223、未来 反撃の光は沈黙の中に
風がない。葉も揺れない。
命が育むはずの植物の天蓋の下、その空間はあまりにも静かだった。
まるで時間そのものが、誰かに停止させられたかのように。
ここは、セレナ・カンデラが三人を導いた場所だった。
苔むした壁の奥、緑に覆われた天井の下。
静かに呼吸するような生きた空間。
それが彼女の作り上げた秘密の作戦会議室だった。
そこに集うのは、たった四人。
優香、セレナ、侑斗、そして史音。
思考を巡らせるように黙していた彼らの中で、侑斗だけが拍子抜けした表情を浮かべていた。
彼はてっきり、ラスト・ライブラリの硬質な施設内に案内されると思っていたのだ。
円形の天然のテーブルに、植物が編んだような椅子。
だが誰も座ろうとはしない。
立ったまま、あるいは腕を組み、沈黙の中に身を置いている。
「ここは、ラスト・ライブラリに近い場所で最も安全な場所よ。私が植物を手なずけて作った空間。
要するに、図書館の中にはもう安全な場所なんて存在しないってこと」
セレナ・カンデラは、微かに笑いながらそう言った。
優香も、史音も、侑斗も無言のまま彼女を見つめていた。
彼らは悟っていた。あのままなら、自分たちは全滅していた。
シニスやダーク、パリンゲネシアを乗り越えてきた彼らが、同じ人間の創った“知性の塊”に勝てなかった。
「……今頃、葛城夕子は地下の“沈黙の舟”に辿り着いているかもしれない。
だから時間は少ないわ」
黙していた二人の代わりに、侑斗が口を開いた。
「作戦があるのなら話してくれ。頼むから」
「素直でいい子ね。……結論から言えば、全員が失う覚悟がなければ勝てない」
乾いた声。
けれどそこには、一片の迷いもなかった。
史音が眉をひそめた。
「そういう不確かなことは言わない女だと思っていたよ、セレナ・カンデラ」
「理屈や論理だけでは、もう足りない。
あなたたちが証明したでしょう。“彼ら”には、確率では届かない」
優香は大きく息をつき、声を上げた。
「そんな事はもう理解した。
私は貴女と違って、自分に足りないものがあることを自覚している。
だから対策を教えて。参考にするから」
「私は不要なものを切り捨ててきたの。
そうしたら、必要なものが残っただけ。だから最初から足りないものなんてないのよ」
「その結果が今のあなた?笑わせる。
自分をさらけ出せない女が、分かったような口をきかないで」
「そうね。でも少なくとも今回は、あなたたちより状況を把握している」
優香は皮肉な笑みを浮かべた。
「なら言いなさい。貴女の“対策”を」
「今、世界に残るのは“後悔”だけかもしれないわ。
敵は、“原始回帰計画”の最終段階に入ってる」
その言葉に、空気がわずかに揺れた。
セレナがテーブルの中心に指を置くと、モニターが起動。
透明なホログラムが天井へ向かって伸び、図書館の構造全体像を映し出した。
「ラスト・ライブラリは、箱の連結体。
各区画は半自律的に動き、衝撃を受けると遮断される。
その性質を利用すれば、中枢への道が一瞬だけ開く」
史音が冷静に指を折る。
「問題は三つ。時間制限、敵の迎撃、量子船の起動タイミングだ。
ただし、船には少し手を加えなければ動かせない」
「どのくらいで改造できる?」
優香の問いに、史音はためらいながら答える。
「……約二時間」
セレナが即座に告げた。
「優香と私が正面突破する。囮になる」
「嬉しいわね。私なんかで、あなたの役に立てるかしら?」
「わかってるはずよ。夕子はあなた達の為に量子船を確保しようとしている。
そうさせたのは、彼女の行動原理は全てあなた達の為だってこと?」
「……ええ。理解してる」
史音は、ここで量子船を完成した後、始末されそうになって追い詰められたとき、何かの導きで逃れられたことを思い出していた。
「もしかして、以前、私がここから脱出できたのは……あんたのおかげか?」
セレナは微かに笑みを返した。
「その間に、侑斗と史音は地下の“沈黙の舟”へ向かって夕子を助けて」
その声には逆らえない威圧があった。かつてのベルティーナを思わせる、冷たくも崇高なもの。
「椿優香。私はこの図書館を裏から支配している。でも、今回の作戦にはあなたの協力が必要」
数秒の沈黙。
優香は舌打ちしながら言った。
「……他人を欠点で評価する人間が、ずいぶん素直なこと言うじゃない」
二人のやり取りの合間を縫って史音が小さな装置を差し出す。
「これ、“共振連絡子”。思考で通信できる。
おまえの刻奏音は頭が痛くなるんだよ」
「天才史音嬢、今度こそ当てになるやつなんだろうね?」
「大丈夫だろう、ただの通信装置だよ」
侑斗がセレナに問いかける。
「あんた……言葉の割に表情が真剣過ぎる、まるで死にに行こうとしてるみたいだ」
「そりゃ死ぬ気でやらなきゃならない事をやろうとしてるんだから当たり前でしょ?」
侑人は訝しんでセレナをにらむ。
その瞬間、壁の奥が振動した。
「……始まった」
可動区画が動き始める。
植物と金属が軋む音が、地下から響き渡る。
「回廊が開くのは十三分間。後戻りはできない」
セレナが言い、走り出す。
その背を見つめ、優香が一拍遅れて動く。
「……仕方ない。嫌いな人間を肯定する苦痛は想像以上だけれど」
静かに剣を抜く音。
クリアライン・ブレイドの刀身が発現して煌めく。
二人の背中を見送りながら、侑斗が呟いた。
「……地下で、必ず合流しよう」
図書館の空間がゆっくりと揺れる。
可動式の壁が折り畳まれ、戦場への扉が開かれる。
セレナが叫ぶ。
「時間よ、ひれ伏しなさい。これから、私たちが書き換える」
優香が剣を構えながら笑った。
「その決め台詞、全然貴女に似合わないけど……まあ、いいか」