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54、現在 理性の灯、狂気の影

その週の金曜日の夜、いつものファースト・オフでの雑談が始まった。

亜希は一月ぶりの参加だ。木の温もりが感じられるカウンター、心地よいジャズのBGM、ほの暗い照明が落ち着いた雰囲気を演出している。店の奥の席には、見慣れた顔ぶれが揃っていた。


今日も零さん、松原さん、彰くん、琳が集まっている。


話題は、この前門前街道で起こった**自称『地球を守る教団』**とのいざこざ。そして、それを話し終えた後、亜希は少し話題を変え、零に助けられたときの話をした。


「ああ、そうですね。なんか私の大学の知り合いにもいますよ、『自称信者』。

自分でも理解していない言葉を使って、へんな日本語で、それはもう一生懸命教団の崇高さを説くんです。おぞましいので関わらないようにしています」


琳が軽い調子でそう言った。


「おまえが理解している日本語のレベルにも達していないってことは、もはや知能指数に祟られてるんじゃないのか?」


すかさず彰くんがツッコミを入れる。琳はムッとして彼を睨みつけた。


「夫婦漫才は次の機会にしてよ。こんなことが続いたら、私たちの日常生活に支障が出てくるよ」


亜希が二人をたしなめると、「夫婦」という単語に反応して、二人は一瞬言葉を失い、渋い顔で互いを見つめた。


「亜希さんの体験談を聞く限りだと、この信者騒ぎには何か意図的なものを感じるね。

こんな短期間で、どうして世界中に『信者』ができているのかも不思議だし……」


洋はグラスを指でなぞりながら、真剣な表情で語る。


「でも、結局はパーッと盛り上がって、パーッと消えてしまうんじゃないですか?」


琳が場の重さを払おうと、軽い口調で言った。しかし、その空気はすぐに崩れる。


「どうかな、空にあれがあるうちは、そう簡単には消えないだろうな」


彰が天井を見上げながら、鬱陶しそうに呟く。


「自分の意思を自分で決められなくなる人が増えるのは、人間の世界にとってはとても危険なこと。

今、その状況が加速している……強い力を持った存在なら、簡単に操作できてしまう状態。

人の存在が、薄くなっている……」


零がグラスの中の氷を静かに回しながら、ぼそりとつぶやいた。


「自分で物事を深く考えることって、そんなに大変なことなのかな?

誰かの言う通りに従っているほうが、そんなに楽なのかな?」


亜希は皆に問いかける。それは侑斗の言った言葉だ。


「俺、あんまり誰かに感化されたり影響されたりしないから、よく分からないな」


「多分、僕たちが思っている以上に、自分の意思を他人任せにしている人間は多いと思うよ。

何しろ、自分の思考を保ちがたい時代だからね」


彰と洋が、それぞれ考えを口にする。


「人が自身の在りようを、自身で決められない世界なんて、他にない。この世界の人間の知成力の低さは極端すぎる。

何故そんなことができるのか……それが私には不思議」


零が、美しい瞳を曇らせながらつぶやいた。


──そのとき、鋭い声が響き渡った。


「何なんですか、あんたたちは!」


マスターの怒気を孕んだ声だった。


ドン!


