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41、現在 灰色の航路

船室の小さな窓から、灰色の海が見える。波は穏やかだが、時折、鈍い衝撃とともに船体が軋む音が響く。狭い室内には潮の匂いがこもり、湿気を帯びた空気が肌にまとわりつく。船室の空気は湿り気を帯び、油と潮の匂いが混ざっている。狭い空間に三人が身を寄せ、唯一の照明が淡い光を投げかけていた。


 「この海の上で?」


 修一が黙ったままなので、侑斗が史音に問いかけた。


 「空は危ないから海を渡る……確か修一はそう言ってたな。でも、結局攻撃されるなら飛行機なら数時間の距離を、何日もかけて航行するなんて、納得できない。」


 史音は有機パネルに手をかけながら、冷静に答える。


 「知成力を操るのが最も困難なのは、大気と海の間……つまり、船の上だ。奴らの攻撃手段も限られる。だから海路をとった。ただし、ベルのカーディナル・アイズの援護も受けられない。だから、この船にいる間に、奴らの最初の攻撃が来るだろう。後はアタシたちが対処するだけさ。」


 一瞬、沈黙が落ちる。船が揺れ、有機パネルも波打つ。


 「敵の攻撃があると分かっていて、なんでこのボロ船を使うんだ?」


 侑斗の疑問に、史音が説明を始めた。


 「この船は普通の航路を通る。もし奴らが通常兵器で襲えば、領海の軍隊が動くだろう。だから奴らは知成力をかき集め、シニスを波に乗せて放つ。シニスは形あるものを破壊するものだ。でも、奴らはそれしかできない。空でストレージ・リングを受けるより、ずっと安全なんだ。」


 シニスは強い存在力に反応する。地球上空の太陽の鞘も、それゆえに探知されたのだ。


 「……つまり、このボロ船は存在力を隠すためのカモフラージュか。」


 侑斗が先に答えた。


 「その通り。この幽霊船は、乗組員も含めて存在力を極限まで小さくしてある。奴らの幻無碍捜索には……捉えられない、はずだ。」


 史音の口調にわずかな迷いが混じる。


 「何事も絶対はないからな。」


 修一が短く補足する。


 侑斗はさらに深い不安に包まれた。だが、自分の心配性はこれまで大抵無駄に終わってきた。考えすぎないようにしているが、それでも口をついて出る。


 「もし、奴らがこの船以外の一般船舶を襲ったら?」


 史音は軽く肩をすくめる。


 「襲わないよ。在城龍斗宛にアタシたちの航路日程をベルのホットラインで送っておいたから。」


 侑斗は頭を抱えた。……とんでもないことをする小娘だ。


 「奴らが史音の言葉を信じる保証があるのか?」


 「そりゃあ信じるだろう。」


 修一が断言する。


 史音がさらりと言う。


 「アタシは、この航路をこの日程で通るって約束した。」


 そういえば——史音は約束を破るという発想のない小娘だった。敵からの信頼も厚いらしい。


 「……アタシたち三人の枝の神子の存在も、奴らの中にいる枝の御子には分かるだろう。」


 史音が有機パネルを起動し、航路図を映し出す。タッチスティックを滑らせながら、数十本の流線を正確に引いていった。線の交差が複雑な網を形成する。


 「奴らがシニスを波束に載せて、幻無碍捜索を行うルートの予測はこんなところだ。人海戦術で知成力を集めたところで限界があるし、何かの間違いで他の存在とぶつかれば、そのシニスの波束は消滅する。だから、できるだけ効率的にこちらを探すはずだ。」


 指先で流線の隙間をなぞりながら、史音は続けた。


 「まあ、時間とタイミングが鍵だな。奴らがこちらの位置をある程度掴んだところで、一時的に私たちの存在力を消す。」


 「そんなことができるのか?」凄いな、天才少女。


 驚き混じりに問いかける侑斗に、史音は軽く頷いた。


 「ああ、数分くらいならな。」


 ……思ったほど凄くなかったな、天才小娘。


 侑斗は苦笑しながら腕を組んだ。


 揺れる船室の中、波が船腹を叩く音が遠く響く。


 「その人海戦術のことだけど……『地球を守る教団』の信者たちがどこかに集まって、もののカタチを嫌う破壊衝動の塊であるシニスを操っているらしいが、そんなに自由に扱えるものなのか?」


 史音と修一が顔を見合わせる。


 「普通は扱えない。でも、あの教団の道具である狂信者たちは、もともと“自分”がないんだ。個がない連中なんだよ。」


 史音の声には僅かに嫌悪が滲む。


 「あれらはギリギリの知成力で存在を保っているだけの、“繋ぎの部品”に過ぎない。在城龍斗たちにとっては、次の波の崩壊が起こるまでの時間稼ぎのための道具だ。だからこそ、正確にシニスを操れる。奴ら自身が、限りなくシニスに近い存在だからな。」


 修一がゆっくりと手を伸ばし、侑斗の頭を右手で抑えた。


 「橘、勘違いするなよ。知成力も存在力も、人間の価値観とは全く関係ない。奴らの幹部クラスは皆、知成力の高いクソ野郎……いや、女もいたな。だから、才能や人の善性は知成力とは全く関係がない。」


 侑斗は修一の右手を振り払う。


 ――理屈は分かる。だが、救いようのない話だ。


 史音はパネルを指先で軽く弾き、電源を落とした。


 「そしたら、何とか網をくぐってみせるさ。」


 彼女の言葉と同時に、部屋は静寂に包まれた。


 そして、その日は史音の言葉どおり何も起こらなかった。


 無の波が襲ってきたのは——さらに翌朝のことだった。


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