表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
93/244

91、現在 黄呂

零と亜希と別れた彰、洋、琳の三人は、寄り添うようにして庭園を繋ぐ岩の回廊をゆっくりと歩いていた。足元の岩肌はざらついており、ところどころ苔むしている。遠くには黒々とした溶岩園が広がり、鉄塔がそびえ立っていた。


「零さんの言う通りだ。純粋で無邪気な悪意とやらが近くにいる。俺、なんとなく感じるよ」

彰が周囲に目を配りながら、乾いた声を絞り出す。その顔には緊張が張り付いていた。


「そうだね。二人とも、五感はもちろん、できれば六感も研ぎ澄ませて慎重に動こう」

松原洋が低く言うと、彰と琳が無言で頷いた。琳は零から受け取った赤い羽帚を握り締める。その指先に力がこもっていた。


「とりあえず、零さんたちの向かった鉄塔から離れたほうがいいですよね。そうすると、この溶岩園のかなり奥を目指すことになると思うんですが……」

琳は羽箒を掲げ、遠くに見える岩屋を示した。


「そうだな。あそこまで700メートルくらいか。零さんの準備もあるだろうから、何とか敵を引きつけておいた方がいいだろう」

彰が賛同し、三人は慎重に歩を進めた。



数百メートルほど進んだとき、空の色が変わり始めた。


三人は思わず足を止め、見上げる。


雲が異様だった。まるで生きているかのように渦を巻き、緑色の光を帯びている。時折、雲の奥で雷のような閃光が走るが、それは通常の稲妻とは異なり、不気味にねじれた形をしていた。


