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206、未来 超越者

白濁した大気の下で、零とベルティーナの存在だけが鮮やかに際立っていた。零を取り巻く蒼い輝石が徐々にシニスの支配領域を侵食し、ベルティーナの赤く輝く瞳は空間とエネルギーの狭間に渦巻く差時間を生み出し、確実に己の支配領域を拡大していく。


だが次の瞬間、再び琉菜の冷たく歪んだ笑みが浮かび、その口からフィーネの声音が響いた。


「おまえたちは不合理を嫌い、明確な目的に対して躊躇なく行動すると信じていたが、どうやら違ったようだな」


零の蒼い輝石のひとつが琉菜の胸を貫いた。しかし、その身体は波紋のように揺らいだ後、すぐ元通りになってしまった。


「この身体は不存在に外側から形を与えられただけのものよ。物理的な攻撃など通用するはずがない。それにしても……」


琉菜が無造作に腕を垂直に振り下ろすと、零とベルティーナが広げていた支配領域は瞬く間に消し飛ばされ、白濁した大気が再び二人を押し包んだ。


「彼らが作った隙を利用して、そのままクァンタム・セルの窓へ向かい、ダークに直接挑むことができたはずだ。なぜわざわざ降りてきた?」


圧倒的な力に包囲されながらも、ベルティーナは一歩も引かず鋭く言い放つ。


「不合理で非効率な、人の感情のためだよ」


ベルティーナの視線の先には、血まみれで倒れる修一と、それを支えようと空間から踏み出した侑斗、そしてその傍らで空間を閉じようとしない優香の姿があった。


優香はもう、かつてのように感情による混乱を否定してはいなかった。人が持つ感情こそが、上位階層が把握しきれない不確かな可能性を生み出すのだと理解していたからだ。今、目の前の状況に対処するためには、その感情を活用するしかない。


優香はぎりぎりの力を振り絞り、侑斗と修一を地球の大樹の空間で包み込む。しかし、零とベルティーナの知性力をも圧倒するダークの力が、すぐにでも全てを飲み込もうとしているのを感じた。


「ああ、もう面倒くさいなあ」


琉菜の表情が変わり、フィーネの怠惰な声音が再び現れた。


「シニスが人間の感情に意味を求めるとはな。おまえ達二人はフライ・バーニアの氷の骸、恵蘭と紫苑に隠れていたのか? 気味の悪いことだ」


その言葉に、侑斗は嫌悪感で胸が悪くなった。それは二人の覚悟を示していると理解しながら。修一を見下ろすと、その身体はすでに死の淵に瀕していた。あれほど屈強だった修一が、今や静かにその命を閉じていく。


「さてと、邪魔な力を奪って、ゆっくりとなぶり殺しにしようかな」


零がアクア・クラインの輝石を全て実体化して対抗するが、それも束の間、輝石はその輝きを急速に失い、ただの石と化してしまった。次いで琉菜はベルティーナの力に狙いを定め、その視界を閉ざしてしまう。


視覚を奪われたベルティーナを抱きかかえ、零は侑斗たちの側へと退く。


「あっけなくてつまらないね。最初に修一くんを楽にしてあげようかな。ずっと憧れていたんだよ、大好きな修一くん」


琉菜の腕が巨大化し、修一に伸びる。その瞬間、その腕を別の力が掴んだ。

…………………


調()()()()()()()()()()()()()()()()()


