、再び光弾が飛来する。寸前で短剣を振るい弾きながら、絡みついた布も斬り裂いた。
侑斗は一気に距離を詰めると、フィーネの心臓の位置に剣を突き立てた。
「──ッ!」
再び、フィーネの身体は風船がしぼむように縮み、消滅する。しかし、すぐに左側から別のフィーネが現れる。
「侑斗!」
史音が駆け寄ろうとする。
「来るな! 史音!」
侑斗が叫ぶ。
「剣の力は底が知れないが、お前の体力はいつまでも持つことはない。ここで私と永遠に戦い続け、やがて倒れ、お前は死ぬ」
新たなフィーネが横から現れ、その隣にまた別のフィーネが立つ。次々と、幾重にも増えていく。
「……フィーネ、最早自分が化け物であることを隠すこともしなくなったな」
修一が史音の前に出て、睨みつける。
「史音、修一! 俺を置いて行け。そして敵の本拠地を潰せ!」
侑斗の叫びが響く。
「俺はここで死んでも構わない! 誰かのために、何かができるなら──それは俺の本懐だ!」
幾重にも増殖するフィーネの攻撃を受けながら、侑斗はなおも声を張り上げる。
「……馬鹿野郎!」
史音の声が震えた。
「アタシにはお前が必要なんだ! アタシだけじゃない、ベルだって、修一の姉さんだって、きっとアオイだって──!」
その瞬間、四方から無数の青白い布が放たれる。
「っ……ぐッ!」
侑斗の身体に絡みつき、四肢を締め上げる。
力を振り絞り剣を振るおうとするが、布は次々と絡まり、やがて侑斗の動きを完全に封じ込めた。
──視界が、暗くなる。
「……侑斗!!」
史音の叫びが、虚無の中に響き渡った。
推敲し、情景描写を増やしました。
「──終わりだな」
フィーネが淡々と言い放つ。
虚無に満ちた空間に、彼女の言葉だけが響く。
「日本で私の本体は著しく損傷したが、我が主の傍であれば私の力は絶対だ。これで、本来あるべき時系列が出来上がる。嬉しいという人間の感情はよく分からないが、多分、今の私はそんな状態なんだろう」
彼女の左手が白く輝き始める。まるで全てを塗り潰すかのような光。それが、振り下ろされる──侑斗を貫くために。
──ああ、やっと終わるな。
侑斗は、全てを受け入れるように瞳を閉じた。
自分で決めた、自分の最後だ。
本当は──亜希や零、琳や彰、洋と、もっとくだらない話をしたかった。そして、本当はもう一度……あの人に会いたかった。
フィーネの腕が振り下ろされる刹那──
天空が紅に染まった。
深紅の光が天から舞い降りる。燃え盛る流星のような輝き。それはフィーネを一瞬にして呑み込み、消し去った。
「……っ!」
残された者たちが息を呑む。
光の中心に、一人の少女がいた。
金の髪が光を受けて煌めき、優雅に揺れる。その姿は幻想のようで、しかし圧倒的な存在感を持っていた。彼女の瞳が静かに瞬く。次の瞬間──
全てのフィーネが、音もなく掻き消えた。
「……女王……」
修一が、驚愕に凍りつく。
「ベル!」
史音の声が震えた。
ベルティーナは、倒れかけた侑斗をそっと抱きかかえる。その腕は、決して離さないかのように彼を包み込む。
侑斗の身体は限界を迎えていた。戦いの傷、疲労、そして死を覚悟した心。全てが彼を押し潰そうとしていた。だが、そのぬくもりが、彼を支えた。
「……貴女は……女王ベルティーナ……」
侑斗の声はかすれていた。それでも、彼は確かにそう言った。
ベルティーナは、侑斗を抱きしめたまま、そっと涙を流す。
「ええ、そうですよ」
彼女の瞳は、深い悲しみに揺れていた。
「私の創ったあなた……ずっと、辛い思いをさせてきましたね」
紅の光が彼女を包む。その光の中で、彼女は静かに言葉を紡いだ。
「あなたを転創させた時、私は……かつて共に戦ったトキヤのイメージを重ねてしまった。それ故に、私は貴方の一部を”戦士”として創ってしまった。でも……」
ベルティーナは、そっと侑斗の頬に触れる。その手は、震えていた。
「でも、紛れもなく貴方はユウの一部……そして、私の全てです」
涙が、一粒、侑斗の頬に落ちた。