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76、現在 決意と疑念のハーブティー

「もう、どうして良いか分からないんです……」


 閑散としたカフェの奥の席で、冬樹の正面に座る若い女性が、苦しげに言葉を吐き出した。顔色は悪く、細い指先はテーブルの縁をかすかに掴んでいる。彼女の視線が横の男性へと移る。


「実際に教団に参加する前日だから、急に気持ちが不安定になっただけだよ。明日になれば、きっと落ち着く」


 男性はじれったそうに彼女を見つめ、冷たく言い放つ。彼の声にはどこか苛立ちが滲んでいた。


「いえ、それは一理ありますが、彼女の気持ちはそんなに単純なものではありませんよ」


 冬樹は静かに言った。彼の声音は穏やかだが、その視線は鋭く、二人の関係を見極めようとするかのようだった。


「貴方たちはパートナーなのだから、もう少し真剣にお互いの気持ちを考えた方がいい。相手の立場になって、ね」


 窓の外には、冬の軽井沢の街並みが広がっている。灰色の空が低く垂れ込め、凍えるような風が木々を揺らしていた。遠くに見える別荘地――そこでは、木乃美亜希たちがじっと潜んでいる。冬樹は何日も彼らの動きを監視していたが、いまだに彼らが姿を現す気配はない。何かが起こるのをただ待つだけ、というのは彼の性分に合わなかった。


 「教団が何をしようとしているのか、それを先に探るべきだ」


 そう考えた冬樹は、本家の軽井沢に足を運び、「地球を守る教団」の活動を調査し始めた。


 街を歩くと、教団の腕章をつけた人々がちらほらと目に入る。規律正しく歩くその姿は、異様なほど統制が取れていた。そんな中、冬樹の視界に入ったのが、目の前の二人だった。彼らは教団のメンバーの後をついて歩いていたが、突如、女性の方が何かに気づいたように足を止め、隙を突いてその場を離れた。彼女を追って、男性も教団の元から飛び出していった。


 迷いながらも、何かに抗おうとする者——そんな貴重な存在を見つけたのは、運が良かった。


 冬樹は逃げてきた二人を自分の車のスモークがかった後部座席に匿い、教団の追っ手を撒いた。そして今、こうしてカフェで話を聞いている。


「まず、貴方たちはなぜ教団に参加しようとしたんですか?」


 冬樹は静かに問いかけた。


「日常に、何か不安や不満があったんですか?」


「それは……」


 男性の方が口ごもる。


「正直、自分でもよく思い出せないんです。ただ、何となく自分の大切な日常が壊れそうな気がして……何かをしなければならない、という衝動に駆られていました。特に、空にあの白い線が現れてから」


 冬樹の脳裏に、鈍く光る空が浮かぶ。地球を守る教団は、「何もしなければこの世界は滅びる」と信じ込ませ、人々の不安を煽り、信者を募る。椿優香は、集めた信者を「何かの目的」に利用すると言っていた。


 そして——冬樹自身もまた、そういう人間を集め、教団に提供しようとしていたのだから。


「貴女が不安を抱えているのに、時間に任せて深く考えようとしないのは、賢明な判断ではありませんよ」


 冬樹は女性を庇うように、男性へと鋭い視線を向ける。


「だって、もう決めたことじゃないか! 今さら嫌になったなんて、虫が良すぎるだろう!」


 男性の口調には苛立ちが混じる。


「だって……」


 彼女は今にも泣き出しそうな表情で、消え入りそうな声を漏らした。


「決めたことを止めるのは、別に悪いことじゃありませんよ」


 冬樹はふっと微笑む。


「私もこのカフェに入る前は、ブラックコーヒーを頼もうと決めていました。でも、実際にこの店の雰囲気を見たら、コーヒーよりもハーブティーの方が合うと思ったんです。それで、簡単に変更しました」


 彼女の穏やかな言葉に、彼女の表情が少し和らぐ。彼女は目の前のハーブティーに手を伸ばし、そっと口をつけた。


「そうですね……どうして今まで、何の疑問も抱かずにここまで来てしまったのか。今になって、それが怖いんです」


 彼女がそう呟くと、男性は不満げに顔をしかめる。


「じゃあ、お前は勝手にしろよ。俺は今の生活がもう嫌なんだ。どんなに真面目に働いても、誰も評価してくれない……俺には、今の現状を変えてくれる何かが必要なんだ」


 冬樹は彼をじっと見つめた。


 "なぜ、自分の不満を”地球を守る教団”が解決してくれると考えたのか?"


