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78、現在 概念の刃、銀髪のフィーネ

前方にいたはずの銀髪の女が、突如として冬樹の背後に回っていた。

 空気が凍りつくような感覚に襲われる。背中に浴びせられる視線は、これまでに経験したことのないほど圧倒的だった。


 それはあらゆる感情を持たない存在だった。行動そのものが理由であり、存在そのものが理由である——まるで概念そのものが具現化したかのような異質さを纏っている。在城龍斗の下には、このような化け物じみた者がいるのか。


「聞こえなかったか? もう一度言う。おまえは何者だ?」


 冷たく響く声に、冬樹は喉を鳴らした。嘘偽りが通じそうにない。乾いた唇を舐め、絞り出すように言葉を発する。


「私はこの組織の末端にいた者です。今は女王の下で、貴女たちのスパイをしています」


 真実をほぼそのまま告げた。この女は次に何をする?


「女王のスパイ? おまえがか」


 フィーネと名乗る銀髪の女が、低くつぶやいた。次の瞬間、彼女の黄色の瞳が妖しく光を放つ。鋭い殺気が弾けた。


 何かが飛び出してくる——!


 冬樹は本能的に身を引こうとしたが、間に合わない。だが、直後。


 先ほどまで向かい合っていたはずの女が、瞬時にフィーネの背後に移動し、その肩を掴んでいた。


 閃光が走る。フィーネの瞳から放たれた黄色い何かが、冬樹の髪をかすめ、背後の階段の一部を抉った。わずかな差で死を免れたのだ。


「フィーネ、ここで騒ぎを起こさないでください」


 低く冷ややかな声が響く。冬樹が先ほどいた部屋で信者たちに指示を出していた女だった。彼女もまた、常人ではない。


「上にいる者たちが集中できなくなる。それに、私たちはこの国の治安組織にも目をつけられていることをお忘れですか? 貴女が独断で行動し、トラブルを招けば、教祖も貴女への信頼を失うかもしれない」


 その言葉に、フィーネは鼻を鳴らした。


「フン……教祖の信頼などどうでもいいが、確かに今は面倒ごとを避けたいな。夜になれば、蛇歐のトンネルに仕掛けた罠で葛原零を捉えなければならない。……ならばどうする? 落合」


 落合と呼ばれた女が、じっと冬樹を見つめる。


「女王のスパイ、と言いましたね」


 彼女はなぜか微笑みながら言った。


「そうです」


「面白い冗談を言いますね。フィーネ、彼女は奥の部屋で私が尋問します。貴女は入り口で侵入者の監視をしてください」


 フィーネは渋々と頷き、冬樹から視線を外した。


 落合と呼ばれた女が、冬樹の肩にそっと手を置き、奥の部屋へと導いていく。


 案内されたのは、一階の最も奥に位置する狭い部屋だった。たった一坪ほどの空間に、作業机とロッカー、そしてデスクトップパソコンが置かれている。


 落合は作業机に腰掛け、手前の折り畳み椅子に冬樹を座らせた。


 目の前の女は敵である。しかし、同時に冬樹の命を救った恩人でもあった。なぜ彼女は自分を助けたのか? 冬樹はその理由が分からず、警戒を解くことができない。


「さて、貴女のお名前を教えてください」


 落合が涼やかな声で問いかける。


「入信した者に配る許可証には若槻真理(わかつきまり)とありますが、これは貴女の本当の名前ではありませんね?」


 冬樹は警戒を緩めずに答える。


「私は冬樹薫と言います」


 その間も、部屋の外にいるフィーネへの警戒を怠らなかった。膝の上で拳を握り締める。


「フィーネのことは心配しなくて大丈夫です」


 落合は穏やかに微笑みながら言った。


「あれは些細なことに執着するということができない女です。まあ、本当に『女』なのかも分かりませんが……扱い方さえ覚えれば、何とか対処できます。殺せるかどうかは分かりませんが、意外と隙だらけですよ」


 落合はブラウスの袖を軽くまくり、細い腕を顎の下で組んだ。くつろいだ姿勢だ。


「それで冬樹薫さん——貴女はなぜ女王のスパイなどと偽ってここに潜入したのですか?」


 確信めいた口調だった。


 冬樹は女王に仕えることを約束したが、正式に何かを命じられたわけではない。教団には、スパイを見分ける力があるのか?


