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190、未来 散華

「どういうことだ、葛原零! さっき途切れたはずのパリンゲネシアの羽虫どもが、また溢れ出してきたぞ!」


ハルカの叫びが、空間を震わせる。

彼女の声は掠れ、疲弊しきった体を支えながら、再び襲いかかる幻妖の群れに立ち向かう。

両腕を広げ、掌を合わせると、花弁のように弾けた光が幻妖を霧散させていく。

だが、それも時間の問題だ。


「再びパリンゲネシアが攻勢に出たのだろう……。女王はまだ完全にパリンゲネシアを抑えきれていない」


零は、虚空にぽっかりと開いた穴を睨みつけながら、輝石を空間の要に埋め込む。

歪みを固定し、これ以上の侵入を防ごうとするが、その力も次第に削がれていくのを感じる。

膝が震え、視界の隅が暗く滲む。


(……いつまで持ちこたえられる?)


背後で荒い息をつくハルカは、もはや立っているだけで精一杯だった。

今までの戦いの中で、ここまで追い詰められたことはなかった。


ロッゾの魔女――彼女は脅威だったが、それでもパリンゲネシアに比べれば赤児のようなものだ。

今の状況は、かつてない絶望の中にあった。


(この戦いで……私は死ぬかもしれない)


零は初めて己の死を予感した。


⸻◇



「……どうやら優香と侑斗は今、一緒にいるらしい。ということは、アイツのクリスタル・ソオドが使える。これは都合が良い」


史音の口調は冷静だったが、その表情にはどこかぎこちなさが滲んでいた。


「一緒にいる……? 侑斗と椿さんが? なんで……?」


亜希は混乱しながらも、今の状況を理解しようと必死だった。

あの二人は、三年前のあの時、零の作り出した擬似空間で決別したはずだった。

侑斗は優香を拒絶した――二度と一緒にはなれないほどの決定的な形で。


「……アタシたちにも分からない何かがあったんだろう。それより、亜希。今は目の前の状況に集中しろ」


史音の言葉が、亜希の思考を引き戻す。


「さっきみたいに地球の大樹に触れて、意識だけ最上階層の宇宙に飛ばすんだ。星々の世界と繋がれ。

声の力を、一瞬だけでも引き出すんだ」


史音は、亜希に自身と同じ冷静さを求めていた。

亜希は胸の奥にあるわだかまりを押し殺し、そっと地球樹の幹に触れる。


樹皮はざらつき、脈打つように光を帯びていた。

肉体ごとならば簡単に大樹の中に入れるが、意識だけを飛ばすのは至難の業だ。


手こずっていると、史音の声が静かに響く。


「亜希、人が肉体に縛られるのは当然だ。肉体があるからこそ、感情が生まれる。

意識を切り離すのではなく、肉体を精神に同化させるんだ」


階層を駆け上がれ――そう史音は言う。


亜希はゆっくりと目を閉じ、意識を手放すように深く息を吐く。

そして次の瞬間、彼女の身体は静止し、意識だけが階層の階段を駆け上がった。


「……声の力と繋がったら、すぐに降りてこい」


史音は、静かに亜希の肉体へと声をかける。

意識と同化した肉体は、確かにその言葉を聞いていた。


史音は大樹に手をつき、低く呟く。


「……さて、あとは優香が葛原零の座標を捉えて、保持し続けられるかどうかだ」


⸻◇


パリンゲネシアは、長らく階層の階段を閉ざしていた。

それは、亜希の持つ強大な力を奪い、宇宙との繋がりを断つため。


しかし、今――その封鎖は崩れ始めている。


ベルティーナは、執拗にパリンゲネシアを追い詰め、その支配に揺らぎを生じさせた。

その代償として、彼女は今、動きを封じられている。


だが、それでも――再び地球樹へ干渉を始めた。

先程のような圧倒的な力ではない。

それでも、少しでも階下の葛原零の負担を減らすため、

ベルティーナは最後の抵抗を試みる。


彼女の視界には、パリンゲネシアの作り出した鏡のような空間に映し出された戦場が広がっていた。


そこには、一人で世界を支えている葛原零の姿。

そして、パリンゲネシアの幻妖と戦う鳳ハルカの姿があった。



鳳ハルカ――


かつて、彼女は優香に連れられてベルティーナの元へやってきた。

そして、そこでかつての自分を突きつけられた。


彼女は、零によって己の矮小さを思い知らされた。

自身のルーツである鳳一族にも背を向けた。


自分が作り、繋いできたものたちを捨て、孤独を選んだ。

それでも、彼女は世界の有り様を、公理の在り方を探し求め、さまよい続けた。


そして今――彼女は優香に惹かれた。


それは、同じように己を書き換えようとする者としての共鳴だったのかもしれない。


――葛原零。


ベルティーナは、零を守護し、レイ・バストーレを説得する役目を、優香を除けば最も強大な力を持ち、さらに「枝の神子」としての資質を備えたセージに託そうと考えていた。



しかし、その時、ハルカが前に出た。


「私に任せてほしい」


ベルティーナは一瞬、目を細めた。


「……理由を聞こうか」


