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205、未来 本流と支流

日本で籍を入れた優香と侑斗は、約二週間の滞在を経てフライ・バーニアの直下に位置する中央アジアへ辿り着いていた。


籍を入れて婚姻関係を結ぶことに対し、侑斗はほとんど意味を感じていなかった。そもそも優香がそうした形式にこだわるとは夢にも思わなかった。


「いつまで存在できるか分からないこの世界だからこそ、けじめをつけたかったんだよ。私たちに関わる人々への申し開きって感じかな」


優香は穏やかに語ったが、侑斗の心中には疑問が拭いきれなかった。この荒廃した地球で、形式的なことに何か意味があるのだろうか。侑斗は両親に亜希の勧めで一応報告したが、優香自身は彼らと一度も顔を合わせていない。そもそもほとんど実家に寄りつかなかった侑斗が誰と結婚しようと、両親は大して気にも止めなかっただろう。唯一侑斗を見送った兄だけが、優香を目にして小さく呟いた。


「女性の外見に興味のないお前が選ぶ相手とは思えないな」


兄は淡々とした表情のまま、礼儀正しく優香に頭を下げた。


二人は教団との戦いの際に史音や修一と旅した記憶の道筋を辿り、この荒涼とした中央アジアへとやって来た。世界の構造は認識する者の数だけ存在し、入り混じり、絡み合っていた。外側から与えられた虚ろな世界が、むしろ安定し確かなものに思えてしまうほど、この現実は不確かだった。


「変化を受け入れた世界を肯定すれば、天の川銀河は人間にとって空洞化する。私たちが知る通常の物質は影を潜め、大半を占めるダーク・マターに駆逐される。銀河を襲う変化の嵐は自発的対称性の破れ――外から与えられる形と内側に抱える姿を具現化する力との均衡が崩れる。それに抗って、私たちは銀河の階層構造の中で自分の存在を確立しなければならない」それはクァンタム・ワールドを創った技術者と銀河の上階層の双方と戦う事だ。こんなちっぽけな世界から。


乾ききった大地を砂混じりの風が鋭く吹き抜ける。時間が来た。透明な空間がわずかに色を帯び、人の姿を取り始める。


「時間ぴったりだね。さすが修一くん」


優香は微笑んで言った。


「やっとだよ。あんたが残した手掛かりと、橘が俺と辿った道をなんとか繋げたんだ」


そう言いながら修一の姿が鮮明に現れる。


「今この星の階層はシニスのダークに支配されている。女王ベルティーナがパリンゲネシアの階層から墜ちて以来、枝の神子の力はほぼ無力、霧散師も同様だ。俺のマーキング能力も急速に弱まってる」


侑斗は肺にまで忍び込むダークの気配を感じ、不快感に顔を歪めた。シニスのダークが完全にこの世界を書き換え、人類の認識力や知成力を奪った時、銀河の反対側から迫る変化の嵐は地球の全階層を書き換えるだろう。その際、亜希の声の力さえも飛び越えて。


「レイとベルティーナはいつ動く?」


優香の問いに修一は険しい表情を浮かべる。


「姉貴たちはダークにずっと監視されてる。量子の海の窓辺ではダークも圧倒的に有利とは言えないからな。その隙を姉貴と女王は狙ってるんだ」


優香は頷き、侑斗の肩を軽く握る。


「だからこそ、私たちがその隙を作るの。でも、レイから何か指示は?」


修一は即座に二人の肩を掴んだ。


「二人をここから遠ざけろ、ってのが指示だ。危険が迫ってる」


修一が背後に空間を開くが、優香は動こうとしない。


「いいえ、それも計算済み。ダークが私たちを囮にするなら役割が変わるだけよ。私たちがダークを叩き、レイとベルティーナが創造主を倒して銀河の声と話をつける」


その瞬間、鋭い高周波音が辺りを包んだ。侑斗はサイクル・リングを起動しようとするが、リングは微かに閃光を放つだけで停止してしまう。


「これは……」


「分かったか。今、この階層を上位から支配しているのはシニスのダークだ。幾重にも空間を歪ませ、お前のエネルギー供給経路を遮断している」


修一は力任せに二人を開いた空間へと放り込もうとした。


「待って、修一くん。その経路分析は私がやる。そしてレイとベルがクァンタム・セルの窓へ向かう隙を作る。まだ私は枝の神子や霧散師の力が使える。地球の大樹を呼べば、階層を超えてダークの支配から抜け出せる。それで侑斗のサイクル・リングを活性化できるはず」


