241、エピローグ 満天の世界
北極上空──クァンタム・セルの窓
果てしない空間にぽつりと浮かぶ、ひとつの扉。
その扉に背を預けるように、優香と侑斗は肩を寄せ合い、互いを抱きしめていた。
もはや二人に肉体はない。
あるのは、かつて人間だった記憶と、意識の残像だけ。
これから、彼らは永劫の時をここで過ごしていく。
「寒くない?」
優香が小さく問いかけると、侑斗は微かに頷いた。
「大丈夫だよ……でも、ちょっと疲れたな。少しだけ、眠ってもいい?」
「うん。先は長いから」
──言葉を交わした後、静けさが二人を包み込む。
扉の外に広がる銀色の空間。その遥か下には、小さな青い地球が浮かんでいた。
優香は侑斗を抱きしめたまま、ぼんやりとその光景を見つめる。
いくつもの想いが、胸の中で泡のように湧いては消えていった。
──その時。
ふいに、黄金と真紅の輝きが、目の前にふわりと現れた。
「……力を使い果たしたら、複素演算体から追い出されちゃった」
懐かしい声。零だった。
続いて、澄んだ声が響く。
「姉のヴェナレートが、私たちをここへ運んでくれたの。もう、戦士レイ・バストーレと女王ベルティーナの居場所は、どこにも無いそうです」
ベルティーナが、柔らかく微笑みながら告げる。
「ヴェナレートは、内側からこの窓を支えてくれるそうです。だから優香──どうか、私たちにも、あなたたちと一緒に、この扉を支えさせてください。いいでしょう?」
優香は目を細め、ベルティーナの声を胸の奥に受け止める。
「ああ……いいよ、ベル……」
──願いが、叶ったのかもしれない。
優香の胸の中に、ふっと温かいものが広がった。
零は、静かに眠る侑斗の肩にそっと手を置いた。
「眠ってるんだね、侑斗……無理しすぎたもんね。頑張ったよ。大好きだよ……今度こそ、永遠に一緒だよ」
侑斗は微睡みの中で夢を見ていた。
夢の中で、亜希が泣いていた。泣きながら、怒っていた。
──ごめんね、亜希さん。
◇
地上──星見の広場
夜空に、数えきれないほどの星がまたたいていた。
「おおー、すげーじゃん。よくこんな場所見つけたな!」
彰が、持ってきた機材を組み立てるのも忘れ、空を仰ぎ見て歓声を上げる。
「へへー、いいでしょ? 友達が教えてくれたんだ」
琳が得意げに、両手を空に伸ばした。
「うーん、僕も知らなかったなぁ。こんな麓にトイレ付きの休憩場所があって、しかも邪魔な林もないなんて……」
洋も、感嘆の声を漏らす。
その横で、亜希はそっと隣にいる凪に声をかけた。
「凪、寒くない?」
凪は小さく首を横に振り、微笑んだ。
「大丈夫。しっかり着込んできたから。それに、私から行きたいって頼んだんだから」
広場には、楽しげな空気が満ちていた。
琳が見つけたというこの星見スポットで、皆がわいわいとはしゃいでいる。
──けれど、亜希は知っていた。
ここは、かつて侑斗と優香に出会った場所。
霧に包まれ、世界が消えそうになった、あの特別な日と同じ場所だ。
ガチャガチャと、彰と洋が機材を組み上げる音が響く。
「亜希さーん、凪さーん、見てくださいよ! 私、望遠鏡買ったんです! 小さいけど!」
琳が無邪気な笑顔で手を振った。
「お前、小さいとか言ってるけど、これ結構高いやつだぞ。……全く、お嬢様はこれだからな」
彰が呆れたように言い、琳がふくれっ面で応戦する。
二人の軽いやり取りが、静かな広場に心地よく響いた。
──その時。
「あっ! 流れ星、北の方!」
琳が叫ぶ。
皆が一斉に北の空を見上げた。
北極星が輝く、こぐま座の方向。
亜希の胸が、一瞬熱くなる。
──あの人たちは、今もあの空の向こうで、世界を支えている。神話の登場人物のように。
「今、温かいもの入れるからね。今日はゆっくりしていこう」
洋が、穏やかな声で呼びかけた。
亜希はそっと踵を返し、北の空から目をそらす。
──この宇宙に映る地球は、今はひとつだけ。
そう思いながら、静かに、深く息を吸った。
了




