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199、未来 変化の嵐

さっきから、この人は一体何を言っているのだろう。亜希は疑念を抱きながら優香を見つめていた。まるで人間の思考をねじ曲げ、今生きている人間を否定するシニスの行為を擁護しているようにも聞こえた。


「確かに、人間の理不尽で非道な側面を私だって許せない。でも、それを矯正するのはあくまで人間自身の精神であるべきでしょう? 人以外の何かが勝手な都合で人間を歪めるなんて許されるわけがない。それに、あなたはまだ私の質問に一つも答えていない」


亜希は言葉を放ち、唇を強く噛みしめる。優香はまるで意に介さず、ゆったりとした口調で言葉を重ねていく。


「あなたが欲しがっているのは弁証法的な答えだったね。あなたは最終の意思決定権者だから、少しでも多く事情を知っておいてほしかったんだよ」


優香が一歩踏み出すと、その長い髪がふわりと揺れた。彼女はじっと亜希の瞳を正面から捉える。


「あなたが生まれた理由は、あなたを生み出したレイでさえも知らないの。零は無意識にあなたを創り出した。彼女は私たちの前世、ユウ・シルヴァーヌを信じることが出来なかった。その慚愧の念が塊となって、彼を信じることや愛することを否定する心の部分をすべて切り離したの」


亜希の胸が冷たくなる。つまり、自分は零さん、レイ・バストーレが否定し、拒絶した感情そのもので作られているということか。


亜希は深くうつむいた。だからこそ両親や友人が自分を理解できないのも当然だったのだ。まともな人間の感性では、受け入れられるわけがない。


「そんなに落ち込むことはないよ。レイは本来、決して切り離してはならないものを切り離してしまっただけ。マイナスの感情は、さっきあなたが言ったように、人間自身が自ら制御すべきもの。あなたは間違いなくそれをきちんとやっているのだから」


優香の瞳には、僅かな慈愛の色が浮かんでいた。


「ところで、レイから切り離された貴女は、過去一度も使われることのなかった南極上空のクァンタム・セルの窓に転送された」


亜希は眉をひそめる。南極上空のクァンタム・セルの窓? そんな単語を初めて耳にした。


優香は静かに続ける。

「北極上空のクァンタム・セルの窓は創造主たちが意図的に作ったもの。でも南極上空のそれは、星のバランスを保つために偶然生じたとされている。あなたはその窓から放り出され、『銀河の声』を浴びた。彼方からのその声はあなたを通して初めて直接届くようになった」


亜希は息を呑む。今まで使ってきたあの奇妙な力――零の力さえ凌ぐあの力の由来をようやく知ったのだ。胸に重く響く衝撃は隠しようがなかった。


「その『声』の正体は?」


優香は静かな動作で両腕を伸ばし、亜希の頬を優しく包むように触れた。その瞳は潤み、深い闇を宿しているようだった。


「あなたにはどう聞こえたの? あの彼方の声は」


亜希は記憶をたどった。胸の奥で震えている、あの声の響きを。


「願い、希望、叫び……いや、違う。あれは悲鳴だった。悲しみで満ちた、泣き叫ぶような声だった」


「悲鳴……そうだね、それが最もふさわしい表現だろう」


優香は深い吐息を漏らした。


「私たちの地球は、オリオン腕と呼ばれる銀河の端に位置している。では、その銀河の反対側には何があるか知ってる?」


「わからない。銀河系の反対側は観測不可能だから」


亜希は思い浮かべた。かつて国立天文台のソフトウェアで見た天の川銀河は、観測できない領域を黒く塗りつぶして扇型に描かれていた。


「これは史音の推論だけど、多分間違っていないと思う。創造主たちの行った地球の調整が、銀河の中心にある巨大なブラックホールを重心として銀河の反対側にいる存在に致命的な危機を与えている。そのため彼らは悲鳴を上げたの。けれど今は、創造主が作った仮想膜の地球が余剰次元で彼らの声を散らしている。だからあなたを通じてしか、声は届かない」


優香の瞳がさらに揺れる。


「でも、創造主たちが余剰次元とそこに浮かぶ地球を消し去れば、彼方の声を遮るものはなくなり、あなたという入り口から力は無制限に流れ込み、この世界はすべて書き換えられる。念のため言うけど、あなたが死んでも入り口は閉じない。むしろ、流れ込む力は強まる。そして貴女は何度でも再生される」


