63、現在 ランアウェイ
「いい加減にしろ! お前たち、勝手に人の土地に入り込んで!」
「この地に妙な輩を連れ込んだのは、あんたの息子だろう!」
男たちの怒号が夜の静寂を裂くように響く。松原さんのお父さんに数人の男たちが詰め寄り、言い争いは一向に収まる気配がない。
「ちょっと見てくる」
洋がそう言って腰を上げた。残った亜希たちは、窓の外に視線を向ける。青空の下、お父さんのそばには震えた様子の日葵ちゃんが立っていた。彼女の肩が小さく震えているのが見える。その傍らに、洋の姿が現れた。
「区長さん、どうしたんですか?」
松原さんは、冷静な口調で相手方の先頭にいる男に問いかける。
「洋君、君はもっとしっかりした男だと思っていたんだがな」
区長と呼ばれた男が嘆息するように言った、その瞬間――
「うちの息子が何だと!」
松原さんのお父さんが、区長の首元を掴み、力強く締め上げる。
「誰もやらない公園の掃除や草刈りを、全部洋にやらせて! あんたのところの息子は街で遊び放題だろうが! 息子はなぁ、あんたたちよりよっぽどこの地域に貢献してるんだ。確かに地味で目立たないがな。俺は息子を誇りに思ってる。肩書きだけのお前なんぞが、どの口で偉そうなことを言うんだ!」
お父さんの剣幕に、周囲の空気が一気に張り詰める。今にも殴りかかりそうな勢いだ。
「父さん、やめてくれ!」
洋が咎めるように言うと、お父さんはようやく手を緩めた。区長は咳き込みながら、乱れた襟元を直す。
「それじゃあ区長さん、僕にどうしろと言うんですか?」
「洋君、君はこの地区の未来を担う立場だ。不埒な者たちとは金輪際縁を切れ。そして、今あそこにいる者たちを今すぐこの地区から追い出してもらいたい」
洋の表情が険しくなる。
「僕の友人たちの悪口はやめてください。それに、僕たちが何をしたって言うんです?」
冷たい目つきに変わった洋の声には、明らかな怒気が滲んでいる。
「君の友人たちが街で騒ぎを起こしたことは知っている。怪しい術を使ったともな。今、国中が――いや、世界中がこの地球の危機に震え上がっているんだ。あの連中に歯向かうなんて、間抜けな真似を見過ごすわけにはいかん! さっさと、あそこにいる連中を叩き出せ! それができないなら、君も同罪だ。力づくでこの地区から出て行ってもらう!」
その瞬間、松原さんの右腕が上がる――が、それより先に、お父さんの拳が区長を殴り飛ばしていた。
「この恥知らずが!」
倒れ込んだ区長を見下ろしながら、お父さんが怒鳴る。
「我が家の敷地内にいる者は、すべて俺の保護下だ! さっさと出て行くのはお前たちだ。日葵! 塩を5キロくらい撒いて、この阿呆どもを追い出せ!」
「えっ……?」
一瞬呆気に取られるが、日葵は本当に大袋の塩を担いできた。
「この地区の区長の私を、何だと思っているんだ! 訴えるぞ!」
殴られて転がったまま、区長が必死に叫ぶ。
「訴えられるのはどっちかな。住居不法侵入、人権侵害、恐喝、恫喝、脅迫――少しは法律を学べ。それと信義誠実の原則もな」
いつの間にか外に出ていた彰くんが、油を注ぐように言い放つ。仕方なく、私たちも外へ出た。
「法律など、どうでもいい!」
……いつからこの国は無法地国家になったんだろう
その時、背後から琳の声がした。
「あのー、松原さんの双眼鏡借りたんですけど……なんか、向こうの方からすごい人だかりがこっちに向かってきてます」
琳が外に置いてあった脚立に登り、双眼鏡を覗きながら呟く。『地球を守る教団』の関係団体だろうか。
「ほら、見たことか」
区長が口元を歪める。
亜希は零さんに目配せする。零さんはすぐに意図をくみ取り、脱出方法を考え始めた。
「近くに、大きな存在力の位相波が来ている。それに乗れば、ここから脱出できる」
「でも、どこへ?」
亜希たちはもう、零さんの特殊能力を疑うことなく受け入れていた。
「おい、お前」
彰くんが琳を脚立から降ろし、腕を掴む。
「はぁ? 何ですか?」
「お前、実家が別荘をいくつも持ってるって言ってたよな。今、実証して見せろ!」
琳は一瞬ポカンとしたが、すぐに彰くんの意図を理解した。
「ええと……沖縄? 高知? 札幌? あ、海外でもいいなら――」
「帰りに同じ状況になる可能性は少ない。なるべく近くの方がいい」
零が、簡潔に答えを求める。
「それじゃあ、軽井沢でもいいですか? まあ、北軽井沢だけど」
亜希は零を見た。零がコクンと頷く。
「スマホで、あんたの別荘の緯度と経度を調べて、急いで!」
「はい、はい」
琳は落ち着き払っている。もしかして、本当にお嬢様……?
零さんは琳のスマホの位置情報を確認し、短く告げる。
「あと7分35秒で、位相の波頭が来る。みんな、私の後ろについて」
「日葵ちゃんやお父さんは大丈夫かな?」
亜希が不安を口にすると、洋が日葵ちゃんを見る。
「日葵、父さんを頼む。多分僕らがいなければ何もしないと思うけど、一応、警察にも連絡しておいて」
そして――
白銀の光が、私たちを包み込んだ。