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5. 現在 思考する者だけが、現実にとどまる

昼過ぎから図書館に籠もって資料作りをしている。もちろん、午前中は亜希の睡眠時間だ。


平日は空いているし、県立図書館は蔵書が豊富で偏りがない。市立図書館は地域性の強い本ばかり並び、新聞を広げた中高年男性たちが占領していることも多い。あの独特の空気の淀みは耐えがたい。騒音は音だけで感じるものではないのだ。


参考になりそうな資料を何冊か選び、スマホのアプリにメモを取る。著作権に触れそうなものは、タイトルと著者名だけ記録する。ネットの情報は便利だが、信頼性に欠ける。情報の出どころを確認しないと危険だ。


亜紀は心理描写が苦手だ。情景描写も得意ではないが、それについて編集者から指摘を受けることはあまりない。今の時代、文字列での情景描写はそこまで求められていないのかもしれない。


ふと時計を見ると、15時を過ぎていた。そろそろ帰りのバスの時間だ。


バッグに借りた本を詰め、図書館を後にする。外に出ると、思った以上に暑かった。季節外れの真夏のような気温。駐車場に目をやると、見覚えのある青いスバルが止まっている。


「やあ、木之実(このみ)先生」


窓を開けて声をかけてきたのは修一くんだ。亜希の不快感を知っていて、わざとそう呼ぶのが彼らしい。


「やあ、修一(しゅういち)くん。こんなところで何してるの? 全人類を救うために日夜奮闘してるんじゃなかった?」


「別に人類のためになんかしてないさ。俺たちがやってるのは、“世界”を救うことだ」


皮肉を前向きに否定するあたり、実に彼らしい。誰かさんにも見習ってほしいものだ。


「それで……」私は心の奥でくすぶる疑問をぶつけた。「とりあえず今は、私たちの日常は保証されてるんだよね? ある日突然、自分と世界の境界が分からなくなるのは嫌だよ」


修一くんは気鬱な表情で答える。


「シニスの活動は一進一退だ。本来、ただの現象だからな。でも、人間が毎日ちゃんと自我を保って、考えてくれれば、この状態は維持できる。問題は、“自分の頭で考える人間”が減ってることだ。シニスの影響下に取り込まれる人間はどんどん増えてる。残念なことに」


シニス――世の中の曖昧さを加速させる現象。零さんからも聞いている。


少し迷ってから、私は思い切って尋ねた。


「零さんに、お姉さんに協力してもらえないの?」


修一くんは肩をすくめる。


「あれを使いこなすのは難しいし、危険だ。姉貴は一見無感情に見えるが、感情が表に出ないだけ。橘が関わると、何が引き金になって爆発するか分からない」


「それって、世界の崩壊よりも危険なこと?」


「だからさ、橘と姉貴が一緒にいるときは、あんたにもそばにいてほしいんだよ。多分、姉貴を制御できるのは、あんたくらいだから」


「……そんなこと言われても、私だって自分の都合があるんだけど」


苦笑しながら返すと、修一くんも少しだけ口元を緩めた。しかし、それをすぐに引っ込めると、少し真剣な顔になって言った。


「それだけじゃない。先生に伝えなきゃいけないことがある」


「え?」


「この前、星見に行ったとき、彰が撮った画像に変なものが写ってたって言ってたよな?」


「うん。侑斗も突然固まっちゃって……。何か知ってるの?」


修一くんの表情が変わる。姉に似た、鋭い目つきだ。


「そのことだよ。今はシニスより、そっちの方が問題だ。今日明日どうこうなる話じゃないが、全世界規模の騒動になるかもしれない。面倒だが、俺や橘も対処に回される可能性が高い」


「……そんなにヤバいの?」


思わず声が上ずる。


「まあ、この世界には直接影響しないはずなんだが……。でも、放っておくわけにもいかない。彰のやつが余計なことをして、姉貴にも気づかれた。おかげで橘も巻き込まれる」


修一くんの横顔が険しくなる。


「それで頼みたいんだ。事態がややこしくなっている間、姉貴の面倒を見ててくれ」


「……実の姉を猛獣みたいに言うんだね」


「猛獣? そんな可愛いもんかよ」


街のざわめきが遠のく。周囲の温度がぐっと下がった気がした。


それでも、修一くんの視線の奥には、すぐそこに迫る現実の恐ろしさが潜んでいた。


「……分かった。でも、本気の零さんは誰にも止められないよ」


自分でも驚くほど弱々しい声だった。


修一くんはしばらく何かを考え込むように視線を落とした。そして、ぽつりと呟く。


「……それは、分かってる……」


沈黙が訪れる。


未来は暗く渦巻いている。でも、その先に光を見出せるかどうかは、私たちの意思次第なのだ。

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