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27、過去 白き虚無、最愛の果て

「女王! 東アジアを中心にシニスの崩壊が始まっています! まもなく、このイタリア半島も飲み込まれるでしょう!」


フィーネの叫びが、鋭い刃のように室内の静寂を切り裂いた。重苦しい緊張が瞬く間に広がり、空気は凍りついたかのように硬直する。窓の外では、遠く霞んだ地平線に不穏な灰色の霧が迫り、空を塗りつぶしていた。


「……レイ・バストーレ、いったい何をするつもりだ?」


ベルティーナは呟いた。彼女の瞳は虚空を見つめ、その向こうに潜むレイの真意を探ろうとする。しかし、シニスの濃密な霧はあまりにも深く、真実はその奥に隠れて見えない。


もしこのまま、アクア・クラインで包まれた世界がシニスの混沌に上書きされれば、この星は滅びる。いや、それだけでは終わらない。他の地球を照らす太陽の鞘すら砕け、あらゆるものが形を失い、すべては真っ白な虚無へと溶けていく。そして、他の地球も暗黒の世界へと堕ちるのだ。


ベルティーナの瞳に、閃光のような理解が宿った。ようやく、彼女は気づいたのだ。レイの目的と、彼女の本性に。


「そうか、そういうことか……レイ・バストーレ。貴女にはこの世界のことなど、最初からどうでもよかったのだな」


ベルティーナは自嘲の笑みを浮かべた。その顔は幼さすら残しているのに、目だけが痛ましいほど鋭く、大人びていた。


「私はなんと愚かな思い違いをしていたのか。他人に覚悟を求めたくせに、肝心の私自身には覚悟が足りなかった。貴女の相手は、最初から女王としてではなく、一人の女として挑むべきだったのだ……」


その言葉は震えていた。悔恨と怒り、そしてほんの僅かな哀しみが滲んでいた。


「すべては私の浅慮が招いた結果。ならば、せめて今から全力で、貴女の求めるものを奪おう。もはや、手遅れだとしても!」


崩壊の渦の中心にいる優香も、ベルティーナと同じ過ちを犯していた。


世界は灰色の泥流のように溶け、あらゆる輪郭を曖昧にしていく。まるで記憶が風化していくかのように、街並みも、人々も、色さえも失われていった。


優香は必死に呼び出した「地球の枝」に指先で触れ、辛うじて自分の周囲だけ白く狭い空間を保っていた。薄氷のように脆いその結界が、崩壊する世界との最後の境界線だった。


「……そうか。彼女は、最初からこれを果たすために、すべてを画策していたのか」


優香の目が、遠くの灰色の霧を超えて葛原零を捉えた。


その外側では、クライン・ボトルの結界に包まれた侑斗と亜希だけが、崩壊の中で存在を許されていた。二人は、まるで世界の中の異物のように孤立している。


レイ・バストーレは最初から、これが目的だったのだ。この世界の中で得たものを守るため? いや、そんな矮小な動機ではない。彼女の想いは、遥かに深く、痛ましいほど重い。


彼を取り戻すためなら、すべてを切り捨てる。自分の名前も、記憶も、この世界さえも。葛原零という存在も、それを取り巻くすべての感情も、過去も未来も――彼女は迷わず切り捨てたのだ。


ただ、彼を取り戻すためだけに。全世界を敵に回してでも。


優香の瞳から、無意識のうちに涙がこぼれ落ちた。


これほどまでに彼女は苦しんでいたのだ。この世界すべてを滅ぼす覚悟すら、一途な愛ゆえだった。それは哀しく、狂おしいほどに美しい。ベルティーナと衝突したのは、きっとこの重すぎる想いがあったから。優香には、もう止める術はなかった。けれど――それでもいいと、思いかけていた。


零の周囲には、クライン・ボトルの結界以外、すべてが真っ白だった。修一の姿も、乗っていたはずの車も、跡形もなく消えている。


レイは葛原零の体を離れ、クライン・ボトルへと吸い込まれていく。その瞬間、彼女の肉体だった零の姿も、崩壊の波に呑まれて砕けた。


四つの輝石からなるクライン・スピアが、レイの存在を数値化した情報へと変換し、知成力によって渦の中心――十個の輝石に囲まれたクライン・ボトルの結界へと運ぶ。そして、レイは自らの「映し」である亜希の体に入り込んだ。


「これで私とユウは、クライン・ボトルの舟の中で永遠に一緒。ねえ、ユウ……二人で、永遠の旅をまた始めよう。この真っ白な世界で――」


レイが微笑むその瞬間、亜希の意識が降り注ぐ無数の記憶の欠片に触れた。冷たい、痛ましい、孤独の記憶。しかし――


『私は嫌だ!』


その叫びは、亜希の声だったのか、それとも零の魂が最後の抵抗を見せたのか。判然としない。ただ確かなのは、次の瞬間――


亜希の体から、渦状銀河のような眩い光が溢れ出した。銀河の声が背後から亜希を支え、その力が世界全体へと広がっていく。灰色に濁った世界は逆転し、色彩と命が蘇る。


レイは再び、復元された葛原零の体へと押し戻された。その背後、車の中には修一の影が揺れている。


クライン・ボトルが、内側から壊された?


零には、何が起きたのか理解できなかった。ただ一つ、胸の奥で燃える感情だけが鮮烈に残っていた。


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