25、過去 紺碧の輝石(アクア・クライン)
冷たい風が荒野を吹き抜ける中、零は静かに車外へと足を踏み出した。彼女の左手には淡く輝く宝石があり、その青白い光が彼女の無表情な横顔を照らしている。指先がわずかに動くたび、宝石は空中で軌跡を描くように滑らかに浮遊し、エメラルド・ブルーの煌めきを放つ。
車内に残った修一は、無言でその光景を見守っていた。彼は零の義弟として、常人には到底理解できない数々の異常な現象を目撃してきたが、今回の零の表情には、今までに見たことのない切迫感が宿っていた。張り詰めた空気の中で、彼女が向き合っているものの重さが、言葉以上に伝わってくる。
零の前には、宙に浮かぶ6個の輝石が淡く輝いている。その背景には灰色の霧が不気味に蠢き、まるで世界そのものが崩壊へと向かう兆しのようだった。輝石はエメラルド・ブルーの光を放ちながら、霧の中で異質な存在感を示している。アクア・クラインの輝石は全部で14個存在すると聞いていたが、残りの8個はどこへ消えたのか――その謎が修一の胸に小さな不安を残す。
「憐れなものだな、ブルの最強戦士レイ・バストーレ。たった一人で、何に抗おうというのか。」
ベルティーナの冷ややかな声が響く。彼女は位相モニター越しに、カーディナル・アイズの内部を見つめていた。その中を動くのは、三角柱の形をした二つのクライン・スピア。混沌の源であるシニスの力を宿し、世界の秩序を侵食するかのように広がっていく。
零は、あらかじめ配置しておいた8個の輝石を用いて、クライン・スピアを二つ潜ませていた。それは彼女の知成力によって掌握され、ゆっくりと空間を拡張していく。だが、その奥底に微かに宿るのは、戦士としての誇りだけではなかった。かつて愛した者への想いが、心の片隅で揺れていたのだ。
「力だけを追い求めた貴女には、もはや何も得るものはない。それこそが因果応報。貴女が選んだ道なのだから。」
ベルティーナは淡々と告げたが、その声にはかすかな震えが混じっていた。過去に取り戻せないものがあることを、彼女自身が痛いほど知っていたからだ。
零は、ベルティーナの言葉に眉ひとつ動かさず、静かに輝石に意識を集中させた。彼女の瞳は氷のように冷たく、その奥底に燃える激情だけが唯一の温度を持っていた。
「人が人を統べるなど、女王、貴女の存在自体が滑稽だ。人の想いの強さは、数で埋められるものではない。」
零は眼前の6個の輝石から力を注ぎ込み、二つのクライン・スピアへと波動を送り出す。その瞬間、アクア・クラインの支配する空間が一気に拡大し、灰色の霧と赤い渦、そして青い光が複雑に絡み合っていく。混沌の中で、それぞれの力がぶつかり合い、世界の均衡は崩壊の淵へと近づいていった。
「ユウへの想いで貴女に敗れたあの日から、私はずっとその屈辱に囚われてきた。だからこそ、私は貴女に勝つ必要がある。ユウを取り戻すことが、私の存在そのものだから!」
零の声には、冷たさと熱さが同居していた。それは愛と憎しみ、執着と後悔が絡み合った複雑な感情の奔流。左手の指先がわずかに動くたびに、輝石はさらに深く、崩壊の中心へと侵入していく。
「ベルティーナ、貴女は守るべきものを増やしすぎた。私とユウが最強だった理由は、お互いしか守るものがなかったからだ!」
その言葉と同時に、ベルティーナの心臓が鋭く締めつけられる。カーディナル・アイズの鉄壁の結界が、音もなく打ち破られた瞬間だった。戦慄が全身を駆け巡り、冷静さを装っていたベルティーナの内側で、かつてない恐怖が芽生え始めていた。
「100の力には、1000の知略で応じる」――それが、レイ・バストーレ。
崩壊と再生、愛と憎しみ、守る者と奪う者。
その全てが、今この瞬間に交錯していた。