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79、現在 蛇謳トンネル――滅びの出口

薄暗いトンネルの中で、亜希と彰はただ黙って立ちすくんでいた。湿った空気が肌にまとわりつき、遠くで滴る水音が響く。後部座席に移した零は青白い顔で瞳を閉じ、冷たい汗を浮かべながら苦しそうに身を縮めている。


「どうしよう?」亜希は息を詰まらせながら彰に尋ねた。


彰はトンネルの先をじっと見つめ、深いため息をつく。「零さんがこんなことになるなんて、思いもしなかった」


その言葉に、亜希も改めて現実を痛感する。零はいつも超然としていて、まるで不可能なことなど存在しないかのようだった。どんな状況でも冷静に対処し、怯むことなどなかった。だが、その強さに甘えすぎていたのかもしれない。


「亜希さん、とりあえず車の中に入ろう。外にいると、なんか気味が悪い」


彰の言葉に従い、亜希は助手席に、彰は運転席に座る。後部座席の零は意識が混濁しているようで、うわ言のように何かをつぶやいていた。


「ユウ……行かないで。その人と行かないで……侑斗……貴方だけは……私を見て、そばにいて……」


零の頬を一筋の涙が伝う。その姿が痛々しく、亜希は拳を握りしめた。こんな風に零を苦しめる存在がいるなら、絶対に許せない。


「誰か……いないの?ドク、ウエス、クラザ……私しか生き残っていないの?もう一人は嫌だ。みんな……修一、琳、洋、彰、どこにいるの?」


「俺はここにいるよ、零さん」


彰は静かに声をかけるが、零の目は開かないままだった。


「誰か……助けて。こんな寂しい世界、耐えられない……」


その瞬間、亜希の目には零の中の“他我の種”から伸びる、幾筋もの黄色い糸が見えた。それは震え、零の体へと絡みついているようだった。亜希はそっと手を伸ばし、糸に触れようとする。


「亜希さん……その手の先、糸みたいなもの……何だ?」


彰もまた、亜希が手を伸ばしたことで、零の他我の種と、それを縛る糸の存在を認識したらしい。亜希は躊躇しながらも、そっと糸をすり抜け、他我の種に指を触れた。


その瞬間、零の瞳がかっと開く。


「助けて、亜希さん……私を助けて……この糸を引きちぎって……!」


必死の訴えに、亜希は衝動のままに黄色い糸を引きちぎる。すると、零の口から苦しげな叫びが漏れた。


「亜希さん、やめろ!零さんが死んでしまう!」


彰が慌てて亜希の腕を掴む。だが、零は弱々しく首を振った。


「大丈夫……これは身体の痛みじゃない。私の心が生み出した痛み……だから、続けて……」


「……そんなの、もっと酷いじゃない……!心の痛みをこれ以上与えたら、零の精神が壊れてしまう……!」


亜希の目に涙が滲む。しかし、零は亜希の手を握り、苦しげに言葉を紡いだ。


「このままじゃ……私たちは琳や洋のもとに戻れない……この糸は、私自身では切れない……」


零は震える手で亜希の手を導こうとする。しかし、力が入らず、すぐにその手を離してしまう。


「くそ……俺は本当に役立たずだ……何もできない……何をしたらいいのかも分からない……!」


彰がハンドルを叩き、悔しさを露わにする。


「もういい、俺は零さんと亜希さんとここで死んでも構わない……悔しいけど、俺にできるのは、それを覚悟することだけだ……」


その言葉が、亜希の何かを強く刺激した。


「……ダメだよ、そんな簡単に諦めたら……!私、まだ何もかも精一杯やっていない……!」


亜希は今度は自ら零の手を握る。そして深く息を吸い、目を閉じて、身体の奥に潜む何かを呼び起こした。


背後から、星々の声が聞こえる。


――銀河の声。


理不尽を、非合理を、不条理を否定する声。


その力が亜希を貫き、全身に満ちていく。


「……亜希さん……背中に……宇宙が……」


彰の驚愕の声が微かに届く。しかし亜希は、もはや別のものに突き動かされていた。その力は亜希の感情と融合し、零に絡みつく糸を、一瞬で焼き尽くした。


零の表情が安堵へと変わる。だが、糸の余韻がまだ零を苦しめ、浅い息を続けさせていた。


「彰……車を出して……」


零がか細い声で指示する。


「分かった!」


彰はすぐにエンジンをかけ、セレクトレバーを操作する。車が勢いよく発進した。


「糸に絡まれる前に、一つだけ大きな可能性を持った出口が見えた……確率振幅を一時的に妨害している何者かの意思を感じる……でも、長くは開いていない……私の言う通り、車を動かして……」


亜希は不安げに、運転する彰と指示を出す零を見守った。


「少し右……速度を落として……今度は、大きく左へ……!」


零の指示する方向は、時にトンネルの壁に向かっていた。しかし、彰がそちらにハンドルを切ると、不思議と道が現れた。


「俺は零さんの狂信者だからな……信じるしかないさ」


彰はそう呟きながら、指示通りに車を走らせる。


そして数分後、彼らは無事にトンネルを抜け出した。


危ないところだった。


落合美沙は詳しく教えてくれなかったが、振栓ケーブルの切断場所には教団の信者たちが見張っていた。冬樹は落合からの連絡を受けるや否や、車を急発進させ、信者たちを押しのけながら遅れて地下へと潜り込んだ。手元の頼りない携帯ライトの明かりを頼りに、湿気のこもった薄暗い空間を慎重に進む。冷たいコンクリートの壁には水滴が伝い、足元には泥が広がっている。鼻をつく湿った空気の中で、冬樹は必死に捜索を続け、ようやく目的のケーブルを見つけた。


手際よく工具を使い、切断する。


「……これでいいはずだ」


ケーブルが切れた瞬間、周囲の空気が一変したような気がした。何か大きな力が動きを止め、世界の歯車が僅かに狂ったような感覚が背筋を這い上がる。しかし、今は余韻に浸っている場合ではない。


「木乃実亜希たちは無事だろうか?」


ふと、胸の奥に不安がよぎる。ここでの作業は完了したが、彼女たちがどうなったかはわからない。


冬樹は泥だらけになった服を払いながら、地下通路のハシゴをよじ登る。身体はすでに疲労で悲鳴を上げていたが、立ち止まるわけにはいかなかった。


そして、地上へ這い上がった瞬間——。


「おまえは……落合美沙によって処分されたと聞いたが……何故そこにそうしている?」


冬樹は驚きに目を見開いた。


目の前には、銀髪の女が無表情で立っていた。月明かりに照らされたその姿は、まるで人形のように静かで、冷たく、そして異様なほどに整っていた。その瞳には何の感情も宿っていない。


冷たい風が吹き抜ける。


夜の静寂の中、冬樹は思わず息を呑んだ。

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