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189、 未来 結合和

亜希は、遠くで渦巻くパリンゲネシアの幻妖の巨大な波をじっと見つめていた。

一度は止んだかに見えた侵食が、再び激しさを増し、境界を超えて世界の外へと溢れ出している。

空には歪んだ光の筋が広がり、地平線には淡く紫がかった霧が揺らめいていた。

静寂の中、幻妖のざわめきが微かに響き、まるでこの世界を塗り潰そうとするかのようだった。


亜希の隣では、史音もまたその光景を無言で見つめていた。

やがて、舌打ちをしながら大樹に触れ、何かを調べ始める。

大樹の幹はひび割れ、光の筋が脈動していた。


「ねえ、史音。さっき、パリンゲネシアの妖精の群れがしばらくの間、途切れたよね?」

亜希は、史音の背後から慎重に声をかけた。


「あれって、ベルティーナさんがパリンゲネシアを倒したってことじゃないの?」


史音は肩をわずかに震わせるが、すぐに振り返ることはなかった。

彼女の背中は、苛立ちを滲ませている。

大樹に触れた指先が微かに震え、静寂が二人の間を支配する。


「いや……あれはベルがパリンゲネシアの構造を解析し、下の階層への干渉を封じたんだろう」


「じゃあ、どうしてまた幻妖たちが侵入を始めたの?」


亜希の問いに、史音は一瞬動きを止め、大樹の上を見上げる。

幹の間から、歪んだ空が見えた。


「まだパリンゲネシアにできて、ベルにはできないことがあるんだろう。おそらく今、ベルティーナは動きを封じられている」

彼女の声は冷静だったが、何かを押し殺すような響きがあった。


亜希は、そんな史音の背中をじっと見つめる。

もしベルティーナが敗れたら……いや、もし零がパリンゲネシアの幻妖に敗れたら――。


「零さんは、大丈夫だよね? あんな羽虫ごときに負けたりしないよね?」


その言葉に、史音は初めて動きを止め、ゆっくりと亜希の方を向いた。

彼女の瞳は暗く沈み、その奥には重い現実が見えていた。


「葛原零の力は強大だ。だが、彼女は今、一人でB・Wゾーンを支えている。それだけで精一杯のはずだ。

あの勢いで侵食してくるパリンゲネシアの幻妖を相手にする余裕はない」


史音の声は乾いていた。

まるで、この言葉が避けられない未来の一部であるかのように。


「それじゃあ……このままだと、ベルティーナさんがパリンゲネシアに敗れ、零さんもいなくなって……私たちの世界はどうなるの!?」


亜希は思わず史音の肩を掴み、震える声で叫んだ。


「アタシたちの帰る場所は、消えてなくなる。そして、アタシたちはパリンゲネシアに取り込まれ、やがてはパリンゲネシアごとシニスのダークに吸収される」


史音は、消え入りそうな声で最悪の未来を告げた。


亜希の手がゆっくりと力を失い、肩から滑り落ちる。

そのまま膝を折り、地に崩れ落ちた。

これが避けられない結末なのか?

創造主の意思に従う未来しか、選べないのか……?


「……まあ、亜希、それは確かに確率的には一番高い未来だけど、決定されたわけじゃない」


史音の静かな声が、僅かに亜希の心に光を灯した。


「創造主もシニスのダークも、筋書き通りに事を進めてきたわけじゃない。いくつもイレギュラーがあった」

彼女の声には、確かな意志が込められていた。


「そこが付け入る隙になる。そもそも、この状況を打破する方法を考えているアタシの存在自体が、イレギュラーだからな」

史音は、淡々とした口調で言うが、その眼光は鋭かった。


亜希は、地に座り込んだまま、顔も上げずに薄く笑った。

「へえ……」


史音は再び大樹の方を向き、何かを確認し始める。

「そこは関心を持てよ。他ならぬおまえの力こそ、この状況をひっくり返す唯一の手段なんだからな」



遠い空の彼方、優香と侑斗は、地上で起こる戦いを想像していた。


「まずいね。今、零のところに大量のパリンゲネシアが襲い掛かっている。ハルカ一人では対処しきれない」

優香は、途切れ途切れに伝わってくるハルカの思念を受け取っていた。


当初、ベルティーナの後方支援のため、霧散師たちをイタリアに残してきたことが、

パリンゲネシアを侮った致命的な計算ミスだったと、今さらながらに痛感していた。


「その共振転創とかいうので、零さんのところに行って助けることはできないのか?」

侑斗の問いに、優香は険しい顔をする。


「共振転創は、相対関係にある場所と場所の間に、重心を置かなくちゃいけない。

でも、今の零の周囲は、空間の組成がぐちゃぐちゃで、どこにも重心が置けない。

計算はしてみるけど……ちょっと時間がかかる」


優香はそう言うと、瞳を閉じて深層演算を開始する。

風が彼女の髪を揺らし、周囲の気温が僅かに下がったような錯覚を覚える。


しばらくして、彼女はハッとした表情で目を開いた。

「……史音の刻奏音が聞こえる」


史音は、今、亜希と共にパリンゲネシアの世界にいるはずだ。

それなのに、刻奏音が……?