 だが、コールドリーディングでは相手の言葉を否定するのは禁則事項だった。


「そうですね。世の中が理不尽だとしても、その言葉は何の救いにもなりません」


 冬樹はゆっくりと言葉を選ぶ。


「私としては、貴方たち二人の気持ちを、それぞれ尊重したいと思っています」


 そして、一拍置いて続けた。


「どうでしょうか? 明日の教団の入団式には、貴女の代わりに私が参加するというのは?」


 彼女が戸惑ったように彼の方を見る。冬樹は今度は男性の方へと視線を向けた。


「貴方の意思は固いようですが、彼女は貴方を心配している。だからこそ、貴方も私と一緒に明日、入団式に参加してみませんか? もし、そこで少しでも迷いが生じたら、彼女の元へ戻る。それでどうでしょう?」


 沈黙が降りる。カフェの店内には、静かなクラシックの旋律が流れていた。


彼の方はしばらく考え込み、やがて渋々と冬樹の言葉を受け入れた。その反応を見て、冬樹は苦々しく思う。これが彼女に対する彼の想いの程度なのだろうか。


「貴女は何故『地球を守る教団』に参加したいんだ?」

彼はそう問いかけてきた。言葉の端に、当てつけのような響きを滲ませる。


「私は他人が騙されるのを見たいんです。人間がどれほど簡単に篭絡されるのか、実際に見て勉強させてもらおうと思って」


翌日


冬樹は彼とともに、教団の入団式会場へと足を踏み入れた。湿った初夏の空気が、ほんのり湿った靄となって漂う。ホテルに残った彼女は、今ごろ彼のことを案じているのだろう。


会場の入り口には、真っ黒なスーツを身に纏った年齢不詳の男女が数名立っていた。表情を変えず、入ってくる者たちの許可証を次々と確認していく。冬樹は少し緊張しながら列に並んだが、彼女から預かった許可証はあっさりと通された。肩透かしを食らうほど簡単な審査だった。


建物の内部は殺風景で、教団特有のシンボルやポスターすら掲げられていない。冬樹は講堂のような場所で儀式的な入団式が行われるのかと予想していたが、そうではなかった。列に従いながら進んでいくと、たどり着いたのは二階にある教室のような部屋だった。


室内にはホワイトボードが設置され、整然と並べられた机の上には一体型PCが置かれている。奇妙なことに、それらはすでにすべて起動していた。そして、USBコンセントに接続された眼鏡のようなデバイスが、各机の上に静かに鎮座している。


やがて、30人ほどの入団希望者が席に着いた頃、白いワンピースを纏った30代くらいの女性が現れた。穏やかだが、どこか硬質な声で説明を始める。


「私たち『地球を守る教団』は、儀式を尊びません。皆さんには、目の前にあるPCと接続されたアイグラスを使い、これから一週間、作業を行っていただきます。単純な作業ですが、これは教団にとって非常に重要なものです。この行為そのものが、地球を救うことに直接つながるのです」


教団の女性は静かに、しかし確固たる口調で続ける。


「ですから、この作業を通じて、貴方たちの真実を測ります」


一人の入団希望者が手を挙げかけた。しかし、女性はそれを制するように言葉を重ねた。


「質問は認めません。疑問を持つことも許しません。もし、今自分がここにいることに少しでも不安や疑念があるのなら、すぐに退出してください。しかし、それで私たちとの縁が切れるわけではありません。再び私たちに力を貸していただける気持ちになれば、いつでも戻ってきてください」


挙手しかけた者たちは、沈黙して手を下ろした。退出する者はいない。


——上手いやり方だ、と冬樹は思った。


まず疑問を持つことを禁止し、一瞬、相手の不安を煽る。そして、すぐに「ここを去っても見捨てはしない」と甘い言葉を投げかける。逃げ道が用意されていれば、人はそこに依存するものだ。


冬樹も、周囲の者に倣いながら眼鏡をかけ、作業を始めた。


PCの画面には、小さな光点が浮かんでいる。十字に引かれた線の中央に配置されており、それをアイグラスを通して追うのが目的のようだ。光点は視線の動きに反応して動き、目を逸らすと、十字の中央から大きく外れてしまう。


「休憩を取りたい方はご自由にどうぞ。その際は画面をオートモードにし、光点が画面外へ出ないように注意してください」


教団の女性はそう言い残し、静かに部屋を後にした。


冬樹は、この作業がどのように地球を救うことに繋がるのか、まるで見当がつかなかった。しかし、彼の目的はそこではない。


周囲の人々が作業に没頭し始めた頃を見計らい、冬樹はそっと画面をオートモードに切り替え、静かに教室を抜け出した。


廊下に出ると、同じような部屋がもう二つほど並んでいた。そこでも、同じ作業に従事している者たちの姿が見える。おそらく、100人近くの人間がこの施設で同じことをしているのだろう。


建物は三階建てだったが、三階は機械室と小さな休憩室のようになっていた。冬樹は慎重に一階へと向かう。


階段を降りきる前、入り口の死角に身を潜めた。その時——


「仕掛けは完了しています。しかし、教祖は葛原零には手を出さないと言っていたはずです」


低い声が聞こえた。冬樹は息を殺し、耳を澄ます。


「私たちの本拠に、女王の工作部隊が向かっている。すでに三つの防御を突破された。その一つの原因が、葛原零の力であることが判明した。だから、奴らを倒すまで、葛原零の動きを封じておく必要がある」


「フィーネ、それは貴女の独断ですか?」


「在城龍斗はもう、女王や葛原零を以前ほど恐れていない。結果を報告すれば、教祖も納得するだろう」


——フィーネ。


その名を耳にした瞬間、冬樹の背筋が冷えた。次の瞬間——


銀髪の女が、階段の陰に立つ冬樹の方へと向かってくる。


冬樹は反射的に身を翻し、駆け上がろうとした。しかし、その前に——


「お前は何者だ?」


無機質な声が、目の前から響いた。


目の前には、いつの間にか銀髪の女が立っていた。


——速い。


冬樹の全身から、冷たい汗が流れ落ちた。

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