17、過去 イレギュラーが視ている
それより十数分前
17、過去 端緒
「分かってるって、ベル。そっちは今、朝でしょ? まさか、ずっと起きてたの? ダメダメ、子供の夜更かしは身体に悪いよ」
遠く離れた地から届いた声に、葵瑠衣の名で呼ばれる女性は軽い調子で返した。
「子供扱いしないでください! ……というか、あなたのほうが実際には子供に近いのでは?」
携帯の向こうから聞こえるのは幼い少女の声。ベルティーナの肉体年齢は11歳。確かに子供といえば子供だが、彼女の知性と能力はその外見に似つかわしくないほど優れている。ラナイの国にいた時は18歳だったのに。
『アオイ、今回の件の重要性をきちんと理解していますか? 本当なら同行したかったくらいです』
「分かってるってば。でも、それを止めるのにどれだけ苦労したと思ってるんだよ」
彼女は軽く眉を釣り上げる。ベルティーナを同行させないよう説得するのは一苦労だったが、彼女をこの国に来させない理由があった。それでどうにか納得させたのだ。
『アオイ、あなたが判断を誤るとは思いませんが……今回の出来事には、何者かの強い意志を感じます。なぜ、彼のいる場所でこれが起こるのか』
(それはね、私の意志が絡んでるからだよ)
彼女は心の中で舌を出した。今回の一件は、彼女とその仲間が仕掛けたものだった。特に龍斗には過酷なことをさせたが、それも仕方がない。世界の崩壊が始まる場所を特定するために、彼らにできることは限られている。
それも、地球の生成樹の枝に触れた者だけが成せる技だ。正確には二度目の神子だが。
生成樹――それは地球の苦しみを具現化した存在。葵瑠衣は最初の枝の神子の中にいたから、彼女が最初に地球の枝に触れた者とされている。ステッラの地球に幼い姿のまま転創させられたベルティーナを、今日まで支えてくれたのは間違いなく彼女だが、未だに彼女の正体は不明である。
トキヤに切り倒された地球樹がなぜ復活したのかも不明だ。
どれだけの人間が枝に触れ、今どこで何をしているのか。彼らがどれほど存在するのかさえ分からない。
彼女が忘れてしまった過去に見た生成樹は、初めて目にした時からずっと黄昏の姿だった。かつてこの星が誕生した時に持っていたエネルギーはすでに絞り尽くされ、枯れ果てた根が無残に散らばっている。そして実るはずの果実は、自らの子供に渡ることなく、他者に貪り食われていた。
龍斗はいつも、それを嘆いていた。
だが、嘆くだけでは何も救えない。
「ベルティーナ。イレギュラーが発生しなければ、すべてうまくいくよ。演算子は出揃った。史音もそう言ってたでしょ?」
史音――彼女が知る限り、最後に地球の枝に触れた者。
『……アオイ。あなたが失敗すれば、今日この世界は消えます。イレギュラーは彼女の存在。おそらく、どこかで状況を見ています。あなたは彼女に気づかれてはいけません』
彼女は確かに”彼女”の存在を感じていた。だが、逆に言えば、うまく利用すればよいのだ。
ベルティーナと”彼女”の力を共役させる。それが世界を救う唯一の方法。
「ベル、これからのタイミングは私が指示する。あなたは、言われたとおりに力を使ってくれればいい」
電話の向こうから、渋々頷く少女の気配が伝わってくる。
「さて、と。さっさと世界を救おう!」
彼女はニヤリと笑う。
「タイミングを見計らって、彼を巻き込む……」
少し考えた後、ぽつりと呟いた。
「……それにしても、“葵瑠衣”って名前は、ちょっと有名になりすぎたなぁ。他の名前ともバランスよく使うべきだったかも。彼に名乗る名前、変えようかな」
その時、スマホの画面がふと光った。SNSの友だち追加の通知――全く知らない誰かの名前が目に入る。
「椿優香……ありふれてて、ちょうどいいね」
彼女はフフっと笑った。