優香は力強く宣言すると、すぐに地球の大樹を呼び寄せる。かつて零がシニスの無の大渦で世界を呑み込もうとした際にも、この大樹と繋がったおかげでそれを逃れることができた。かつて大樹を支配していたのはパリンゲネシアの一部だったが、この残留思念のようなものが今でもそれを支配している。


しかし次の瞬間、修一が開いた空間は灰色の霧に包まれ、その輪郭が曖昧に歪んでいく。不穏な人のざわめきが四方八方から聞こえてきた。


「だめだ、囲まれた……! お前たちは大樹の空間に逃げろ! 俺が奴らを引きつける!」


修一が叫ぶが、その言葉は途中で途切れた。


背後から青白い腕が伸び、修一の胸を深々と貫いたのだ!


「残念、間に合わなかったねぇ、修一くん」


刺された痛みに喘ぎながらも、修一は自分の存在確率をずらし、鋭い腕から必死に逃れる。


「琉菜……!」


修一が驚愕と憎悪を込めて背後を睨む。胸の傷口からは鮮血が勢いよく溢れていた。


侑斗は目の前の惨状に絶句した。修一を襲った女は、かつて史音や修一と旅を共にした時、虚無の神殿でフィーネに斬り殺されたはずだった。


「どうしてお前が……!」


侑斗が修一の元へ駆け寄ろうとした瞬間、優香がその体を押し留めた。優香の顔には深い悲しみが刻まれている。


「あれは琉菜じゃない。ただの空っぽの人形だよ。シニスが外側から与えた形に過ぎない。ダークは人の感情を理解できないから、塵媒のフィーネを通して彼女の形を再現して、私たちを誘き出したんだ」


説明を終えると、優香は再び地球の大樹に触れ、その力を呼び起こした。大樹が作り出した光の膜が侑斗と優香を包み込み、修一や琉菜のいるダークの空間から隔てていく。


琉菜は薄笑いを浮かべながら語り出す。


「アオイ、これが正しい人間の在り方よ。上位階層から与えられた形こそが真実の存在。この星の階層構造はこうして整えられ、維持されるべきよ」


優香が冷たい声で反論する。


「私たちが下位の階層に干渉するのは許されず、ダークが元パリンゲネシアの階層からこの世界に干渉するのは許されるわけ?」


琉菜の表情が凍りつき、フィーネの冷静な声がその口を通して響いた。


「各階層は相補的に整えられるべきものだ。ダークはその秩序を守るために働いている」


優香は厳しい目つきで返した。


「フィーネ、あなたは言った。私たちの思考は創造者の子孫を生むのに適していると。でも実際には創造者たちは階層を整えるために私たちを創り変え空洞化しようとしているだけだろう?」


フィーネは淡々と答える。


「間違ってはいない。彼らが階層構造を修復することは、技術者たちの階層に新たな生命を生み出すのと同じことだ。彼らの本質はそこにある」


琉菜の元の表情が戻り、冷酷な笑みを浮かべる。


「まぁどうでもいいけどね。あなた達が感じている通り、ここには外側から造られたシニスが三千人ほど集まっている。力を奪われたあなた達はここで徹底的に壊される運命なんだよ」


侑斗は地球の大樹の空間から叫ぶ。


「修一、早くこっちへ!」


修一は荒い息を吐きながら首を振る。


「いいんだ……これで十分だ。お前たちのおかげで隙ができた……これで姉貴たちが窓へ向かえる。さあ、空間を閉じろ! 俺一人の犠牲で済むなら安いもんだ……」


修一の周囲から幾つもの歪んだ手が伸び、その体を無情にも引き裂き始めた。


「ごめん、修一くん……」


優香が悲痛な面持ちで空間を閉じようとした瞬間、侑斗がその手を掴んだ。


「嫌だ、修一には何度も助けられたんだ! 優香は史音と亜希さんと共に行け。俺は修一と共に逝く」


侑斗が外へ飛び出したその時、天空から稲妻のような眩い光が落下し、琉菜たちを薙ぎ払った。


煙が晴れると、そこには零とベルティーナの姿が浮かび上がった。


「なるほど、あなた達は既にフライ・バーニアにいたのか。ずっと監視していたのに、ダークが気づかなかったとは驚きだわ。でも、フィーネの言う通りね。人間の感情は理屈では測れない。でもこれで私たちの勝利は決まったわ」


冷笑を浮かべながら、琉菜が言い放った。零とベルティーナの周囲には、再びダークの濃密な支配が渦巻き始めていた。



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