233、未来 断絶の光、自由の刃
─世界が、軋んだ。
空間そのものが、深い悲鳴をあげる。
その中心で、優香の《クリアライン・ブレイド》が光の弧を描き、無音のまま空を裂いた。
そして──
そこにあった“存在”そのものが、空間から滑り落ちた。
優香の剣は、単なる物理現象を超えていた。
それは、対象が「存在している」という状態そのものを、空間と結びつけていた“記述”ごと切り離す力。
世界が存在を認識するための基盤──記録、観測、意味──それらすべてを、根こそぎ断絶する。
切られた者は消えるのではない。
「存在していた」という記憶すら、世界の中から剥がれ落ちる。
「……ひとつ──消した」
優香が荒い呼吸を漏らしながら、鋭く前を見据えた。
その掌は微かに震えていたが、眼差しに迷いはない。
視線の先では、断ち切られた創造者の一柱が、静かに、確実に、空間から消滅していく。
跡形もなく。
まるで、最初から“そこに存在しなかった”かのように。
空間の奥に残る創造者たちは、その一瞬にわずかに揺らいだ。
身体──いや、構成している情報そのものが、動揺している。
『……不可視の断絶。人の手にあるべき力ではない』
歪んだ声が響く。
その声に応えるように、侑斗が《クリスタル・ソオド》を構えた。
刃はまだ顕現していない。
だが、彼が一歩踏み出すだけで、空間の「未来」が軋み、波打つ。
「見せてやるよ……これが、“ありえた未来”を断ち切るってことだ」
侑斗が走る。
空間のひずみを味方につけ、疾風のごとく創造者の一体に肉薄する。
そして──
一閃。
侑斗が《クリスタル・ソオド》を抜き放った瞬間、
空間全体が凍りついたかのような静寂に包まれる。
侑斗の瞳に映った。
創造者の背後に広がる、無数の未来の枝葉──
育ち、萎れ、崩れ、繁茂する、無限の可能性の樹。
侑斗の刃は、それらを迷うことなく断ち切った。
──無音の爆発。
創造者の未来そのものが、枝ごと、幹ごと、丸ごと断たれる。
未来を失った存在は、現在にも留まれない。
創造者は、抗う間もなく、情報の塵となって崩れ落ちた。
「──これで、二体……!」
侑斗が叫ぶ。
だがその声には、既にわずかな乱れがあった。
彼の身体は汗に濡れ、膝が微かに揺れている。
《クリスタル・ソオド》を振るう代償はあまりにも大きい。
それは、彼自身の「自己認識」──自分が自分であるという感覚すら、徐々に侵食していく。
「侑斗! 無理しないで!」
優香が叫び、駆け寄ろうとする。
だがその瞬間、空間が軋み、船全体が震えた。
残った創造者たちが──形を変え始めたのだ。
より硬質に、より異質に。
この階層そのものに適応し、侵食するための進化を見せ始めていた。
『……おまえたちは、再定義不可能の災厄』
『階層を壊す存在──“階層不明の断絶者”』
声が重なり合い、空間がひび割れた。
破滅の鐘が、無音のまま響く。
「……こっちも、同じだよ」
優香は小さく息を吐き、静かに剣を構えた。
その眼差しは、燃えるように透明だった。
「私たちは、もう──戻らないって、決めたんだ」
侑斗もまた、剣を握り直し、静かに頷く。
世界の階層に、見えない風が吹く。
断絶と切断──それは単なる破壊ではない。
そこに生まれるのは、新しい「境界」だった。
優香と侑斗は、階層を壊すために戦っているのではなかった。
彼らは、二度と“人間の階層”が、他の存在に管理されないようにするために、
──道を封じるために、戦っていた。
どこまでも純粋な、自由への意志だった。
光の奔流の中、二人の剣が再び交錯する。
振るわれた刃は、ただひとつの未来を切り開くために──
世界へ、新たな道筋を穿つために──
確かに、煌めいた。
──空間が、さらに軋んだ。
残された創造者たちが、ついに“進化”の最終段階に至った。
彼らの輪郭はもはや人の形を留めていない。
思考の抽象化、存在の純粋情報化。
創造者たちは、階層という概念すら乗り越えた──異なる存在原理へと変貌していた。
その姿は、黒く、冷たく、恐ろしいほど静かだった。
「……来る!」
優香が叫ぶ間もなく、世界を引き裂くような圧力が襲いかかる。
一瞬で数十の空間座標が歪み、量子船を押し潰そうと迫る。
だが、侑斗が反応した。
「……まだ、行ける……!」
彼は、自分の限界を超えるように、《クリスタル・ソオド》を振り上げた。
刹那、未来の流れが可視化される。
無数の枝葉──避けうる未来、避けられぬ未来、破滅する未来──が脳裏に焼き付く。
侑斗は、それを断つ。
ためらいも、迷いもなく。
だが──代償は、あまりにも大きかった。
「……ッ──ぐ、あっ……!」
彼の身体が、大きくよろめく。
足元の空間が軋み、認識がずれる。
世界が、音もなく、色もなく、輪郭もなく、崩れていく。
──自分が、誰なのか分からない。
侑斗の意識が、ぼろぼろと剥がれていく。
そのとき──優香が彼に飛びついた。
「侑斗!!」
彼女は全身で侑斗を抱き止めた。
必死に、彼の肩を掴み、顔を覗き込む。
「忘れないで! あなたは侑斗! 私の分身!私達は二人で一人」
優香の声が、侑斗の崩れかけた意識に、熱く、鋭く、突き刺さる。
世界が、ほんの僅かに戻った。
彼女の存在が、彼をこの世界に引き留めた。
──ああ、そうだ。
俺は、まだここにいる。
優香と、自分の分身とここにいる。
侑斗は、最後の力を振り絞って、彼女に頷いた。
「……ああ。ありがとう、優香」
彼の手が、再び剣を握り直す。
《クリスタル・ソオド》──未来を断つ刃が、再び形を取り戻した。
そのとき、進化を終えた創造者たちが、動き出した。
『……拒絶。再定義不能。完全消去。』
重なり合う無数の声。
存在そのものを圧し潰す力が、二人を飲み込もうと迫る。
「行こう、侑斗。これが……最後だよ!」
優香もまた、《クリアライン・ブレイド》を構えた。
ふたりの刃が、光を帯びる。
──断絶と切断。
それは、終焉ではない。
新たな未来を、生み出すための始まり。
二人は、叫びながら駆けた。
「二度と俺たちの世界に」
「降りてこないで、干渉しないで」
刹那、二つの刃が交差する。
空間を満たしていた黒き奔流を、光の矢が貫く。
断絶の刃と、未来断絶の剣。
その交差は、世界の根幹にまで届き、歪んだ階層を一瞬で切り裂いた。
創造者たちが、無音の悲鳴を上げる。
彼らは、理解したのだ。
この断絶は、単なる破壊ではない。
「管理されない未来」を、
「自由な意思の階層」を、
──人間たちが自らの手で選び取ったということを。
光の奔流の中、創造者たちは、ひとつ、またひとつと崩れ落ち、消えていった。
そして──
静寂が、訪れた。
残されたのは、傷だらけの二人。
それでも、確かに立っていた。
──管理されない、人間の未来へと続く、自由の世界の、ただ最初の一歩として。