店の扉が荒々しく押し開かれる。


「ここに異端者がいると聞いた! そいつらを出せ!」


低く響く男の声。視線を入り口に向けると、この前の腕章をつけた自称信者よりも、さらに物々しい格好の者たちがなだれ込んできた。


黒の修道服のような衣装に身を包んだ十数人。男も女もいる。年齢もバラバラだが、全員が異様な熱気を帯びた目をしていた。


「言ってるそばから、自分の意思を持てない小児病患者が登場したな」


彰が静かに立ち上がる。その表情はいつもの飄々としたものではなく、冷たい怒りを秘めたものだった。


彼はゆっくりとマスターの後ろに立ち、落ち着いた声で言う。


「マスター、悪いな。その小児病患者たちとは、俺が話をつける」


──まずい。


止めなければ。彰は「気に入らないもの」と対峙するとき、後の人生すら顧みない性格なのだ。


「お客様は下がっていてください。店のトラブルは、私の管轄です」


スラリとした長身のマスターが、彰に優しく微笑む。まるで父親のような包容力を持ったその言葉に、一瞬、場の空気が変わった。


しかし、事態は収束するどころか、むしろ悪化していく。


亜希たちはマスターのもとへと歩み寄る。洋も、心配そうに眉を寄せながら先頭に立った。


──そして、店の外を見て、息をのむ。


「……うわ、何これ……?」琳が震えた声を上げる。


外には、まるで波のような人の群れができていた。


──それは、狂信者たちの群れだった。



「ここは、お客様に代金を頂いておもてなしをする場所です。

しかし、私にも客を選ぶ権利がある。速やかに、この店の敷地から退去しなさい。私は、客以外の者がここへ入ることを許しません。」


マスターはカウンター越しに立ち、冷静で厳しい口調で言い放った。


彼の背後では、照明の暖かな灯りが店内を静かに照らしている。だが、目の前に立ち塞がる黒衣の集団は、その光を押し返すように異様な威圧感を放っていた。


「何だと!? 貴様、異端者の味方をするつもりか!」


「貴様も地球を壊す輩の一味か!」


黒の修道服を纏った男が、憤怒の表情で叫ぶ。その言葉は狂信の熱に浮かされ、もはや理性すら感じられない。


マスターは眉をひそめ、一瞬、軽い眩暈を覚えたように黙り込んだ。


「な、マスター。こいつら、言葉が通じないんだよ。多分、論理的な思考力もない。正論は通じないって」


彰が、呆れたようにマスターの肩を叩く。


「ひじりちゃん、警察に通報してください!」


マスターは店のウェイトレスにそう指示した。


──その瞬間。


バシッ!


鋭い衝撃音が店内に響き渡る。


「マスター!」


黒衣の男が、何の躊躇もなくマスターの顔を拳で殴ったのだ。


「マスター!!」


「マスター!!!」


私たちは悲鳴を上げ、ウェイトレスのひじりは涙を浮かべながら叫んだ。


マスターはカウンターにもたれかかるようにして倒れ込む。唇の端から血が滲み、目を閉じたまま動かない。


「……てめぇら……」


彰が静かに立ち上がる。その顔は、怒りで張り詰めていた。


──さらに、事態は悪化する。


奥の扉が激しく開かれ、黒衣の集団が一斉になだれ込んできた。


店内は、異様なまでの緊張に包まれる。


「わかった……お前ら、敵だな。俺の前に現れた敵だな。敵には、容赦しないぞ。」


彰が、低く呟く。


──その瞬間だった。


ゴォッ!!


店に侵入した黒衣の者たちが、何かに弾かれたように一瞬で外へ吹き飛ばされる。


背後にいた者たちも、まるで重力を失ったかのように宙を舞い、次々と地面に叩きつけられていった。


何が起きたのか、一瞬理解できなかった。


だが、ただ一人。


その光景の中心に、静かに立ち上がる存在がいた。


「零さん……?」


店の奥。


彼女は、琥珀色のオーラを纏いながら、ゆっくりと立ち上がっていた。


テーブルの上には、飲みかけのアッサムティーのカップが置かれている。その手を放し、彼女は静かに店の中央へと歩み出た。


──そして、亜希の目には、零の首元にある “十三個の輝石” が発現しているのが見えた。


群青色の光を放つネックレス。


それは、まるで世界の理すら歪めるかのように、圧倒的な威圧感を放っていた。


「……お前たち……」


零は、こちらを見ずに、真横に首を傾げる。そして、ゆっくりと左手を翳した。


「私の大切な場所を汚したな。もはや人と呼べない者たちよ。お前たちを──」


「量子の海に(かえ)してやろう。」


──その言葉が、まるで現実そのものを揺るがすかのように、空間に響き渡る。


こちらを向いた零の瞳が、冷たく光る。


「人の数がすべてなどと……あの女王と同じ、哀れな夢想を抱えたまま消えるがいい。」


「零さん、やめるんだ!!」


彰が叫ぶ。


しかし、零は動じない。


「何故? どうせこの者たちの半分は、次の状態の波の崩壊で消える。

私なら、今すぐ全員を消せる。何度も見逃すほど、私はお人好しじゃない。」


彼女の金色の瞳が、静かに光を帯びる。


「お願い……やめて、零さん……! そんなこと、できても、やっちゃダメ!」


亜希は、零の左腕にすがりつく。


……しばらくの沈黙。


そして──零さんは、静かに伸ばしていた左腕を下ろした。


「魔女だ!!」


狂信者たちが、恐怖に満ちた声を上げる。


「魔女? そんなに可愛いものと思われるのは……少し嬉しいな。」


零さんは、凍てついた瞳でそう呟いた。


圧倒的な存在感。


それは、もはや人の領域ではなかった。


「マスター、今日はツケにしておいて。みんな、今日は退散しよう。」


松原さんがそう言い、店内に残された狂信者たちを尻目に、私たちは店を後にした。


──夜の街に出ると、静かな風が吹いていた。外にいた狂信者達も立ち尽くし、道を開ける。


しかし、亜希の心は、決して晴れなかった。

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