「彼の側にいたいんです。ずっと、零のそばにいる”彼”に逢いたいから」


それはあまりにも単純で、そして純粋な願いだった。

ベルティーナは彼女のその真っ直ぐな心に、どこか信頼を覚えた。


「いいだろう」


結局のところ、この役目は優香の露払いに過ぎない。

それならば、ハルカに託しても問題はないと判断した。


こうして、零の元にはただ一人、護衛としてハルカが残された。



そして今――


ハルカの体は血に塗れ、傷だらけになりながらも、なおもパリンゲネシアの幻妖に立ち向かっていた。

その華奢な体が、無数の敵の猛攻を受けながらも揺るがず、幻妖たちを押し返していく。


だが、彼女の息遣いは荒く、力の限界は近い。

それでも、決してその場を退くことはしなかった。


零は、その背中を見つめながら強く拳を握った。


(彼女を見捨てることは……できない)



零の視線の先で、ハルカは揺らぐことなく立ち続けていた。

呼吸は荒く、足元は不安定。それでも、彼女は微笑んでいた。


「……パリンゲネシアの幻妖の勢いが落ちたな。私の寿命は、少しだけ伸びたみたいだ」


彼女の声は穏やかだった。


「葛原零、お願いがある」


零は無言のまま彼女を見つめた。


「どうか、貴女の輝石で私を背後から固定してくれ。どんなことがあっても、私が絶対に倒れないようにしてほしい」


その言葉に、零の胸が締め付けられる。


彼女は、自らの命を捧げる覚悟を決めていた。


零の脳裏に、ふとベルティーナの姿がよぎる。

――もしかしたら、彼女はこの状況を見ているのではないか?


だからこそ、パリンゲネシアの本流に干渉を始めたのではないか?


(……ハルカを、救いたいと思ったのだろうか)


零の胸にも、その想いが響く。


(私も、彼女を守りたい)


しかし――


今の零には、それを叶えるだけの力が残されていなかった。

もし、あの時の――ヴェナレートと戦った時の力があれば。

もし、亜希がここにいれば。



ベルティーナの介入により、パリンゲネシアは苛立ちを露わにする。


「もう諦めろ、人間」


パリンゲネシアは冷たく囁いた。


「おまえは私に拘束されたまま、下の階層にいる者たちを救うことはできない。

あの者たちを諦め、この階層を私から奪え。そうでなければ、いずれにせよ彼らは消え去り、おまえもここで私に倒されるだけだ」


ベルティーナは黙っていた。


パリンゲネシアの言葉は、ある意味で正しい。

下の階層を見捨てれば、ベルティーナはこの階層を完全に掌握し、パリンゲネシアを倒し、さらに上にいるシニスのダークの元へ向かうことができる。


だが――


その選択をすることは、彼女にはできなかった。


パリンゲネシアは苛立ちを増し、より強い力でベルティーナを拘束した。

地球樹の枝、茎、根を絡め取り、彼女の自由を奪っていく。


その瞬間、地球樹への干渉が一瞬途絶えた。



その刹那――


ハルカたちの前に、再びパリンゲネシアの幻妖が猛威を振るう。

抑えられていた侵食が一気に解放され、怒涛のように押し寄せてきた。


ハルカの力は、すでに限界を超えていた。

――そして、ついに彼女の身体が吹き飛ばされる。


零の目前から遠ざかる彼女の姿。

大きく弧を描きながら、地面へと叩きつけられる。


「ハルカ先輩……!」


叫びが彰の喉を裂いた。


ハルカの体は横たわり、ぴくりとも動かない。


彰の心に、一気に焦燥と後悔が押し寄せる。

なぜ――自分は、これほど愛した人が傷ついていく姿をただ見ていることしかできなかったのか?


(違う世界の人だったから……?)


違う――。

もしそうなら、零も亜希も、特別な存在として扱われていたはず。


(いや、違う……)


特別な人だからこそ、守られるのが当然――そう思い込んでいた自分が間違っていたのだ。


彼女たちは、誰よりも”人間らしい”のに。



彰は、震える足を踏み出す。


「……先輩」


彼の脳裏には、ただ一つの思いだけがあった。


「俺の命なんか、真綿より軽い……絶対に、ハルカ先輩を俺より先に死なせない」


琳が彼の腕を掴んだ。


「やめてよ、彰さん! 今行ったら、死んじゃうよ!」


だが、彰は振り払う。


「どうせこのままパリンゲネシアに殺されるなら……」


足を踏み出す。


「1秒でも、マイクロ秒でもいい。俺は……あの人を守りたい」


琳が彼の前に立ちはだかった。


その時――


一体のパリンゲネシアの幻妖が琳に向かって真っ直ぐ飛んできた。


「馬鹿、早くどけ!!」


琳は、微かに微笑んだ。


「……分かるよ、その気持ち」


死を覚悟した彼女の顔は、どこまでも穏やかだった。


――そして。


パリンゲネシアの幻妖が琳を襲うことはなかった。


立ち上がった影が、一歩前へと踏み出していた。


それは――


ハルカだった。


幻妖は、まっすぐに彼女の胸を貫いた。

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