74、現在 スタンドアローンの迷宮
小鳥谷琳と北軽井沢を結びつける手がかりは、思ったよりも簡単に見つかった。小鳥谷家は国内外に複数の別荘を所有しており、その中の一つが北軽井沢にあった。別荘地の管理人に頼めば、目的の場所を特定するのは容易だった。
だが、冬樹自身が直接そこへ向かうわけにはいかなかった。木之実亜希と葛原零には顔を知られている。特に零に見つかれば、命を落としかねない。慎重を期し、まだ初夏で観光客も少ない宿泊施設に部屋を取ることにした。
◆
宿に着くと、冬樹は借りた部屋に入り、ドアを閉めた。鍵を無造作に机に放り出し、荷物もベッドの傍に転がす。そのままベッドに身を投げ出し、天井を見上げた。手を頭の後ろで組み、改めて考えを巡らせる。
椿優香に言われるまま、木之実亜希を探し出した。だが、実際のところ何をすればいいのか、まだ分かっていない。
かつて冬樹が亜希を陥れようとしたときには知らなかったが、葛原零は女王ベルティーナの宿敵であり、有城龍斗にとっても無視できない存在だ。味方にすることは難しくても、むやみに手を出せる相手ではない。それなのに『地球を守る教団』は彼女たちを執拗に狙っている。
なぜだ?
教祖の指示か、それとも末端や自称関係組織の独断なのか。その可能性が最も高いように思えるが——。
普通の民家に集団で襲いかかるという行動は、いくら何でも不自然だ。いや、群集心理としてはあり得るかもしれない。だが、彼らが襲撃した直後に、何者かの力によって一瞬で暗示が解かれたという状況は、冬樹にとって理解しがたいものだった。
これは、集団催眠などとは次元が違う。
誰かが意図的に、圧倒的なマインド・コントロールを行っていた——
では、その「誰か」は誰なのか?
有城龍斗ではない、何か別の存在——?
冬樹は思考の奥深くへ沈んでいく。まぶたが重くなり、いつの間にか意識が遠のいていった。
◆
レム睡眠の渦の中、冬樹は幻影を見た。
冷たい瞳の葛原零が、無言でこちらを見つめている。その視線には感情の一片もなく、まるで氷の刃のようだった。
——そのすぐ後ろで、椿優香が何かを叫んでいる。
「時が来るまで君は耐えなければならない!」
それは優香の声のはずなのに、どこか男性の声にも聞こえた——。
◆
「……おかしいよな」
彰が下ろされたブラインドの隙間から外を覗き、低く呟いた。
「有城龍斗ってさ、零さんに ‘零さんの守りたいものには手を出さない’ って約束したじゃないか。それなのに、なんで俺たちはこんなところでコソコソしてるんだ? まるで指名手配犯みたいだよ」
皮肉を口にしながらも、どこか苛立ちを滲ませている。世の中の理不尽さを説くのが好きな彰だったが、いざ自分が当事者になると、そうも言っていられないらしい。
テーブルの一番窓際に座っていた琳が、淡々と答えた。
「そんなの簡単ですよ。『地球を守る教団』は有城龍斗とは関係ないってことです」
彼女はスマートフォンの画面を指で弾きながら続ける。
「信者たちの間では、私たちはWEB上で顔写真付きの ‘指名手配犯’ 扱いですよ」
彰は少し開けたブラインドをパタンと閉じ、ため息をつきながら席に戻る。
「そりゃそうだが、世界中の人間を煽ってるんだろ? だったら末端や自称信者が勝手に暴走することくらい想像できるはずだ。零さんを敵に回したくないなら、そのあたり徹底するんじゃないか? アイツが性格だけじゃなくて、頭まで馬鹿じゃなければの話だが」
零の力を、一番よく理解しているのは有城龍斗自身のはずだ。
だとすれば、彼の計画を壊しかねない ‘組織の暴走’ を見過ごしていることが、余計に不可解だった。
亜希もその点は疑問だった。
零さんは、ただ静かに私たちを見ている。
会話が途切れたちょうどそのとき——。
裏口の扉が開く音がした。
「……松原さんだ」
振り向くと、洋が軽く肩をすくめながら戻ってきた。琳がすかさず尋ねる。
「どうでした?」
洋は首を横に振り、渋い表情で答えた。
「駄目だったよ。ただ、外のモデムは点滅してたけどね。どのコンセントが生きてるか分からない。ひとつずつ試すしかないな」
この五日間、私たち五人は琳の家の別荘に閉じこもりっぱなしだ。外部からの情報は完全に断たれ、スマートフォンもとっくに電池切れ。全員が充電器を持ってきておらず、琳が「この別荘はネットが使える」と言っていたにもかかわらず、今のところ繋がる気配はない。
さらに、この建物にはテレビもない。
完全に**スタンドアローン(孤立状態)**だった。
私たちは今、情報という武器さえ持たず、ただこの閉ざされた空間に取り残されている。
亜希は、自意識過剰で心配しすぎているのではないかと、ふと疑問に思うことがあった。
「そろそろ食料もなくなってきたし、スマホの充電器と一緒に買いに行った方がいいんじゃない?」亜希は提案する。正直、亜希は本当に指名手配されているとは思えない。少なくとも自分以外は。
「夜を待った方がいい」と、零さんが抑揚のない声で呟く。
「そうだね」洋が静かに頷く。