「史音に刻奏音が使えるのか? てっきり、他の地球からの転創者しか使えないと思ってたが……」

侑斗は訝しみながらも、感嘆の声を上げる。


「まあ、史音だからね。なんでもありなんだよ。

虚無の神殿で私に助けられたことが、悔しくて仕方なかったんだろう。

……それにしても」


優香は、再び瞳を閉じ、仄暗いフライ・バーニアの氷原の上に、そっと爪先を置くような仕草を見せる。

空間を掴み取るように指先を動かし、慎重に何かを探る。


「共鳴が難しい……そうでなくても、パリンゲネシアの世界からここまで届く音の糸は……」


優香の細い腕が、まっすぐ伸び、その指が何かを掴んで手繰り寄せる。

「……史音、ノイズが酷いから、要点だけ、簡潔に伝えて」


優香は、もう一方の腕で侑斗の右手を掴んだ。

「刻奏音は振動だから……情報は共有できる」


風が吹き抜け、氷原の彼方で、微かな振動が響いた――。


空気が張り詰め、時間が止まったような静寂の中、優香と侑斗は立ち尽くしていた。

そこへ、刻奏音――音の振動による言葉が流れ込んでくる。


『優香、侑斗が一緒か。まいったなぁ……まあ、良いや。

多分、お前たちは今、パリンゲネシアの羽虫どもが流れ込んでいる先、葛原零のところへ行こうとしてるんだろうけど……やめとけ』


振動を通して伝わる史音の声は、乾いた笑みを滲ませていた。

刻奏音は声ではない。ただ、振動が言葉のように耳に響く。

だが、侑斗にとっては懐かしい感覚だった。


『とにかくだ、今そちらの世界では葛原零が限界だろうし、アタシたちのいる上の階層ではベルがパリンゲネシアの策略で動きを封じられている』


短くも鋭い報告。その内容は、優香の予想を裏付けるものだった。

零が――そしてベルティーナも、今まさに危機の中にある。


『今、アタシと亜希は、地球の階層構造を貫く地球の大樹の近くにいる。このバカでかい木は、どうも宇宙まで続いてるらしい』


史音は優香の「簡潔に伝えて」という要請を完全に無視し、回りくどい説明を続けている。

優香は黙って聞いていたが、その言葉の奥にある意図を瞬時に読み取った。


「なるほど……史音の考えは理解した。

宇宙まで続く地球の大樹、そしてパリンゲネシアの世界からこちらの世界に開いた幻妖たちの出てくる穴――

それらを繋ぐということだね」


優香は、刻奏音で応える。

その会話の中で、まだ侑斗には史音の策略が全く理解できなかった。


『理解が早くて助かるよ、優香。もう時間がない。

アタシはすぐ準備にかかるから、そちらのぐちゃぐちゃに入り混じった世界で、一瞬だけ葛原零の居場所を特定して、すぐにアタシに刻奏音で伝えろ。

何度も言うが、とにかく早くやれ。アタシ以外でそれをもっとも効率よくやれるのはお前しかいない』


史音の言葉が途絶え、振動が消える。

風が吹き抜け、夜の帳がゆっくりと降りるように、静寂が戻った。


侑斗は思わず息を飲む。

「……初めて聞いた、史音の刻奏音。それで史音は何をしようとしてるんだ?」


優香は一瞬答えを躊躇った。

微かに首を振り、何かを振り払うようにして、低く呻く。


「史音は、賭け事は嫌いなはずなのに……肝心な場面では、いつも可能性の低い選択をする……」

彼女は悔しそうに唇を噛むと、目を閉じて深く息を吸い込んだ。


「……あの子は、この星の最上階層から、この階層までを繋げるつもりだ」


侑斗は、依然として理解できないまま、眉をひそめる。

昔だったら、このまま黙っていただろう。

しかし今は、目の前の優香の険しい表情に戸惑いながらも、意を決して問いかけた。


「それで……史音は、階層を繋いで何をするつもりなんだ?」


優香は、一瞬驚いたように侑斗を見つめ、瞳を瞬かせる。

そして、張り詰めた表情を少しだけ緩めた。


「……ああ、史音はね。あなたの保護者だった木之実亜希の力を、少しだけ開放するつもりなんだ」


侑斗の心臓が、一瞬強く跳ねた。

亜希――ずっと自分を守ってくれた存在。

彼女の力が、今、この危機を救う鍵になるのか?


「階層の上から下まで。世界の配置図やタイミング……精密な計算が必要だけど、上手くいけば――今のこの虎口の状況を、覆せるかもしれない」


夜風が吹き、どこか遠くで何かが蠢く気配がした。

これが、戦局を変える唯一の賭けなのかもしれない。

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