やがて、ぽつりと液体が降ってくる。


彰は反射的に手を伸ばした。


「……なんだ、この雨? 黄色いぞ」


掌に落ちた滴は、ねばついた粘性を持ち、不快な臭気を放っていた。ぞっとして手を振るうと、それは彰が持つ青い羽箒の輝きによって、一瞬で蒸発した。


洋と琳も同じだった。彼らの体に降り注いだ黄色い雨は、すべて霧散していく。


だが――三人以外の者に触れた途端、その雨は容赦なく人間の肉を溶かし始めた。


「ぎゃあああああ!!」


絶叫が響く。


人々は次々と地面に崩れ落ち、その姿がみるみるうちに溶けていく。肌がただれ、骨が露わになり、最後にはすべての形を失って黒い染みと化した。


雨は十数分降り続いた。


そして静寂が訪れたとき、三人の周囲には、もはや誰一人として残っていなかった。


気がつけば、上空の雲は収束し、再び普通の空が広がっている。


だが――その中心に、一人の金髪の少年が立っていた。



「ああ、蛇歐の回廊で育てた僕の『黄呂』は、なかなか出来が良い。邪魔なものは、大体消し去ってくれたな。計算より少し小さいけど、まあ問題はない。それにしても……」


少年は冷笑を浮かべながら、ゆっくりと視線を三人に向ける。


「僕の『黄呂』を浴びて無事でいるそこの君たち……何者なのかな?」


彼の周囲に、三つの影が現れる。


レオ、ヒューリ、カノン――アローンの配下たちだ。


「レオ、とりあえずさ……あの前にいるオジサン、目つきが気に入らないから殺してきてくれないか?」


アローンの無造作な指示に、レオは下を向いたまま黙って頷く。そして、ゆっくりと彰に歩み寄ると、一瞬にして跳躍した。


刹那、空気が張り詰める。


背の高い、気弱そうな少年がナイフを突き立てようと彰に迫った。


しかし――


刃が彰の体に触れた瞬間、ナイフは跡形もなく消失した。


レオの目が見開かれる。


「……なんだ……?」


動揺しながらも、再びナイフを取り出す。今度は知成力を込めて振りかぶる。


だが、彰が軽く手を振った瞬間――


再びナイフは消え去った。


「っ……!!」


レオは完全に取り乱し、後ずさる。そして頼るようにアローンを振り返った。


アローンは、深々と溜息をつく。


「いつもながら、まったく役に立たないねぇ、レオ」


その瞬間、アローンの足がレオの腹を蹴り上げた。


鈍い音が響く。レオの体が吹き飛び、地面に転がる。


ヒューリとカノンが顔をしかめた。



琳が鋭く睨みつける。


「……分かったよ。零さんが言っていた『無邪気で純粋な悪』」


「純粋な悪? それは僕のことを言ってるのかい、お姉さん?」


アローンが薄く笑う。


「この世界で善悪の価値基準を決めるのは、僕のだ。だから僕が正しいと思ってする行為は、すべて正しいことになる。それが世界の正義だよ」


嘲笑から始まった言葉は、最後も嘲笑で締めくくられる。


「……これほど品性のない正義を見たことも、もちろん想像したことすらないね」


洋が静かに呟いた。


アローンが洋に向かって手を伸ばす。


だが――何も起こらなかった。


「フン、君たちは葛原零の関係者だね? 波動関数を操って僕の攻撃を無かったことにしている」


零や亜希との出会いがなければ、三人の心は挫けていたかもしれない。


だが、彼らは知っている。


計り知れない力を持ちながらも、友人として接してくれる二人がいる。だから、彰も洋も琳も、この悪魔を前にしても怯まない。



「……う、ああ……」


背後から、かすれた女性の声が響いた。


五体を失わず、どうにか意識を取り戻した者がいたのだ。


アローンは、すかさず指を向ける。


琳が反射的に彼女の前に踊り出た。


だが――アローンの攻撃は琳をすり抜け、女性を直撃する。


次の瞬間――


苦痛に満ちた、絶望の叫びが響いた。


「ハハハ、君を守る力は君自身にしか効かないんだよ」


アローンは堪えきれない、といった様子で高らかに笑った。

地面に倒れていた何人かが、微かに呻きながら意識を取り戻す。

そのうちのひとり、小さな女の子がよろめくように起き上がり、状況が分からないまま怯えた瞳で周囲を見渡した。


「僕はね、子供のような不条理な生き物が大嫌いなんだ」


アローンの細い指が、少女を狙うように真っ直ぐ伸ばされる。

琳の顔が怒りに歪んだ。


「この、悪魔! 化け物! 世界の敵!」


怒声とともに、琳はポシェットから赤い羽箒を引き抜き、アローンに向かって勢いよく振り下ろした。

その瞬間、アローンの指先から放たれた邪悪な力が霧散する。


『敵に対して直接振るえば武器にもなる』


――零の言葉は本当だった。


アローンの顔に驚愕の色が浮かぶ。指をさすりながら、目を細める。


「痛いなあ。なんてひどいことをするんだい? 悪魔は君のほうじゃないの?」


「おまえの痛みなんか、痛みのうちに入るもんか! おまえに他人の痛みが分かるのか!」


琳は怒りのままに羽箒を振るい続けた。

だがアローンは舌打ちし、カノンとヒューリを前に立たせる。


「やめろ、琳ちゃん!」


洋が叫ぶ。琳ははっとして手元を見下ろした。

柄の根元から、赤い色がじわじわと白に変わっている。零が与えたこの羽箒は、あくまでも“守る”ためのもの。攻撃すればするほど、その力は失われていく。


「ふむ、なるほどね。じゃあ対処法は簡単だ」


アローンがヒューリに向き直り、無邪気に微笑む。


「ヒューリ、あの人のところへ行って、直接あの羽箒を奪ってきてよ。君は身体能力が他の二人より高いし、女性同士だからやりやすいだろう?」


ヒューリの瞳が揺らぐ。だが次の瞬間、波頭を跳び、琳の目の前に降り立った。琳はとっさに羽箒を翳す。


「……ごめんなさい……」


小さく呟きながら、ヒューリが琳の腕を掴む。突然の接触に琳は驚き、羽箒を手放してしまった。


「なぜ謝るの?」


琳が問い詰める。


「あなたも強い力を持っているじゃない。なのに、なぜあいつの言いなりになってるの?」


ヒューリは悲しそうに微笑んだ。


「私は……あの悪魔に“他我の種”を支配されている。でも、支配されていることが分かっていても、どうすることもできない……でも、もう……もう嫌だ!」


ヒューリは震える手を、自らの胸に伸ばす。


「こんなもの、今すぐ切り捨ててやる……!」


強く握りしめた左腕が、大きく曲がる。黄色い操作線が振動する。

鋭い痛みが走り、彼女は声を詰まらせた。


「ヒューリ、僕を裏切るのかい?」


アローンの声が冷たく響く。


「そういうの、僕は絶対に許さないよ」


アローンが右手を振る。

琳は咄嗟に地面に落ちた羽箒を拾い、アローンに向かって振るった。

しかし、そのたびに羽箒の赤が失われていく。


「馬鹿野郎!」


彰と洋がそれぞれ青と緑の羽箒を取り出し、琳とヒューリを庇うように立つ。


「ようやく手の内を見せてくれたね。じゃあ次はこれだ」


アローンの上空に漂っていた不気味な緑の燐光を放つ物体が、ゆっくりと形を変え、今度は三人に向かって押し寄せる。


「人の怨念でできた“黄呂”に、君たちはいつまで耐えられるかな? まあ、そのうち君たちも、怨念の一部となるんだろうけど」


黄呂がうねりながら襲いかかる。

彰、洋、琳、そして守られているヒューリは必死に耐えていたが、彼らの羽箒はすでに色を失いつつあった。


「畜生、もうちょっと役に立ってから死にたかったぜ」


彰が冷めた目で呟く。


「僕は、彰くんや零さん、亜希さん、琳ちゃんに会えただけで、この人生に悔いはないよ」


「二人とも格好いいですね。私も最後まで、かっこよく付き合いますよ」


アローンが苦笑しながら黄呂を操る指を高く掲げた、そのときだった。


――ドンッ!


アローンの身体が、横から強い衝撃を受けて倒れる。


驚愕するレオとカノン。


「……っ!」


その時、誰よりも早く動いたのは、冬樹薫だった。


彼女は、全身の力を振り絞り、アローンを押し倒したのだ。

その一瞬の隙が、彰たちにとっての“時間”となる。


だが――


胸に風穴が空いた感覚が、薫の意識を飲み込んでいった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