67、現在 羽根の梯子
恵蘭は史音の言葉にひるむことはなかった。静かに首を横に振り、冷静な声で言う。
「史音、貴女の責任とは言いませんが、貴女たちは脈楼の谷で時間を使いすぎました。その責任を取って、先の箔花月の森へ進んでください。あそこを抜ければ、敵の本拠地・プルームの岩戸はすぐそこです。」
恵蘭の瞳は冷え切っていた。彼女の言葉には感情の揺らぎが見られなかった。
「恵蘭、史音はお前と紫苑の戦いを心配しているわけではない。その後のことだ。」
修一が口を挟む。彼の眼差しは鋭く、旅の目的を明確に見据えていた。
「恵蘭、この羽根使い。お前と紫苑の戦いなんかどうでもいい。姉妹で好きなだけ男を取り合えばいいさ。そもそも戦いになるのか?」
史音が侑斗には理解しがたい言葉を投げかける。
「史音、貴女の言う通り、紫苑とは最初から戦いになりません。だからこそ極子連鎖機構の破壊も私に任せなさい。」
「羽根使い、アンタいつからそんなに馬鹿になった? 敵が紫苑一人だと断定するな。敵にとってもここは急所なんだ。どんな準備をして待ち構えていてもおかしくない。」
互いに譲らない恵蘭と史音。張り詰めた空気が周囲を支配する。
(面倒臭い仲間割れか……)
侑斗は溜息をつく。恵蘭は史音よりも年上で、威厳があった。修一と並べば美男美女のカップルにも見える。しかし、史音には嘘をつくという概念がないのと同様に、引き下がるという概念もないようだ。
「ならば……」
恵蘭は衣服の中から白い綿のようなものを取り出し、宙へと撒く。その動きは流れるように優雅で、まるで舞う羽根のようだった。
「女王に決めていただきましょう。私の羽根に女王の真空の瞳の力で存在力を与え、鋼のような綱を創る。そして、私はそれに乗ってフライ・バーニアまで一挙に上ります。女王が許すのなら、貴女たちもその綱を掴むことができます。」
ベルティーナはフライ・バーニアの真下で起こっている事態を悟った。恵蘭のサインだ。
彼女の右腕のサイクル・リングが輝き、カーディナル・アイズに宿るポテンシャルエネルギーが解放される。
空から紅の帯が降りてきて、恵蘭の無数の羽根を巻き込みながら絡みつく。赤い帯は天へと伸び、光の筋のように輝いた。
恵蘭がその羽根の綱を握る。彼女の身体が空へと浮かび上がった。続いて修一も恵蘭の下に来て、彼の姿もまた空へと昇っていく。
「うわ、マジかよ……」
侑斗は驚愕の声を漏らす。
史音が鋭い視線を送る。「さっさと綱を掴め。」
(……うむ。史音の方が怖そうだ)
仕方なく侑斗は綱を掴む。すると彼の身体もふわりと宙へと持ち上がった。最後に史音が綱を握り、四人はそのまま上空へと引き上げられる。
下を見た侑斗の顔が青ざめる。
(見なきゃよかった)
一瞬、侑斗の手が緩む。しかし、手が綱から離れることはなかった。
「カーディナル・アイズがアタシたちの身体を恵蘭の羽根に結合させている。上空何キロ上がると思ってるんだ? ベルがそんなくだらない力の使い方をするわけがないだろう。」
まるで軌道エレベーターに乗っているような感覚だった。
「恵蘭、女王は俺たちをフライ・バーニアに連れて行くつもりのようだな。」
修一が言うと、恵蘭は真上を向いたまま無言でいた。
「史音は修一のことが好きなんだと思ってた。ヤキモチとかないのか?」
侑斗は小さくつぶやく。
「色恋に関心のないお前に何がわかる。でもまあ、修一は好きだよ。修一ほど知力、身体能力、決断力、存在力に富んだ男を他に知らないからな。でも侑斗、今はアタシはアンタにも少し惹かれている。母性本能をくすぐられる。」
(そういう恥ずかしいことを真顔で言うな……何だよ、15歳の母性本能って……)
羽根の綱に捕まって30分ほど経ったころ、羽根の内側から声が聞こえてきた。そして侑斗の意識の中に、かつて感じた暖かい瞳が現れる。
「女王から私たちにお言葉があるようです。」
先頭の恵蘭の声が響いた。
『よくフライ・バーニアまで辿り着きました。史音、貴女を信じています。必ず貴女の計画を成功させてください。恵蘭、貴女の役目は姉と戦うことではありません。目的を果たしなさい。修一、葛原澪の弟ではなく、貴方の意思で正しいと思うことをしなさい……侑斗、私の創った貴方、いつかあなたと会う時、全てのことを話しましょう。』
しばらくして、四人は天空に浮かぶ氷の島にたどり着いた。