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231、未来 量子海の岸辺

ラスト・ライブラリの大地を蹴り、優香と侑斗を乗せた量子船が、時空の裂け目へと突入した。


振り返る余裕もないまま、二人の身体は光の粒に包まれ、重力も、質量も、意味さえも失っていく。

見送る者から見れば、それはただ遠ざかっていく小舟のようだった。だが、彼らの感覚では、多重に重なり合う空間の波が、逆に迫ってくるように膨張していた。


それはほんの数秒のことだった。


「……これは……?」


次の瞬間、彼らは“そこ”にいた。


──どこまでも広がる、光の波紋が漂う海辺。

水の代わりに光がうねり、波間には書物の頁や記憶の断片が浮かんでは消えていく。

空は存在せず、頭上には数式と詩文が流体のようにたゆたい、ゆっくりと流れていた。


「ここが……クァンタム・セルの“窓”……」


侑斗が呟く。声は何層にも反響し、まるで時の深淵に溶けていくかのようだった。


「量子の海の岸辺──未来と過去が交差する場所。ここで、行き先を計算するの」


優香は静かに舟を降り、光の浜辺に足をつけた。ブーツの先に波が触れた瞬間、輪郭が微かに揺らぎ、透き通る。


「……ここでは時間は流れない。でも、思い出せる。創ることも、終えることも」


中空を漂う数式を優香が手でなぞると、それらはひとつの構造へと編み上がっていく。

本来この海を渡るにはフライ・バーニアの北、ピクシス・ロードによる精密な座標調整が必要である。数値ひとつの誤差で、永遠に量子の海を迷うことになる。

だが今回の目的地は、単なる“別の地球”ではなかった──このクァンタム・ワールドにおいて、創造者が初めて姿を現した起点。


颯爽と数値を動かす優香の姿に侑斗の心は知らず圧されていた。

ユウ・シルヴァーヌの知性を継いだとはいえ、この知性の差には精神が削られる。


「すべてが終わったら……ここに戻ってこよう。

 時間がないってことは、永遠があるってこと、二人なら……それも悪くない」


優香はうっすらと微笑み、侑斗の隣に腰を下ろした。光の波が彼らの影をやさしく溶かしていく。


──ここは終わりではない。

ここは、「終わりの先」であり、「始まりの手前」。


そして最後の物語の、そのまた後に──

二人は、もう一度この岸辺に戻ってくる。


やがて二人は無言で頷き合い、再び量子船へと乗り込んだ。


空間が、軋むように揺れる。


量子船を覆う半透膜の外、光の波が青とも紫ともつかぬ色でうねりながら流れていく。

すべてが時間の支配を拒み、現実の法則すら忘れさせた。


ここは、量子の海──情報の粒でできた、世界の構造そのもの。


足を踏み入れた瞬間、すべては「可能性」と「揺らぎ」へと解体される。

繭のように包まれた船体は、静かに、しかし確かに揺れていた。


「……この振動は、私たちの知覚に合わせて表面化しただけ。

 歓迎されてるって感じは、しないけどね」


優香がぼそりと呟いた。船の中央、透けた床の下では、星のようにまたたく点が浮かんでいる。

だが、それは星ではなかった。記憶、感情、そして誰にも観測されなかった世界の欠片たち──泡のように生まれ、崩れて消えていく。


「揺れてるっていうより……落ちてる感覚のほうが近いな」


侑斗の言葉には、緊張と冗談がないまぜになっていた。

その瞳は鋭く、優香もまた無言で隣に立つ。見つめる先には、終わりの見えない空間が広がっていた。


「……ここが、ダークが滅びた階層の手前?」


「いや、多分もっと下。セレナが言ってた“接続階層”に近い」


量子船がゆっくりと下降していく。

空間が海のように波打ち、らせん状の流れが船を誘っていた。


「……この航路、導かれてる? 誰かに?」


「はあ……まさか。でも、もしそうだとしたら──敵か味方かは、まだわからないな」


優香がコンソールに触れる。浮かび上がる文字列は、もはや人間の言語ではない。

論理が情報に溶けた、量子海独自の表現。

読むには、直感と記憶を織り交ぜるしかない。


それでも優香は、理解しようとしていた。


「この先に、“創造者”がいる。

 触れてはいけなかった、世界の外側……その連中が、ダークの滅びで目覚めた」


零とベルティーナが残したものが、今、果実として実を結び始めている。


「でも、私たちが止める。必ず」


その声に、侑斗が頷いた。

試すでも疑うでもない、背中を預ける者の信頼がそこにあった。


──そのとき、船体がわずかに震えた。

外の海に、一本の亀裂が走る。


そこから、まるで別の空間が“降りて”くるかのようだった。


「侑斗……見て。何かが……」


優香が言いかけたそのとき、船の正面に無数の“眼”が現れた。

それは視線ではない。

創造者たちが投げかけてきた、観測の束。記録された視界の集合体。


「……来たな。あいつらが、見てる」


侑斗は静かに手首から、クリスタル・ソオドを顕現させた。

その剣は、鞘を持たぬまま、空間の揺らぎを鋭く切り裂く。


「優香、準備はいいか?」


「……地を蹴ったときから、ずっとね」


量子船は滑るように海を進む。

向かう先は、人知の及ばぬ上位層──

この世界を創った“創造者たち”が待ち受ける、原初の領域。


光の波が、一筋、走った。


やがてその波は、世界のすべてを──揺るがす。


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