「私は女王ベルティーナの役に立つためにここへ来ました。それは真実です」


 落合は苦笑し、息を吐いた。


「なるほど。では、どうして貴女が女王のスパイではないと分かるのですか?」


 冬樹が問い返すと、落合は顎の下で組んでいた手をほどき、机の上にそっと広げた。


「だって——女王のスパイは私ですから」


 落合の瞳が微かに細められる。


「教団の中で、再び女王の元へ戻った者を、私たち『枝の神子』は知ることができます。でも、貴女のことなど、まったく知らない」


 その言葉に、冬樹の握っていた拳から力が抜けていく。


「スパイ……貴女が、女王の……?」


「そうですよ。さあ、今度は貴女の正体と目的を教えていただけますか?」


 冬樹はこれまでの経緯を、できる限り簡潔に語った。


「なるほど、椿優香の……アオイの指示で、この地に来た、というわけですか」


 落合美沙——そう名乗った彼女は、静かに立ち上がり、細い足で身体を支えながら思索にふけった。


「フフ、これは良いタイミングでしたね。葛原零達がこの地に来たのは、フィーネの予想が当たってとても不愉快だったのですが。此処を動けない私の代わりに貴女にやって欲しい事があります。優香が貴女に期待したことが少しは出来るでしょう」


後ろを向いたまま落合美沙は一方的に話しかける。冬樹は腰かけたまま動けない。部屋の空気は冷え冷えとしており、緊張感が漂っていた。


落合は机に戻り、PCを操作して冬樹に自分の方へ来るよう促す。ディスプレイにはWEBマップが表示され、モニターの青白い光が二人の顔をぼんやりと照らす。落合はマウスポインタを動かしながら、現在の位置を指し示した。


「ここから32.2km先に、さっきフィーネが言っていた『蛇謳(じゃおう)のトンネル』があります。先ほどまで貴女達が作業室で行っていたのは、その場所にある仕掛けを駆動させるための作業です。貴女達があの光点を見つめ続けることで、絞り出した知成力でその仕掛けが駆動します」


落合は冬樹の横顔を盗み見る。彼女はすぐに状況を理解したようだった。その素早い理解力に落合は感心する。女王との謁見を許され、椿優香に仕事を任されたのも納得がいく。


「それでは、そのトンネルとこの場所との間の振詮ケーブルを断ち切るのが、私の役目ということですね?」


冬樹は落合からの説明を簡略化し、承諾の意を示した。PCの画面には、無数の回線が張り巡らされている図が映し出されている。


「長い時間断ち切るのは不可能です。葛原零達がトンネルに入ったことを私が貴女に知らせます。そのタイミングで地下のケーブルを数分断ち切ってください。ブレーカーに似たレバーを下げたら、すぐにその場所を離れてください。振詮ケーブルが再び動き出すと、貴女は幾多の可能性の海へバラバラに投げ出されてしまう」


冷静に語る落合の声が、冬樹の鼓膜に鋭く響く。彼女は言葉の意味を反芻しながら、深く息を吸い込んだ。


落合の手引きによって、冬樹は部屋の窓から脱出することができた。夜の冷気が肌を刺すように感じる。遠くで微かに犬の鳴き声が聞こえた。


フィーネという女の反応が気がかりではあったが、落合美沙の表情には微塵の不安もなかった。彼女はすべてを計算し、上手くやれるのだろう。自分などよりも、遥かに。


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