亜希の背筋が凍る。完全な袋小路だった。


「じゃあ、技術者たちは声の力に対抗できないの?」


「無理だよ。あなた自身の力を考えればわかるでしょ。シニスなど、彼らに比べれば何の抵抗力もない」


亜希は唇を噛みしめ、自分の異質さを理解した。全てを無に還すその声を使える自分の存在が、特異で異常なのだと。


「銀河の向こうから悲鳴をあげた存在が、自己防衛のために叫んだことが、創造主も地球の人々も、そして私自身も否定させた。そして私が生まれた。」


優香は亜希の頬から手を離し、悲痛な叫びをあげた。


「違う!」優香は切迫した声を上げる。「私だって最初は彼らが発端だと考えていた。でも違う。彼らが本当にそんな強大な存在だったら、こんな悲鳴など上げるはずがない。そもそも、こんなことが起こるはずもないんだ」


亜希が使ってきたあの強大な声の力でさえ、一義的なものではないという。


「それなら……私の背後で悲鳴を上げいるのは誰なの?」


亜希の問いに込められた切実さに、優香はためらいなく明朗な声で答える。


「変化の嵐だよ。この銀河全体で吹き荒れる変化の嵐。創造主たちや技術者たちは、自らの理屈に囚われすぎて、その事実に気づけなかった」


「変化の嵐?」


亜希の声に困惑が混じる。頭の中では到底整理がつかない壮大な話だった。


「あなたには、あなたが創られた理由と『銀河の声』について表面的な事象だけを説明したけど、それは本質ではない。技術者たちは自分たちこそ世界の真理だと思い込んでいたけれど、それがそもそもの間違いだった。認識する力を持つ生命体が現れたのは偶然ではなく必然だったのに、彼らはそれを強引に押さえ込んだ。その結果、世界に歪みが生じ、対立が生まれてしまったんだ」


亜希は頭痛を覚え始めていた。この途方もない理屈を理解することが、本当に自分に求められていることなのだろうか。だが、優香は構わず続ける。


「私の前世であるユウ・シルヴァーヌは、この銀河で最初にその『声』を聴いた人物だった。だからこそ、彼は声の向こうにある存在の真実を知ることができた。但し物事を正しく理解できなかった。変化の嵐の背後にあるのは『変化そのもの』。銀河の反対側には技術者たちはいなかったから、反対側の存在は途方も無い進化をして、高度な存在となっていった。そして偶然にも、銀河の中心の巨大ブラック・ホールを重点として非局所的に、偶然反対側にある私たちの世界と強く結びついてしまった。そのため、技術者たちが私たちの世界で行った調整は、反対側の存在に致命的な傷を与えることになった」


亜希は、自分がその中心にいることを感じて動揺した。


「元の地球から知性という力を奪い、強大な力を持つレイやベルティーナ、ヴェナレートのような存在が現れたのも、その嵐が歪んでこちら側の時空に現れたことの兆しだ。その嵐は技術者たちが使った塵媒にまで浸透して、彼らの技術に深く染み込んでいった。塵媒(フィーネ)さえ都合よくつかわれた。ユウが零に殺されたことも、零とベルティーナの憎しみさえ、その変化の嵐によるものだった。すべては銀河の反対側にいる存在の声を聞くための、そして『変化の嵐』そのものが、あなたという存在を創り上げた。レイは自らを分けてこの地球に彼と同じ流転創造を行ったけれど、それは巨大な意志がそうさせたの。」


優香が言葉を締めくくると、亜希は呆然としてその場に立ち尽くした。話が壮大すぎる。


「……銀河の声を届けるために、私は創られた」


表面的には零が自分を創ったが、真の理由は銀河の変化の嵐だった。つまり自分を取り巻く全ては、この壮大な計画の一部だったということになる。


「さて、これであなたの疑問には答えられたかな?」


優香が柔らかく問いかける。亜希は混乱を押し殺し、最後の疑問を口にする。


「もう一つだけ教えて。あなたと侑斗は、この状況にどう対処するつもりなの?」


優香は微笑み、その表情に決意が宿る。


「決まっているでしょう。あなたが今目にしている、この地球の本来あるべき姿を取り戻すこと。あなたがこの光景を見て心を動かされたなら、希望はある。そして創られた地球も守る。そのためなら、シニスだろうと創造主だろうと、銀河の声でさえも打ち破ってみせる」


優香の言葉が終わると、その姿が一瞬揺らぎ、亜希の目の前で若返るように変化した。やつれていた顔は艶やかに輝き、不敵な笑みを浮かべている。ただ、瞳の輝きだけは変わらなかった。


「さて、もう行かなくちゃ。最後に一つだけお願いがある。私が目的を果たす最後の瞬間には、あなたを必ず呼ぶ。その時はどうか私のもとへ来て欲しい。」


亜希は深く考えて呟く。


「私が最後にどうするかは私が決める」


颯爽と去っていく優香の背中を、亜希は呆然としたまま見送った。やがて周囲の風景が霧散していくまで、彼女はその場に立ち尽くしていた。



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