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62、現在 たとえ世界が壊れても

この前の一件以来、亜希たちは《ファースト・オフ》に行くことができなくなった。マスターは「気にしないでいらしてください」と言ってくれたが、あんな騒動がさらに広まれば、店の死活問題になりかねない。


その影響で、しばらくの間、みんなと顔を合わせる機会がなくなっていた。たまに図書館で会う零さんは、どこか寂しげな表情を浮かべることが多い。侑斗や修一とも会えないことが、その原因の一つなのだろう。


そこで亜希は洋に連絡を取り、どこか別の場所でみんなで会えないか相談してみることにした。メールを送ってからしばらくすると、洋から着信があった。


「うちの離れに、七坪ほどの部屋があるんだけどさ。普段は倉庫代わりに使ってるけど、片付けておくから、そこで集まらないか?」


松原さんの提案に、亜希は思わず顔をほころばせる。ちょうど次の土曜日には彰くんが来ることになっているらしい。


携帯を持っていない零さんには自宅に電話し、琳にはメールで連絡を入れた。二人とも二つ返事で了承してくれた。


土曜日の昼過ぎ、亜希と琳は駅前で待ち合わせ、零さんの車で洋の家へ向かった。


零さんはどこか嬉しそうで、琳は期待に胸を膨らませているのが隠しきれない様子だった。


「なんか、私たち三人で出かけるのって初めてですよね? 今度、三人でお泊まり女子会しましょうよ!」


助手席から振り返りながら、琳が無邪気に提案する。


――学校に友達がいないのだろうか? いや、人のことを言えた義理ではないけれど。


そんなことを考えていた亜希だったが、琳はまるで心を読んだかのように言葉を続けた。


「大学の友達と話してても、ワンパターンな内容ばっかりで飽きちゃうんですよね。たまには彰さんをからかって、嘲笑ってやらないとストレスが溜まります」


どちらかと言うと、琳が一方的にからかわれている気がするのだが……まあ、いいか。

洋の家は街の郊外にあり、静かな田舎情緒あふれる家並みに溶け込んでいた。敷地は広く、家自体はかなり古いが、いくつもの蔵や離れが点在し、それなりに趣がある。


「次の話のネタになりそう」


そんな不届きなことを考えながら、亜希は車の窓から風景を眺めていた。


やがて、広い敷地の空きスペースに車を停める。零の運転は危なっかしいが、決して下手というわけではない。


車を降りると、洋が外で待っていた。


「やあ、いらっしゃい」


変わらぬ落ち着いた態度で、洋が出迎える。


「松原さん、こんにちは」

「おひさしぶりでーす! 私、男の人の家に来るの初めてでーす!」

「洋、ありがとう」


それぞれ挨拶を交わした後、亜希が尋ねる。


「彰くんは?」


「もう中にいるよ」


洋が視線を向けた先には、離れの建物があった。


――迎えに出てこないんだな。まあ、自分の家ってわけじゃないし、仕方ないか。


洋に案内され、三人は離れへと足を踏み入れる。


中に入ると、ほんのりと黴臭さが鼻をついたが、そこまで気になるほどではなかった。思っていたよりも整然と片付けられている。


かなり広い部屋の中央にはローテーブル――というか、ちゃぶ台が置かれ、周囲に五人分の座布団が並べられていた。


部屋の奥には、松原さんの星見用と思われる機材が三畳ほどのスペースを占拠する形で整然と並べられている。


右奥には趣味のコレクションがずらりと並んでいた。完成したプラモデルが所狭しと飾られ、飛行機、帆船、自動車、宇宙船、アニメのロボット、さらに女の子のフィギュアまで多種多様だ。


