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201、未来 闖入者Ⅱ

身体は存在しないはずなのに、亜希と侑斗の荒い息遣いだけが静かな空間に響いている。封じられたような闇の中で、唯一落ち着いた呼吸をしているのは、史音の意識だった。


亜希はまだ完全に現実から切り離されていないのだろうか?侑斗は自分の存在の曖昧さに戸惑いながらも、史音の突然の侵入に微かな安堵を覚えていた。


「史音、あんた一体どうやってこの空間に入ってきたの?」


亜希の思念が不機嫌そうに問いかける。史音は平然と答えた。


「忘れたか? パリンゲネシアでお前に擬似空間の作り方を教えたのはアタシだぞ」


亜希はその矛盾に混乱し、さっきまでの激昂した感情が徐々に萎えていくのを感じた。


「でも、外からここを見つけ出すのは不可能なはずでしょう?」


亜希の声は徐々に弱まり、戸惑いに満ちている。史音は落ち着いた声音で説明する。


「ああ、普通のやり方じゃ無理だろうな。優香だって見つけられないだろう。でもアタシは何でも予測して手を打つ癖があるのは知ってるだろ?」


その淡々とした口調に、亜希の記憶が揺さぶられる。


「まさか、パリンゲネシアの時から今の状況を予測して、何か仕掛けていたって言うの?」


「そうだよ。物理的な干渉は不可能だったが、お前の精神パターンにマーキングしておいたんだ」


亜希はさらに混乱する。


「精神パターン? 一体どういうこと?」


「お前の内面じゃない。他者と世界との繋がり方の話だよ。それは人格が崩壊しない限り普遍のコードだ。お前が完全に元の世界から離れようとしていたら流石に無理だったが、未練が残ってて助かった」


相変わらず容赦のない史音らしい言い方だった。


侑斗はこの機に前から気になっていたことを口にする。


「史音、世界と繋がるコードって人それぞれ違うのか? 自分が見てるものと他人が見てるものが違うってこと?」


「侑斗、お前は相変わらず好奇心旺盛だな。世界の仕組み自体は平等だが、それを認識する個人の現実はみんな違うんだよ。共有なんてできない。そういうコードがそれぞれにある」


史音は一瞬だけ侑斗に注意を向け、すぐに亜希に視線を戻した。


「亜希、知ってるか? 人間は脳だけになっても五感を感じることができるって」


気味悪く感じながら亜希は答える。


「それがどうしたのよ?」


「精神だけでも同じことなんだ。というわけで、今からお前のコードに干渉させてもらう」


言い終わると同時に、亜希は存在しないはずの身体に史音の指の感触を感じた。背中を指で押され、体のあちこちをくすぐられる感覚が襲う。


「ちょっと、史音! やめてよ、何してるの?」


「くすぐったいか? お前がこの空間を解くまで続けてやるよ」


史音の容赦ない攻撃に亜希は悲鳴を上げ、ついには馬鹿馬鹿しくなって空間を解除した。


元の世界との繋がりが戻り、侑斗はゆっくりと肉体を取り戻していく感覚を味わった。目を開けると、呆れた表情の亜希と、以前よりずっと大人びて美しくなった史音が目の前に立っていた。


「よし、戻ったな。良い()だ、亜希」


史音は軽やかに言い放った。


「まったく、あんたはいつも予測不能だよ。私よりずっと人間離れしてる」


亜希は溜息混じりに侑斗へ振り返った。


「ごめんね、さっきのは冗談だったの。ただ、自分の境遇が嫌で少し意趣返ししたかっただけ」


寂しげな表情を浮かべる亜希を見て、侑斗は何も言えなかった。


「なんだよ、冗談か。つまんねえな。せっかく二人が納得する良い方法を持ってきたのに」


史音が大げさに嘆息する。


「何その方法? 聞かせてよ」


史音は得意げに笑った。


「そうだろ? 聞きたいだろう? 仕方ない、教えてやるよ」


そんなに聞きたくもないが、と侑斗は内心で呟いた。


「亜希は優香に利用されるのが嫌なんだろ? 実はな、優香抜きでアタシ達三人でも同じことができるんだ」



****


ベルティーナはベッドの上でゆっくりと上半身を起こした。部屋は薄暗く、窓から差し込む柔らかな光がベルティーナの横顔を静かに照らしている。澪は入り口のそばに立ったまま、静かな視線で彼女を見つめていた。お互いに距離を詰めることなく、張り詰めた静寂が部屋を支配する。


先に沈黙を破ったのはベルティーナだった。

「レイ・バストーレ……いえ、葛原零と呼ぶべきでしょうか? 私に会いにきた理由を伺いましょう」


零はその大きな瞳を僅かに瞬かせ、一歩前へ踏み出した。

「私たちはそれぞれ望むものを手に入れるために争ってきた。でも、その目的はもう世界のどこにも存在しない。私たちがぶつけ合った憎しみすらも、自分たちの意思ではなかった。全ては……」


そこで零の言葉が途切れた。ベルティーナが穏やかに続ける。

「すべては木之実亜希を創造させるための、巨大な意思による操作だったと、そう言いたいのですね?」


ベルティーナの声音は静かで落ち着いていた。

「でも、私は……いいえ、あなたもユウを求め、愛したのは事実でしょう。理由も経過も私には重要ではありません」


零はゆっくりとベルティーナの方へ近づいていく。その足音はほとんど音を立てなかった。


「私も同じよ。どんな原因や経緯があろうと、私が起こしたことは私自身のもの。私だけが理解する、私だけのコード。でもそれはもう過ぎ去ったこと。今私たちがすべきことは、世界の破滅を止めようとしているあの二人、ユウの分身たちを支えること。だからあなたの力を貸してほしいの」


零の言葉にベルティーナは意外さを隠せなかった。それはまさしく、自分が零に伝えようとしていた言葉そのものだった。だが今のベルティーナには、零のもとへと赴く力すら残されていなかったのだ。


胸に込み上げる複雑な感情が制御を超え、ベルティーナの輪郭が徐々に崩れ始める。史音が仕掛けた制御さえ越えたその力の暴走を、零は迷わず手を伸ばして鎮めた。ベルティーナの肉体は以前よりも安定を取り戻していく。


「あなたが私の力を吸収した? そんなことが可能なのですか?」


零は小さく微笑み、頷いた。

「木之実亜希のあまりにも巨大な力を、サイクル・リングで吸収し続けてきたからこそ可能なの」


ベルティーナの胸に微かな悲しみが浮かぶ。やはりサイクル・リングの制御力は、本来の所有者である零には及ばないのだと。


「けれど、亜希さんの力は私のサイクル・リングをすでに侵食し始めており、今は暴走寸前。だから――」


「あなたも私と同じ、ということですね」


零は辛そうに頷きながら、ベルティーナからそっと手を離した。

「史音が導き出した結論ですが、このままシニスのダークが人類すべての思考パターンの歪曲を完遂すれば、やがて来る創造主が銀河の向こうの存在に致命傷を与えるでしょう。その瞬間、銀河系最上位の存在が双方を世界ごとリセットすることになると」


零の表情が険しくなった。


「さすがはあなたの腹心。私がここに来た理由の一つは、その事実をあなたに確認するため。そしてもう一つは――」


ベルティーナは寂しそうに微笑み、零の意思を正確に受け取った。

「私たち二人だけが果たせること。シニスのダークの群体を、この身に宿る溢れる力で排除することですね」



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