55、現在 幕間Ⅰ
窓のない、無機質な白い部屋。
30平方メートルほどのその空間から、疲れ果てた人々がゆっくりと歩み出る。
男も女も、年齢すらバラバラだ。
約半数は茫然とした表情を浮かべ、残りは虚ろな目で彷徨っている。
「……私たちは、地球を守ることができたのでしょうか?」
充血した瞳のまま、一人の男が呟いた。
その声には疲弊と諦念が滲んでいる。
フィーネは軽く唇を震わせた。
「あなたたちは失敗した。100人がかりで、たった3人の枝の神子に敗れたのだから」
男の顔に、絶望の色が広がる。
「……それでは、私たちはもう用無しか」
隣にいた女性が、掠れた声を漏らす。
フィーネはゆっくりと上着の襟を引き上げ、口元を隠したまま問い返す。
「なぜ?」
この者たちの半数は、いずれシニスの一部となるだろう。
「次のために、あなたたちは必要だ。その時、また会えたなら役に立ってもらいたい」
状態の崩壊の波に飲まれて消えていなければ。
その言葉に深く頭を下げる者たち。
無反応のまま、流されるように去る者たち。
次に会う時、どれほどが存在しているのか。
フィーネは少しだけ思考を巡らせたが、それは取るに足らない問題だった。
***
「フィーネ・クローゼル」
人々が去るのを待ち構えていた紫苑が、低く声をかけた。
「紫苑、あなたが選んだ者たちは、あなたの計画と同じだな。想定内の働きしかしなかった」
「……かなりのところまで追い込んだと思うけど」
紫苑は不満げに言葉を返す。
「史音の知成力だけならば、奴らの存在を消せたかもしれないな」
フィーネの唇が微かに震える。
紫苑の眉がわずかに動く。
「葛原修一、女王の仇敵の弟。あの男は油断ならない」
フィーネは一拍置いてから、再び静かに口を開いた。
「それから.....タチバナ・ユウト……。女王の指名で史音に同行している。この者は4年前の崩壊の原因となった者であり、女王ベルティーナと、その敵である葛原澪に繋がる糸でもある。不確定要素が多く、その因果は特定できないが……」
紫苑は古い記憶を辿るように目を伏せる。
「その名は聞いたことがある。女王の仇敵の保護下にあり、誰も手を出せないと聞いていたが……」
そして顔を上げ、問うた。
「今は、あの恐ろしい葛原零の保護下にいないということ?」
フィーネは静かに首を振る。
「いや……あの女がそう簡単に擁護を外すわけがない。それに今は、女王の《真空の瞳》にも守られている」
楽観という概念はフィーネにはない。ただ淡々と事実を告げるのみだった。
紫苑は小さく息を吐く。
「史音の次の目的地、脈楼の谷にはアルファがいるはず」
フィーネが頷く。
「ああ、アルファがいる。我々と繋がる者の中では……いや、この地球上では最大の知成力と存在力を持つあの女だ。フン、存在力か.....史音でも、アオイでも敵わない。女王と葛原澪以外に、彼女と対峙できる者はいない」
紫苑の瞳が険しさを増す。
「ならば、すべてをアルファに任せるつもり?」
紫苑はアルファを完全な味方とは思っていなかった。
フィーネはふっと細く笑う。
「我々はアルファに命令することはできない。だから彼女には、一つだけ命じた……いや、依頼した。」
「何を?」
紫苑の問いに、フィーネは遠くを見つめながら応えた。
「橘侑斗の確保。女王ベルティーナと葛原澪の干渉を受けない方法でな。それができれば、私の妨げとなる二人を一度に御することができる」
***
後ろから必死に追いすがる侑斗を、史音と修一は呆れ顔で待っていた。
「お前……マジで遅ぇよ」
修一が苦笑混じりに言うと、侑斗は肩で息をしながら睨み返す。
「うるせぇ……! そっちが勝手に先に行くから……!」
史音がクスクスと笑いながら、修一に向き直った。
「で、史音。脈楼の谷越えの策はあるんだろうな?」
修一が問いかけると、史音は肩をすくめる。
「そんなもの、あるわけないだろ?」
「は?」
「だって、あそこにはアルファがいるんだぜ?」
史音は苦笑しながら答えた。
「だから……多分だけど、ベルが侑斗をアタシたちに同行させた理由が、これで分かるだろう?」
修一と侑斗は顔を見合わせる。
彼らが向かう先に待つもの——アルファの存在が、じわじわと現実味を帯びてきていた。