鋭い史音の声が空間を引き裂き、その巨大な腕は砕け散った。史音が徐々にその姿を揺らぎの中から明らかにし、琉菜に向けて憤怒の表情を浮かべる。


「侑斗は優香に取られちまったからな、私には修一しかいなかったんだよ。それをよくも!よくも!最低最悪の糞女が!」


琉菜は崩れた腕を再生させながら、信じられない様子で呟いた。


「史音、シニスの不存在の中で、どうやって実体化した?」


しかし史音はその問いに答えることなく、倒れた修一の元へ駆け寄る。侑斗もそばで見守る中、史音の周囲を包む黒い影が修一と侑斗の身体にも広がった。


「史音、修一を治せるか?」


修一は小さく瞳を開け、呻き声を上げる。


「もう、だめだ。あいつが全ての未来をひとつに固定したんだ。だから私も遅れちまった……」史音が辛そうに涙ぐむ。


苦しそうに修一が口を開く。


「史音、橘……俺たちの旅には意味があった。不存在を打ち破る旅だったんだ。それを……否定しないでくれ……」


そう言い残し、修一は静かに瞳を閉じた。


………………


「どんな手品を使ったのか知らないけど、ようやくあなたを殺せるわね」


琉菜は不気味な微笑を浮かべるが、その表情には奇妙な遅れがある。史音は侮蔑的な視線で彼女を睨み返した。


「外側から形だけ与えられたお前は、いつも反応が鈍いな。黙って死んでればよかったものを、わざわざ正常な人間の思考とは真逆の存在として、その空っぽの器をシニスに利用されたんだな。もともと全身が他我の種で構成されていたお前は、最初から空洞だったんだろう。シニスは見事にお前を再現したな」


史音の辛辣な言葉に琉菜の表情が一瞬歪むが、その反応にも遅延がある。


「私が、私たちが正しい存在よ! 内面化された存在理由をもとに事象を観測し、確率を超えて階層間を混乱させたのも、エネルギーを拡散させて宇宙を混沌に導いたのも、すべて自我を持つ生命体が原因だわ! 今や私たちが唯一の本流よ。史音、あんた一人が、シニスによって外側から作られたここにいる三千の私たちに何ができるの? 不純物は排除しなきゃね!」


しかし史音から伝わる黒い力は、侑斗たちを包み込み、シニスの不存在に飲み込まれることを防いでいた。


「史音、この力は……?」


侑斗の問いに、史音は淡々と答える。


「ああ、亜希の力をちょっと無断で借りてきたんだ。亜希とパリンゲネシアに囚われていた頃に色々と観察できたからな」


琉菜は背後から声を荒げた。


「その程度の力では私たちには到底及ばない。数の絶対的優位を思い知るがいいわ!」


史音は毅然と立ち上がり、琉菜とその背後のシニスの群れを冷ややかに見据える。


「馬鹿のくせに偉そうに言ってんじゃねえよ。いくら塵芥の脳みそが集まったって、下劣な価値観が少しでもマシになるわけじゃねえんだよ」


琉菜は再び間を空けて答える。


「私は馬鹿じゃない」


「確かに頭はな。だが心のほうが致命的に馬鹿なんだよ、お前は」


史音と琉菜は、遠い過去、同じアカデミーで学んでいた。当時、史音は常に圧倒的なトップであり、琉菜は常に二位だった。しかしその差は歴然としており、教授たちからも史音とその他という扱いをされていた。この事実は、琉菜の人格を大きく歪ませてしまった。


史音は、大樹の空間から出てきた優香も亜希の黒い力で守る。


「ごめん、侑斗……私は修一くんを……」


優香が謝罪するが、侑斗は首を大きく横に振った。


「俺が感情に流されただけだ。修一の言う通りに行動した優香が正しい。零さんやベルティーナがここに降りてきたのも、俺のせいだ。史音が来てくれなかったら、修一の犠牲は本当に無意味になるところだった」


史音は零とベルティーナも亜希の力で包み込んだ。


「だから何なの? シニスの不存在の中で少し自由に動ける程度のあなたたちに何ができるっていうの?」


琉菜の苛立った声に合わせて背後の三千の群衆がざわめきを増す。


「馬鹿だなあ、私は亜希の力を完全には使えないが、亜希の本体だった修一の姉ならどうだろうな?」


史音の腕から流れ込む亜希の力が零のサイクル・リングを活性化させた。石化していた零のリングは黄金色の輝きを取り戻し、紺碧の輝石も再び鮮やかに輝き始める。


零は激しい怒りを込めた視線で琉菜を射抜き、その凍てついた空間を蒼い焔が焼き尽くしていった。



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