236、未来 未来を断ち、今を選ぶ
──空間が、膨らんでいた。
量子船は、性能の限界による階層の頂点に迫っていた。
そこでは時間も空間も、すでに“情報”と“意志”によって定義されている。
物質の制約を超えた、純粋な設計領域。
──創造者たちが、最初に世界を形作った“原初の空”。
侑斗は、剣を手に立っていた。
《クリスタル・ソオド》。
「すべての可能性を断つ剣」。
未来を、今、この手で断つための力。
だが、その力は──あまりにも重かった。
──視界が、歪む。
眼前に広がる、数万、数億もの“可能性の網”。
彼自身の未来。
優香と生きる未来。
誰とも結ばれず孤独に終わる未来。
誰かを裏切り、全てを失う未来。
死に至る未来、死を偽る未来。
無数の未来が、剥き出しになり、彼の心に絡みつく。
剣を握るたびに、その重さが、身体を、精神を、押し潰していく。
「……う、ああ……ッ」
侑斗が膝をついた。
剣が、精神に直接“選択”を迫る。
この力は、可能性を断つことで未来を制御する。
だが、それは──“断ってはいけない未来”すら、誤って斬り捨てる危険を孕んでいた。
《クリスタル・ソオド》の暴走。
それは、存在する全ての層を無差別に切断し、“現在の自己”すら喪失させる最悪の副作用だった。
ぐらり、と意識が揺らぐ中、侑斗はふと理解する。
あの創造者の代弁者が言っていた──「過去と未来を俯瞰して調整する」という言葉。
そうか。
クリスタル・ソオドも、クリアライン・ブレイドも、時の果てと果てを繋ぐ中で、創造者たちが置き去りにした存在だったのだ。
──零のアクア・クラインも。
──ベルティーナのカーディナル・アイズも。
彼らは、内側から、自らの系譜を崩壊させていった。
だが──
今は考えている余裕はない。
このままでは、侑斗は、“今”に留まれなくなる。
「侑斗!!」
優香の叫び声が、乱れた空間に響いた。
彼女は迷わず駆け寄る。
震える手で、侑斗の手をしっかりと掴む。
「戻りなさい!もう私たちの"永遠"は決まっているの!」
その手の温もりが、侑斗の心に差し込んだ。
暴走していた剣の光が、ゆっくりと静まっていく。
──可能性の樹が、霧の中に沈む。
剥き出しだった未来たちが、再び静かな深淵へと溶けていく。
侑斗は、理解する。
彼が本当に断たなければならなかったのは──無数の未来ではない。
己の弱さだったのだ。
「……ありがとう、優香」
侑斗の手から、剣の輝きがゆっくりと引いていく。
《クリスタル・ソオド》は、音もなく砕け散った。
侑斗は、ふたたび立ち上がる。
「──断つべきは、俺自身の弱さだったんだな」
優香は、静かに彼の隣に並んだ。
笑いもしない。ただ、確かにそこにいてくれる。
ふと、空間の奥に何かが現れる。
かつて創造者たちが“宇宙の調整”に用いていた、巨大な記録装置──
それは、かつて優香や龍斗、フィーネが創った“光層磁版図”、
世界の配置図と呼ばれたものに酷似していた。
「……私と同じことを、彼らもしたんだね。
人の想いの配置を設計するなんて、神様にだって不可能だったはずなのに」
優香が、静かに剣を構える。
白く輝く《クリアライン・ブレイド》。
その刃先が、記録装置へと向けられる。
一閃。
刃が走り、階層そのものを支えていた“世界配置”の根幹を断ち切った。
──以後、この世界は、「可能性を定義できない」空白の未来を迎えることになる。
けれど、それは破壊ではない。
新たな選択を生む、自由な余白だった。
「さあ、行こう」
優香が静かに言った。
「まだ……“クァンタム・セルの窓”が残ってる」
量子船が、再び進み始めた。
断たれた未来の向こうへ。
始まりの場所へ。
──まだ選ばれていない、“新しい物語”のために。