零さんは、それらを一つひとつ丁寧に見入っていた。


「これは洋が作ったの?」


零が興味深そうに尋ねると、洋が照れくさそうに笑った。


「あんまり真剣に見られると、恥ずかしいんだけどね。星見も好きだけど、小さいものを組み立てるのも楽しいんだ」


そう言いながら、彼は頬をかく。松原洋の方が零より年上のはずだが、その落ち着いた雰囲気のせいか、不自然には感じない。


――まあ、零は亜希以外、全員呼び捨てだけど。


そんなことを考えていると、不意に声が飛んできた。


「はは、この部屋の中で、日葵ちゃん以外の女子を見る日が来るとは思わなかったなあ」


左奥の本棚の下に座り込み、古そうな小説を読んでいた彰くんが、顔を上げる。


「日葵ちゃんって誰ですか?」


琳が興味津々に問いかけた。


「松原さんの七つ下の妹。おまえと違って、よくできた子だよ」


彰くんの言葉に、琳はムッと顔をしかめる。


――おお、いつもの調子が出てきたなあ。


そんな様子を見て、亜希は密かにくすりと笑った。


洋の創作物に夢中になっている零と、本に没頭している彰に、洋が声をかけた。


「二人とも、とりあえず座って。今、妹が飲み物を持ってくるから」


零は名残惜しそうに展示棚の前から離れ、布団に腰を下ろす。彰も本を抱えたまま席に着いたが、視線はまだページの上をさまよっていた。


「お行儀が悪いですよ」


琳が眉を吊り上げ、彰の袖をぐいっと引っ張る。


「今、ちょうどいいところなんだよ」


彰は不満げに言いながらも、本から目を離さない。


「貸すから家で読めばいいのに」


洋が呆れたように肩をすくめると、ようやく彰が顔を上げた。


「ここで少しずつ読むのがいいんだよ。まず松原さんの天文機材をチェックして、新しいプラモを見て、最後にこの本の続きを読む。至福、至福」


まるで儀式のように言う彰に、私は思わず苦笑する。ほんと、どこでも彰は彰だなあ。


その時、控えめなノック音が響いた。


「失礼します」


可愛らしい声とともに扉が開く。入ってきたのは、亜希と同じくらいの年齢の女の子だった。


彼女は飲み物と茶菓子を載せたトレイを抱えていたが、私たちの顔を見た瞬間、ぱっと表情がこわばった。


「――っ!」


震える手がトレイを支えきれず、ゆっくりと傾いていく。


「日葵、危ない!」


松原さんが素早く立ち上がるが、間に合わない。トレイが彼女の腕から滑り落ちる――その瞬間、零が音もなく立ち上がり、すっと手を伸ばした。


零の腕の中に収まったトレイ。グラスも皿も、ひとつとして落ちていない。


「あ……ありがとうございます……!」


日葵は顔を真っ赤にしながら、慎重にグラスを配り始めた。松原さんも手伝いながら、ちらりと妹の様子を窺う。


「兄の知り合いの女性が来るって聞いて……すごく期待してたんですけど……まさか、こんなに綺麗な人ばかりなんて……動揺しちゃって……」


彼女はしどろもどろに言葉を絞り出した。


「こんな綺麗な女性ですって」


琳が彰を見て薄く笑う。


「なんでお前もその中に入ってるって、勝手に勘定してんだよ」


彰が冷めた目で返すと、琳は「ふふん」と鼻を鳴らした。


「……どうぞごゆっくり」


日葵は緊張した面持ちのまま部屋を後にした。


「日葵ちゃんも一緒にいればいいのに」


彰が呟く。


「彰くんにはそうじゃないけど、あれは結構人見知りなんだよ」


松原さんは妹を庇うように言った。



「さて、せっかく久しぶりに皆で集まったんだし、これからのことを話そうか」


松原さんが真剣な表情で切り出した。


「当分、ファースト・オフには行けないよねえ」


亜希はため息混じりに言う。


「それっていつまで?」


琳がすぐに聞き返した。


「空の異常が収まって、奴らが大人しくなって、人々が理性に目覚めた時」


彰が、どこか虚空を見つめるように呟いた。


「そんなの、いつになるかわからないじゃないですか……!」


琳の声が震える。


「どうして皆、攻撃を変なベクトルに向けるんですか?冷静に考えないんですか?」


「まあ、何もできないからな。この世界の人間って、基本的に都合の悪いことは考えず、攻撃対象を攻撃する理由を探してる。阿呆ばかりだ」


松原さんが腕を組み、もどかしそうに唸る。


「でも、皆がそうじゃないよ」


琳はシュンと肩を落とす。


「……でも、なんか、こんなの嫌」


「考えるしかできないのかな、私たち」


亜希はぽつりと呟く。本当に無力だ。ただ思考するだけなんて。


「考えるしかできないなら、精一杯考えよう。何が起こっているのか、どうしたらいいのか。理想論かもしれないけど、僕はこの状況の中で、その意義を考えたい。簡単に諦めたくない」


松原洋は優しいけど、厳しい。特に、自分に対して。


亜希の隣で、零が彼をじっと見つめていた。そして、珍しく微笑む。


「大事なことは、それ。何もかも放棄したこの世界にも、希望がある」


零は静かに立ち上がり、窓の方へ歩いていった。外の空気に触れるように、そっと手を窓枠に添える。


「大丈夫。心配いらない。いざとなったら、私が何とかする」


背を向けたままの零の言葉に、妙な説得力があった。


洋が何やら封筒を取り出し、中から数十枚の写真を並べる。


「彰くんから借りたレンズで、毎日空の全天写真を撮ってるんだけど……ちょっと違和感を感じてね」


「違和感?」


私は覗き込みながら尋ねる。


「うん、空の白線の動きが変なんだ。それで――」


――その時。


外から、何やら怒鳴り声が聞こえてきた。


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